コタツ評論

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私が捨てた・・・

2002-06-26 23:03:00 | ダイアローグ
ワニを拾った
測ってみると鼻先から尾っぽまで2.2m
バスルームをねぐらに与えることにしたので
銭湯代わりにスポーツジムに入会した
シャワーのみで浴槽がないのが難点だが
水道代やガス料金を気にせず盛大に使えるし
シャンプーやリンスも使い放題なのは快適だった
ナイト料金月額4,500円を捻出するために
新聞をやめたおかげで
ワニの消息を探す記事が載ったかどうかはわからない

浴槽につねに湯を張っていても寒いらしく
ベランダに出して日光浴させるのが日課になった
ペタシペタシと移動の途中
キッチンを過ぎるあたりで
私を振り向くようになったら食事の頃合いだ
餌は鶏肉である

これは安いので助かった
1週間に1度10kgほどをやればよい
やはりブランドの鶏肉が旨いらしく
安い冷凍鶏肉とは食いっぷりが違う
名古屋コーチンは食わしたことはない
牛肉並みに高価ということもあるが
美食させると後戻りができないことを
以前に飼っていた猫で知っていたからだ

半開きにしている寝室の襖から覗くことがある
気づいたときは起きていって
バスルームで背中に付いたコケをタワシで擦ってやる
スニーカーを洗うよりは骨が折れるが
換気扇の油汚れを落とすよりかは楽なものだ
糞はそこいらで見境なくする
後始末にうんざりして
お前の飼い主はさぞや心配しているだろうなあ
と聞こえよがしにいうと
涙ぐんでいるように眼が濡れる
あまり冗談は通じないようだ

たまに痛めつけるときもある
狭い2DKに2.2mがいつも横たわっているのだから
ときどきはイライラするものだ
まずはつま先に鉄板の入った頑丈なワークブーツを履く
以前に便所前にいた背中を寝ぼけて踏んづけてしまい
足の裏が血だらけになったことがあるからだ
次に掌部分にゴムが張ってある園芸用の軍手をはめる
そしてボロ布を巻いて松明のようにしたホーキをくわえさせる
それから折檻だ

意外に白く柔らかい腹を
サッカーのゴールキックのように蹴り上げる
もちろん暴れて抵抗するが
狭い室内では武器である長い尾を振りようがない
怒りに眼を充血させながらホーキを噛みしめている
哀れな捨てワニである
それもほんのたまのことだ
わざわざ身支度するのは面倒くさいし
私は好んで動物を虐めるような人間ではない

買い物から帰ってくるとたいてい玄関で待っている
スーパーのビニール袋を下げていれば
キッチンまで従いてくるあたり
尾っぽを振らないだけで犬とあまり変わりない
何のつもりか居間のTVに向かって
口を大きく開け続けているときがある
ゴミ箱代わりに紙くずを丸めては
いくつも放りこんでやった
ちょっとしたバスケットゲームである

一度人気がないのを確かめてから
深夜の公園に連れて行ったことがある
大型犬用の鎖を幾重にも胴体に巻いた姿は
一見凶悪なプロレスラーのようだったが
野犬の声を聞いたとたん
公園のベンチの下に隠れて出てこず
体重50kgをひきずって帰る羽目になり往生した
それ以来散歩はあきらめた
故郷のアフリカではどうかしらないが
練馬ではからきしである

名前はつけていない
他に生き物はいないから
おいとか、おまえで事足りる
ほとんど動かないから呼ぶ必要もないのだが
半年ほどそんな日々が続いたが
あまり面倒を見ることができなくなった
鶏肉をやるのは2週間に1度になったし
日光浴をさせることも減った
背中をタワシで擦ってやるのも怠けたので
バスルームには悪臭がこもってきた
私に彼女ができて忙しくなったからだ

贅沢をいう女ではないが
まさかワニ付きの男と暮らしてくれるわけはない
悪いけど出て行ってくれないか
とワニにいってもしかたないので
深夜に公園に連れていってベンチに繋ぎ
早朝警察に電話した
ゴミ収集所で見つかったそうで
近所は大騒ぎになり保健所が呼ばれたらしい
どこかの動物園かワニ園にでも引き取られたのだろう

変な臭いがする部屋と
彼女は顔をしかめていたが
一緒に暮らしはじめた
しばらくはそれなりに楽しかったが
1年も経つと
あまり動かないところや
白目を剥いている寝顔
まったく役立たずなことは
さほどワニと変わらないことに気づいた

ある日玄関のドアを開けたら捨てたワニがいた
なぜか背中一面に黄色のペンキがかかっていた
とりあえずバスルームに隠して
寝ている彼女を叩き起こし
喚き罵る彼女の身の回り品をバッグに詰めて
部屋から追い出した
2匹もワニを飼うわけにはいかない
無口なだけ彼女よりマシというものだ
ワニが雄か雌かは知らない
年齢がいくつなのかも知らないのだが

(02/06/26)

アイスクリーム

2002-06-25 23:33:00 | ダイアローグ
色あせた紫陽花を背に
門扉の内側に屈み
私は待っていた
これなら通行人に見られることはない
玄関ドアのノブが回り
この家の主人が出てきた
私はゆっくり立ち上がった
訝しげにこちらを見た
左手の写真と比べながら近づいた
そっくりとはいえない
名前を尋ねた
違うとはいわなかった

男に囁きかけるように身体を寄せ
右手のナイフを肝臓の位置に定め
刺し通してから抉った
前にのめろうとする男を支え
首筋を抱えこんで
玄関前の小さな階段に座らせた

かすかな溜息が洩れた
男か私のどちらが発したものか
少し考えた

門扉を閉めながら
酔いつぶれたように頭を垂れた
男を一瞥した
振り向きざまに
何か柔らかいものに触れた
10歳くらいの男の子が立っていた
いつからそこにいたのか
愚鈍な顔つきで私を見ていた
とっさにその子の手を引いて
歩き出した

住宅街では車は人目につく
乗ってこなかったのは正しい
悔む必要はないと自分に言い聞かせた
とにかく駅まで歩くしかない
しばらくして小さな商店街が見えてきた
男の子の緊張が少し和らぐのを右手に感じた
コンビニでアイスクリームを買い与えた

釣り銭も握らせると
男の子の表情がほころんだ
両手にアイスと小銭を握ったまま
困った表情を浮かべていた
アイスを持ってやり
小銭を握った手を開いてやったら
眼を開いて数えていた
信頼の表情が浮かんだ
コンビニの裏手で
男の子がアイスを舐め終わるまで
20分以上はかかった

「家はあの近くなのか」
「うん」
「お父さんは何してる」
「いない」
「お母さんは」
「ビール屋さん」
「酒屋なのか」
「ううん、ビール屋さん」
「ビール工場にでも勤めているのか」
「ビール屋さん」
「このあたりにビール工場なんかないぞ」
「お母さんがそういった」
「嘘つけ、お母さんはどこで働いている」
「駅のほう」
「駅のどこだ」

私は木切れを拾って地面に直線を引いた
捨ててあったコーヒーの空き缶を真ん中に置いて
ここが駅だと示した
男の子は瞳を輝かせて地面に見入り
「ここに自転車屋さんがあって、
ゲーム屋さんがあって、
なんでもない屋さんがあって、
床屋さんの隣」
といった

ほどなく駅の北口に床屋を見つけた
なんでもない屋さんといったのは
閉じた小児科医院のようだった
その一角には酒屋もビール工場もなかったが
男の子は嘘をついてはいなかった
たしかにそこでは毎晩たくさんのビールを売っている
いまは廃車の下で仰向けになっている男の子の
行方を気にするのは
その母親くらいなものだろう

上着の裾に付いたコーンの屑を払った
「殺し屋さんだね」
そんな声が聞こえた気がした
溜息をついたのは誰なのか
今度は考えるまでもなかった

(6/25/02)






軽井沢、夕暮れ、アランフェス協奏曲

2002-06-25 23:20:15 | ダイアローグ
ブラウンケーキの堅いパイ生地に
上品な造りだがへなちょこナイフで挑むように
掘り始めの砕石混じりの堅い地面には
スコップはなかなか歯が立たなかった
ツルハシがあればと思いながら辛抱強く削った
徐々に柔らかく温かな黒い土層に変わり
やがて柄の部分まで深く入るようになった
アップルパイを切り分けるように
慎重に土塊を凹部に載せて運び上げると
スコップに残り付いた土を剥ぎ落とすために
刃先を横にして何回か地面を叩く
そのリズムがクレッシェンドになり
時おり拳大の石に当たり中断すると
またアダージョからはじまる
ひとつのメロディが頭の中でリフレインしていた
二時間ほどで俺の棺桶は腰上まではかどった
長方体の内角をスコップの先で整えながら
あたふたと逃げ走る大小様々な虫を眼で追った
真新しかったスコップは土と俺の汗でまだら模様になり
光り輝いていたエナメルのスリップオンには
醜い横皺が重なっていた
「それ、こっちへ寄こせよ」
地上の男がちぎれ落ちた俺の銀のカフスを指さした
「安物だぜ」
男の合成皮革の靴も乾いた土で白く汚れていた
見上げた俺に夕日を背負ったシルエットがかぶさり
俺は俺の死神に笑いかけた
「そろそろかな」
俺たちの声が重なった

(6/25/02)