コタツ評論

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しゅぷれひこおおおる!

2014-05-26 10:52:00 | 政治
新しいシュプレヒコールを思いついたので披露します。

せんとらあ~る あるとっ でりーとおおお~ 

と呼びかけると、

キーッ!

と応えて、

えんたーーーっ

と歓声します。

あらゆるシュプレヒコールに違和感を覚えるのに、なぜかその場に居合わせてしまった人のために、「えんたーっ」の後に、

ざ・ぼいど

という呟きも用意しています。

解説の要もないとは思いますが、一応。
Ctrl-alt-delete key Enter the Void です。
著作権は主張しませんので、ご自由にどうぞ。

Chubby Checker - Let's Twist Again


https://www.youtube.com/watch?v=im9XuJJXylw
https://www.youtube.com/watch?v=K65-l_2-W14

Enter the Void については、事前に観ておく必要はありませんが、デモや集会の前に、Twist 動画を観て、空気入れる必要があるかもしれません。ただし、こちらには著作権があります。いっそ、「しゅぷれひこおる!」ではなく、「れっつつぃすとあげえいん!」とリードしたらどうかという当然の意見も出るでしょうが、踊り出してしまうと隊列を乱すことになり、デモ規制に引っかかるはずなので、難しいです。

(敬称略)

今夜は、 Bang Bang

2014-05-25 00:38:00 | 音楽
最初にヒットさせたのは、1966年のシェールですが、オリジナルはフランスの歌だそうです。哀調あるヨーロッパ的なメロディを、乾いたアメリカン・ポップスにしたのがナンシー・シナトラでした。最近では、タランティーノ映画「キル・ビル VOL1」のオープニング使われてリバイバルヒットしました。

Nancy Sinatra Bang Bang (My Baby Shot Me Down) Kiil Bill


幼なじみの男の子と女の子の恋物語です。

木の棒(Stick)を馬に見立てまたがり、西部劇ごっこをする、「バンバン」
いつも彼が勝って、私は負けて床に倒れる、「バンバン」
やがて、二人は大人に。彼は私の、私は彼のもの、「バンバン」
音楽が奏られ、人々は歌い、教会の鐘は鳴り、二人は結婚、「バンバン」
ところが、ある日突然、彼は行き去ってしまった、「バンバン」
サヨナラもいわずに、嘘さえつく暇もなく、「バンバン」
私の心は撃ち抜かれた、耳に残るイヤなあの音、「バンバン」


では、お父さんのフランク・シナトラが彼(He)を彼女(She)に変えると、西部劇ごっこで勝ちを譲る内気な男の子と奔放で勝ち気な女の子の味わい深い歌になります。

Frank Sinatra - Bang Bang (She Shot Me Down )


で、いまやシェールよりシナトラより、もっとも有名な Bang Bang です。なんと、ロンドンで Live やってます。振り付けとバックダンサーが暗黒舞踏っぽいです。

にんじゃりばんばん(Ninjya Re Bang Bang Live London High Quality Audio)kyary pamyu pamyu


もっとも、かっこいい Bang Bang です。

Jackie Mittoo & the Skatalites - El Bang Bang.


もっとも、笑える Bang Bang です。これは北島三郎や五木ひろしの真似をするコロッケですね。

Pops Williams & Temptones Bang Bang Bang


(敬称略)

私たちのセウォル号 フクイチ

2014-05-22 04:56:00 | 3・11大震災
「吉田調書」に激震、が走ってないんだな、これが。

所長命令に違反、原発撤退 福島第一、所員の9割 政府事故調の「吉田調書」入手
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11144817.html?_requesturl=articles%2FDA3S11144817.htmlamp;iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11144817

東日本大震災4日後の11年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた。

修学旅行の高校生乗客を置き去りにして、真っ先に逃げ出したセウォル号沈没の船長・船員たちと同じにみえる。もちろん、同じではない。船長ともいえる吉田昌郎所長やフクシマ50の現場作業員たちは、逃げずに残って懸命に奮闘した。乗客の救助を優先して亡くなったセウォル号の一般乗務員たちと、フクシマ50の作業員は同じかもしれない。

先日、韓国のパク・クネ大統領は、セウォル号の救助失敗を落涙しながら国民に詫び、その責任があると海洋警察の解体を言明した。セウォル号沈没の全容と責任はほぼ明らかになりつつあり、その背景となった、企業の利益偏重、業界の安全軽視、官民の癒着腐敗、官僚・政治家の不作為などについて、厳しい追及がはじまっている。

あえて、わずかとするが、300人余の犠牲者を前にして、韓国は自己否定に等しい総懺悔の渦中にあり、国家改造まで着手しようとしている。そのきっかけのひとつは、沈没必至にもかかわらず乗客に待機するよう船内放送しながら、自らは真っ先に逃げ出した船長と船員たちの姿に衝撃を受けたからだろう。

フクイチでも、当時の枝野官房長官による、「ただちに健康には影響がない」という放送はあったが、所員の9割が逃げ出した事実が発覚することはなかった。セウォル号は人々の眼前で沈没していったが、フクイチでは遠景のTV画像は注視されても、原発の近くにマスコミ記者の姿はなかったからだ。

韓国の船長と日本人の魂
http://takedanet.com/2014/05/post_0ab8.html

福島原発が2011年3月12日に爆発してほどなく、福島県に行っていた大手テレビ、全国紙の新聞の記者は一斉に福島から引き揚げた。

セウォル号沈没とは比べようもない被害をともなうフクイチの危機に際して、報道機関もまた、いち早く事故現場から逃げ出していた。きっかけという事実といっしょに、避難したわけだ。フクイチとセウォル号を事故とすれば、その異同を並べるのは無意味なことだが、事実がどのように扱われたのかについては、じゅうぶんに意味があるはずだ。

セウォル号とフクイチの最大の違いは、フクイチでは、「船員」が逃げ出した事実が3年間も明らかにされず、隠されてきたことだろう。「船員」が逃げ出したことより、その事実が隠されてきたこと、3年間もの長きに渡って、それが可能であったこと。はるかに問題なのは、そのことであり、それ以外にはないと思える。

自らの立場に置き換えてみれば、セウォル号の船員や福島第一原発の所員、あるいはマスコミ記者が逃げ出したことを一概に責める気にはなれない。その場にいれば、私も逃げたいと思っただろうし、逃げたかもしれない。少なくとも、留まって死ぬことが仕事だとは、とうてい思えない。

しかし、個人が保身に走ることと、逃げた事実がなかったことにされるのでは、まったく別な話である。セウォル号と同様に、フクイチからも、所員の9割が現場から逃げ出したという事実をそのとき知っていれば、その後に起きた、あるいは明らかになった、いろいろな事実の見方はずいぶん変わっていただろう。

セウォル号の沈没は「人災」であることは疑いようもなく、未必の故意、不作為による「殺人」まで取りざたされ、責任の所在が洗い出されようとしている。そうした「犯人」「悪人」捜しにとどまらず、政治権力や社会の構造にまで踏み込んだ検証を国民は期待し、パク・クネ政権も本気で取り組もうとしているようだ。しかし、日本ではそうはならなかった。

それは、こう言い換えることもできる。セウォル号の沈没によって、韓国の体制はわずか1か月で大きく揺らぐほど、その脆弱な権力基盤を晒したからだと。一方、セウォル号よりはるかに甚大な被害を出しているフクイチでは、国民の安全に関わる重大な情報を3年間も秘匿できるほど、体制は揺るがず権力基盤は強固に保たれたと。

もちろん、べつな言い換えもできる。日本は韓国に比べて、自浄能力や復原力において、いちじるしく劣っていると。

ドライベント、3号機準備 震災3日後、大量被曝の恐れ
http://www.asahi.com/articles/ASG5N2F8DG5NUEHF003.html

(敬称略)

今夜は、ジプシー・ムジカ

2014-05-21 10:58:00 | 音楽
あいかわらず、カティカ・イレイニさんへアクセスが多いです。いずれ、クレヅマー(Klezmer Band)の特集をしたいと思っていますが、今夜は、ジプシー音楽(Gypsy Folk Music)を。東欧ユダヤ人の音楽とされるクレヅマーとジプシー音楽は、ほとんど同じように聴こえます。

ルーマニアのジプシー・バンドです。といっても、ご存じのように、ジプシーは越境の民ですから、国や民族は無意味です。歩いてゆける範囲がバルカン半島なので、バルカン民謡になるのでしょう。

Taraf De Haidouks - Balkan Gypsy Folk Music


ジプシーは越境の民と記しましたが、楽士やサーカス、物乞い、その他の出稼ぎとして、その多くは定住する村から、野越え山越え、はるか異郷の村や町まで越境したわけです。次の動画は、そんなセルビアのジプシー村をとらえています。

Guca : Cocek Srece Chochek of Happiness Gypsy Groovz Orchestra featuring Dusko Gojkovic


ジプシーの食卓をルポした一編が収録された『被差別の食卓』を思い出しました。解説によると、「ジプシーのコミュニティは、自然と調和した彼らの生態学的に正しい生活を違法に行っている」とあります。違法とは、たとえば、許可されない非衛生な温泉プールのことのようです。映画「ゴッドファーザー」で、マイケルが一時暮らしたシチリアの村人たちに風貌も音楽も似通っていますね。

さて、ブラームスのハンガリー舞曲のオリジナルを弾いています。ブラームスやレコード会社は著作権料を払っていないのでしょうね。誰が作ったかも知れないので、払いようがないのですが。

(Pt.2) Gypsy violinist Roby Lakatos - 'Hungarian Dance No.5' (Music Show, ABC Radio National)


お祭りの宴席で演奏しているようです。芸能人を呼んだ豪華な結婚披露宴や会社の周年記念パーティにも出席したことがありますが、大仰すぎてこんな風にさりげなく傍らで演奏してくれません。

Spanish Gypsy music


チェロの独奏は珍しい。

Gypsy Cello ~made by Adam Hurst, Original Music


(敬称略)

公園にて

2014-05-20 02:47:00 | ノンジャンル
「逃げるんじゃねえ! てめえっ」
夕刊フジのウルムチ駅爆破テロ事件を読んでいたら、つんざくような子どもの声。習近平が新疆ウイグル自治区を初視察中に、82人が死傷した大規模な爆弾テロが起きた。倒れよ、中華人民共和国政府。お前に正統性はない。

公園のベンチから立ち上がって声の方をみると、小学校4、5年の男の子が3人。自転車にまたがり両足のつま先をつけている金髪の子に向かっている。(3対1か、1人は外人の子のようだ。これはイジメだな)

「何やってんだあ、こらあ!」
大声出したら、近くのベンチでチワワやプードル抱いてお話しに夢中の犬ママ2人が飛び上がった。金網フェンスに囲まれた、テニスコートを3面も敷けばいっぱいになるほど狭い公園だから、サッカーのボールは止まり、ピッチャーはバッターに投げられず、こちらをうかがっている様子だ。もう、後悔しはじめた。

歩み寄る俺を、棒立ちの男の子3人が目を丸くして見ていた。自転車の金髪の子はうつむいている。前のカゴにはぼろぼろのサッカーボールが入っていた。
「大声をだして、なんだお前はっ」
とまた大声を出した。

「だ、だって、こいつが・・・」
いちばん体格がよく、きかん気の顔つき、やっぱり、こいつがリーダーらしい。口ごもりながらも、気丈に怒鳴られたショックから立ち直ろうとしている。ほかの二人は俺から目を逸らしている。
「こいつが、話があるって呼んでいるのに、行こうとするから」
と瞳を伏せながらだが、不満そうに口を尖らせる。

「さっき、お前、逃げるんじゃねえって言ったよな。ああ、どういう意味だ。どこへ行こうとこの子の勝手じゃねえのか?」
とたたみかけた。
さらに口を尖らせ、何をどう言おうか、迷っている様子。

瞳は薄い青、睫毛も金髪の端正な小顔を、うつむかせたままの外人の子を見遣る。3人に比べると、ひとまわり小さく細い。何か言いたそうな様子で、ちらちら俺を見る。(言いたいことがあるなら、言えよ)と口を開くのを待つが、開かない。しかたなく、視線を戻す。

「来ると云ったのに来ないし、遅れてきたくせに・・・」
とこちらは自分のスニーカーに話しかけている。いっこうに話が見えない。介入したのをはっきり後悔しはじめたとき、
「あのですね、」
と割り込んできた子がいた。残りの二人のうち、えらの張った子だ。

「この子は」
と肩に手を置いた。
「ダイキ君は、昨日、犬が死んじゃって、今日お葬式だったんです」
新事実は出たが、相変わらず、話は見えない。しかし、「この子は」とまず客観的な立場を示し、笑顔を浮かべながら俺の目を見て、落ち着いた口調で話すのに感心した。子分その1かと思っていたが、これは大人になると出世するタイプだなと頷いて、先をうながした。

「ウッウッ」
と声がする。
ダイキ君がとしゃくり上げはじめたのだ。ちょっと狼狽した。
犬ママたちは話を再開し、ボールを追う子どもたちの声も戻っていた。

「それで、君は約束を破ったのか?」
めまぐるしく考えながら、金髪の子に俺は尋ねた。ダイキ君は、仲間からとりなすような発言があったから泣いているのか、犬が死んだのを思い出して泣いているのか。いずれにしろ、ときに素直に感情を表に出す、開っぴろげなところがあるから、ダイキ君はリーダーなんだろう。人望とは弱さを支えたいという思いなんだなと納得していたりした。

金髪の子の頑固そうに結ばれた口許がようやく開いた。
「ぼ、僕は、たしかに、遅れてきたけど、約束は破ってない」
「そうなのか?」
誰にともなく俺がいうと、
「だから、今日はダイキ君の犬のお葬式で、リン君はあとで来るっていったのに」
と先ほどの子。

「約束ってのは、公園に来るってことなのか、犬の葬式にくるって約束なのか」
「それはですね、ダイキ君の犬のお葬式のときに、」
という声は無視した、如才はないが頭はよくないようだ。金髪のリン君に顔を向ける。
「ダイキ君の、おばあちゃんの、家に、遊びに行ったときに、僕のことを、嘘つきだ、とダイキ君が云ったから、それで僕は、」
と、つっかえ、つっかえ、云う。
「だから、話をしようって云ったのに、無視して行こうとするから」
とそこにダイキ君。目の縁が赤い。

もう、面倒くさくなってきた。小学生のケンカの仲裁も満足にできない俺自身に、いちばん面倒くさくなっていた。イジメどころか、ケンカでもなさそうだし、話はちっともわからない、さっさと切り上げたかった。
「とにかくだ、仲良くやれよ、なっ」

その後に起きたことは、すぐに起きたわけじゃなく、よくわからない事実関係の説明と沈黙がかなり続いた後に起きたことだが、俺の子ども時代からみると、ちょっと意外な成り行きだった。ダイキ君がリン君に、「ごめん」と手を差し出し、リン君が「僕も」と云って握手したのだ。その間、引き上げるタイミングをつかめぬまま、俺はぼんやり立っていただけだった。

それから、一週間。日曜日の夕方、俺は公園で一服していた。この狭い公園には、珍しく吸い殻入れが備え付けられたベンチが2脚ある。ベトナムの反中デモは抑え込まれた。にもかかわらず、中国は激しいベトナム批難を続け、中国企業の被害に補償を要求している。日本への反日デモの被害には補償を口にすらしなかったのに。中国の批難に正当性はない。

バットとグローブを持った二人の小学生が通りがかりながら、笑顔でこちらを見ているのに気づいた。
目が合うと、
「この前は、ありがとうございましたあ」
と二人は口をそろえた。
二人がダイキ君とえらの張った子であることに、ようやく気づいた。
「おおっ」
と俺は間の抜けた声を上げ、すぐ近くなのに手を振った。

最近の子どもは、よくなった。昔より、ずっと、よくなったな。