コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

反ナチの経営学者

2017-10-01 00:48:00 | 今週の箴言
「私ならば、俺ならば、後から将来的に軌道修正できる」という見通しの甘さ、おごりこそが後にナチスを生んだ(ピーター・ドラッカー)

日本でも信奉者が多い「経営学の神様」ドラッカーは、全体主義的経営を斥けた経営論で知られる。ナチスから迫害されてアメリカに亡命したユダヤ系オーストリア人だった。スピーチにもよく引用される名言至言により、その著作を読んだこともない経営者のファンは多い。

Fever Peggy Lee


(敬称略)


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ただし、借りちゃいけない。本は買うものだ。

2015-08-27 23:13:00 | 今週の箴言
教養」とは学歴のことではなく、「一人で時間をつぶせる技術」のことでもある。  (『今夜、すベてのバーで』中島 らも)

その技術のひとつが読書なのはいうまでもないが、図書館へ行くことはそれ以上の経験かもしれません。読書すると図書館へ行くはイコールではない。葉脈を見つめるのと樹木を眺めること、林や森を歩くのは違うものです。いや、本棚や読書する人々の間を歩かず、ただ閲覧デスクにつっ伏しているだけでもかまいません。私もまた、そんな寄る辺ない少年であり、青年であり、中年でした。図書館は読書をしない人のためにもあるのです。

鎌倉市図書館のツイート「学校がつらい子は図書館へ」 一時は削除も検討
http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/26/kamakurashi-library_n_8046562.html?utm_hp_ref=tw

2002年に起きた図書館がきっかけになった殺人事件の3面記事が元になっています。

名もない時代の名もない国で
http://moon.ap.teacup.com/chijin/84.html

なかなか楽しい歌です。子どもの英会話教室で教えればよいのに。

Library Song, by Tom Chapin


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ダウン症の子の母親に言わないで

2015-08-02 23:08:00 | 今週の箴言
「何を差し置いて」という"名称"は醜いものです。(ルイーズのママ)

はじめ、Facebook上のコメントについて語っているのかと思いました。ネット上の書き込みなら残念ながら日本でもあり得ることですが、どうも「ルイーズのママ」は面と向かって、尋ねられたり意見されたりしているらしい。

アメリカとはなんと思いやりのない野蛮な社会なのだろうと憮然としました。もちろん、日本でも陰口や聞こえよがしなら少ないだろうがあるでしょう。しかし、「面と向かって」は考えられません。遠慮というものがある。自分が思ったこと、疑問を感じたことなら何でも口に出してよいとはまったく思っていないはず。自分の意見や考えを述べることはとりあえず正しい。少なくとも率直であることは評価されるべきという社会的な合意があるとすれば、利己主義よりずっと厄介ではないでしょうか。

ただ、さすがと感銘したところもありました。「ジャーナリスト」としての文章を片鱗も書かなかった「ルイーズのママ」にです。日本なら、ダウン症の子を持つ母親としてだけでなく、「ジャーナリスト」として「私にできること」に引きずられがちになるからです。3.11のときも、「自分は歌手ですから、歌うことで被災地の皆さんを励ますことができたら」というコメントを幾度も聴いた。それは尊い結構なことに違いはないのですが、あるいは型どおりの説明に過ぎないのかもしれませんが、考え抜いたあげくに「それだけができること」と唯一無二のように云われると、どうしても違和感を覚えたものです。

もちろん、職業はその人を規定する重要なファクターですが、職業生活が人生の一部に過ぎないこともあたりまえのこと。やはり、アメリカには、唯一無二の「個人」がいるのだなと「ルイーズのママ」に感じ入った次第。たぶん、そのことをルイーズから学んだのではないかと推測します。えっ、ダウン症児を災難視している? 違いますよ。ダウン症児を持つ母親はたくさんいるし、3.11の被災者も膨大にいるけれど、その内の一人ではなく、その中心としての一人を個人というのです。そう最首悟さんが云っているわけです。

ダウン症の子を持つ母親に、こんなことは言わないでください
http://www.huffingtonpost.jp/caroline-boudet/meet-louise-my-4-month-old-daughter-with-two-arms-two-legs-and-one-extra-chromosome_b_7574788.html?ncid=tweetlnkjphpmg00000001

(敬称略)
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まれなあれ

2015-05-10 18:55:00 | 今週の箴言
1918年(大正7年)、97年前に書かれたときにはもちろん、今日いよいよまれな文章といえます。

僕は精神が好きだ。しかしその精神が理論化されると大がいは厭になる。理論化という行程の間に、多くは社会的現実との調和、事大的妥協があるからだ。まやかしがあるからだ。
 精神そのままの思想はまれだ。精神そのままの行為はなおさらまれだ。生れたままの精神そのものすらまれだ。
 この意味から僕は文壇諸君のぼんやりした民本主義や人道主義が好きだ。少なくとも可愛い。しかし法律学者や政治学者の民本呼ばわりや人道呼ばわりは大嫌いだ。聞いただけでも虫ずが走る。
 社会主義も大嫌いだ。無政府主義もどうかすると少々厭になる。
 僕の一番好きなのは人間の盲目的行為だ。精神そのままの爆発だ。しかしこの精神さえ持たないものがある。
 思想に自由あれ。しかしまた行為にも自由あれ。そして更にはまた動機にも自由あれ。「大杉栄評論集」(岩波文庫)



「杉よ! 眼の男よ!」という中濱哲の詩があります。膝に抱いているのは長女の魔子です

思想に行為に動機に自由あれ、というまれな組織論です。「不自由あれ」という精神主義を笑っています。思想を縛りつけ、行為をあげつらい、動機を詮索する、知性主義に立ち向かう批判です。思想を行為を動機を尋ねず、問わず、共働を結ぶのに少しの問題としない、人間の自由な精神を鼓舞した言葉です。近代日本に大杉栄がいたことが、もっともまれなことかもしれません。

(敬称略)

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いまやわが国では

2015-02-21 22:57:00 | 今週の箴言
私は春風亭柳昇といいまして、大きなことを言うようですが、いまや春風亭柳昇といえば、わが国では私一人でございまして(春風亭柳昇)

日照権
https://www.youtube.com/watch?v=sl46B1VmTbg

(敬称略)
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