最近、車を運転していると「言葉のチカラ」が聞こえてくるのだが、まことにゾッとする。採録するのもおぞましい代物だ。もうね、徹頭徹尾間違っているだけでなく、無反省と無責任に対する無自覚。チカラとカタカナ書きにして留保する卑劣さ。アメリカのような悪逆非道もヤだが、愚かしさがそっくり返っているような「言葉のチカラ」がカーラジオから繰り返し流されるニポンもヤだ。あまり言上げする人がいないのは、正視・正聴に耐えないからだろう。唯一の救いはそこだけだ。ああこんな「言葉のチカラ」はヤだ、という反面教師として私たち、とくに青少年の言語感覚の出発点になっていくなら、大変けっこうなことだ。近年、「美しい日本語」や「声に出して読みたい日本語」など、気色の悪い「日本語」ブームが続いてきたが、その政治的な目論見はこのA新聞の「言葉のチカラ」によって見事粉砕された。こういう地平に引きずり降ろされたら、もうどうしようもない。すると、「反日」から捨て身の反撃か。いやいや、没主体とはこれ以下ががないバカのこと。バカに捨て身も迎合もあるものか。とにかく車を運転するときは、カーラジオをつけない、つけるならなるべくFMにしよう。ぼんやり聴いていると耳が腐るからご用心。