コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

滝川 雅美さん

2008-04-30 23:29:18 | ノンジャンル
花音(かおん)、心愛(ここあ)、里愛(りあ)、芽依(めい)、美羽(みう)、杏(あん)、凛香(りんか)、月愛(るな)といった名前であってもおかしくないのだが、雅美(まさみ)という平凡な名前なのである。しっかりしたお母さんなのだと思う。ちなみに弟さんの名前は武(たけし)だそうだ。

滝川クリステルでは、シルビア・クリステルという人がいたように、家名+家名だから、いわば田中斎藤である。 滝川クリステルという名は局のプロデューサーがつけたそうで、本人の意思ではなかったようだが、たぶんお母さんがつけた雅美という名で家族や友人の間では呼ばれているのではないか。23時30分のモナリザが、まさみと呼ばれて振り返る姿を想像するとちょっと嬉しくなる。

一度書いて顰蹙を買ってしまったが、NHKの首藤奈知子さんとこの滝川雅美さんは好もしく思っている。ご両人とも、ほんのわずか変だ。周囲に溶け込んでいない。そこが個性的だと思っている。滝川雅美さんの身長は160cmだそうだ。首藤さんと滝川さんの小柄コンビでニュースやってくれないものか。むさ苦しい男の面は見たくない。飯がまずくなる。二人とも気が強そうだから、緊迫感のあるニュース番組ができると思うがなあ。


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最近、買った本

2008-04-30 00:25:02 | 新刊本
『アホでマヌケなアメリカ白人』(マイケル・ムーア 柏書房)
『狼の血』(鳴海 章 光文社文庫)
『日本文学盛衰史』(高橋 源一郎 講談社)

『アホでマヌケなアメリカ白人』はBookoffで。すでに文庫になっています。
同じ店で『Newsweek 日本語版 映画ベスト100』を同じく100円で売っていたので併読してみて、2つのことがわかった。「わが心のベスト100」を書いているアメリカ人のデビッド・アンセンという映画記者の選定に、俺はさほど違和感がなかった。つまり、俺の映画の好みは平均的なアメリカの映画好きと似ている。ハリウッド映画に出てくる、背が高くてハンサムで、目にも止まらぬ右フックを繰り出す、プール付きの家に住む金持ちのアメリカ人になれたみたいで、ちょっと嬉しい。

とニヤついていたら、だらしなくデブついた眼鏡男のマイケル・ムーアに鼻先で放屁されたような気持ちになった本が、『アホでマヌケなアメリカ白人』である。こういう下品極まるタイトルと装丁に加え、くだけすぎてアル中の繰り言のような翻訳の本について、こうした紹介の仕方はまことにそぐわないと思うが、アメリカについて何か考えたり書いたりするときには、必ず参照すべき必読文献であると思う。

アメリカについて何か考えたり書いたりしない人にとっても、日本について何か考えたり書いたりする場合は、やはり必読すべき重要な本だと思う。東経123度~147度、北緯24度~46度に位置するこの小さな島国が、こんなにデタラメで非道なアメリカの属国であることに甘んじなければならない理由を何とか見出すためだ。見出せなかった場合、日本について何か考えたり書いたりすることはできなくなるだろう。

『狼の血』については、わるくない小説だと思う。しかし、『アホでマヌケなアメリカ白人』を読んだ後では、その抑圧と鬱屈の無理が目立つのだ。だって、彼の国に比べれば、日本はずっとましな国だもの。いずれ感想を書くつもりですが、深読みすると別なモチーフが現れるかもしれない。

『日本文学盛衰史』。堂々たる箱入り515頁。明治の文豪たちが現代人のように語りはじめて、圧倒的なおもしろさ。「巻置くに能はず」。読み出したら止められず、本を置くことすらできないという意味だろうが、俺の場合、本当におもしろい本に出会うと、すぐに読むのを止める、また取り出して少し読み、すぐ止める。アイスクリームを周りからちびちび舐めていく子どもと同じになる。『日本文学盛衰史』は久しぶりに読むのが惜しくなる本だ。これもいずれ。
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怖ろしい映像

2008-04-23 13:21:29 | ノンジャンル
ネットでは残虐やグロ、幽霊や化け物、あらゆる怖ろしい映像を観ることができる。俺にはこの映像がこれまでのなかでもっとも怖ろしかった。これを見る前と見た後では、世界が違ってしまった。

http://www.youtube.com/watch?v=_LHoyB81LnE


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エディット・ピアフ 愛の賛歌

2008-04-21 00:10:45 | レンタルDVD映画
http://piaf-movie.exblog.jp/

ピアフという名は雀という意味らしい。街頭で歌い小銭を得ていたピアフを見出した有名クラブのオーナー・ルブレが、チビで痩せっぽちのもじゃもじゃな赤毛と、大きく響く強靱な歌声から思いついた芸名がラ・モーム・ピアフ(小雀)だったという。美空ひばりと同じである。

ピアフとほぼ同時代を生きた著名な女性歌手が他に二人登場する。一人は、マレーネ・デートリッヒ。ニューヨーク公演のステージの後、デートリッヒがピアフの席まで足を運び、ピアフの歌を「パリの魂」と謝辞を述べる。もう一人は、アメリカ不世出のジャズ歌手ビリー・ホリディ。ビリーの肖像写真を前にして、ピアフは、「ビリーと同じ年生まれなの」と尊敬を込めて語る。

この映画は、ピアフを演じてアカデミー主演女優賞を得たマリオン・コティヤール一人の映画と思えた。大きな眼を見開き、怯えた小動物のように、親に叱られた子どものように、キリスト像を見上げる修道女のように、相手の嘘ではなく真実を見ようとするかのように、真剣に見つめる潤んだ瞳が、『道』のジャルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)を思わせる。

貧しく孤独な生い立ちから歌手となり、シャンソンの絶頂を極めながら、酒と麻薬によって心身をボロボロに痛めつけ、まだ47歳という若さにして、80歳の老婆のようになって死んだピアフを熱演して、後生に語り継がれるマリオン・コティヤールの名演である。それが、森光子の『放浪記』や杉村春子の『女の一生』のような、閉じたベタフィクショナルな「女優物語」に止まるのを免れたのは、マリオン・コティヤールの32歳という若さだけでなく、エマニュエル・セニエが演じた娼婦ティティーヌがいたからだと思う(ベタフィクショナルなんて言葉はもちろんない)。

ピアフが立つステージの前に居並ぶのは、その残酷な現実に押し潰されない愛と希望を歌った声に胸打たれているのは、同じく街頭で歌って乞食に等しい生活をしていた母や、売れない大道芸人だった父、幼いピアフを献身的に愛したティティーヌたち娼婦、あるいは貧しく弱い者たちを食い物にするアルベールのような悪人たち、ではなく、ピアフとは無縁な裕福で教養もある上品な階級の人たちだった。

ピアフは、栄養失調からくる発育不全の身体と下品な皺枯れ声によって誰もが一目でわかるような、貧困と虐待が渦巻く「下町育ち」として、彼らの前に立っている。その孤独な闘いがピアフの心身を蝕んでいったと描かれている。カムバックの舞台で倒れたピアフは、「歌わせて」「舞台に戻らせて」「観客が待っている」と周囲に号泣・懇願する。「せめて一曲でも歌い切らなくては、自分を信じることができないのよ」と哀訴するのだ。

美空ひばりが死んだとき、その葬儀に集まった数千のおばさんファンたちは、美空ひばりの出自と同じく、裕福ではなく、教養にも乏しく、下品な化粧と悪趣味なファッションに身を包んだ女性たちだった。しかし、同胞から支持され愛されてきたという点では、美空ひばりは、ピアフよりずっと幸福な歌手だったように思う。

ピアフと同様に不幸な生い立ちで麻薬に溺れたビリー・ホリディだが、ジャズ歌手となってからは、レスター・ヤングなど数多くの音楽的同志・家族に囲まれ、白人と黒人を問わず、ジャズファンからは等しく「レディ・デイ」と敬愛された。比べて、ピアフはどうだったか。

ピアフの代表曲として知られる「愛の賛歌」はまた、日本では越路吹雪の持ち歌として有名だ。越路の歌唱は当然のことながら、ピアフの影響を強く受けている。宝塚を退団後、芸に行きづまった越路はパリへ遊学し、最先端の映画や演劇、レビューを耽溺、吸収した。しかし、肝心のシャンソンでは、ピアフ以外に感銘を受けた歌手はいなかったという意外な談話を残している。

この映画では、ピアフと音楽的な紐帯を結ぶ音楽仲間は登場せず、ピアフの歌を熱烈に愛するファンの姿も描写されることはない。もちろん、ピアフの歌は、デートリッヒが「パリの魂」と讃えたように、貧しい庶民の心に届き、彼らをひととき慰め、口ずさましたであろう。

少女ピアフが初めて人前で歌って金銭を得た場面はこうだった。父の大道芸が受けず、「娘が何かやれ!」と観客から声がかかる。見料を入れてもらう帽子を持って回る役目だったピアフが、父親から押し出され、おずおずと歌いはじめたのは、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」だった。

周知のように、「ラ・マルセイエーズ」は、血なまぐさい革命の歌である。その歌を国家から見捨てられたような貧民街で、年端もいかないみすぼらしい大道芸人の娘が、やはりその日暮しの貧しい聴衆の前にして、朗々と歌い上げる。その場違い人違いの国歌に、最初は戸惑っていた聴衆も、いつしかピアフの歌唱に惹きこまれ、最後には拍手が沸き起こる。歌い終えた少女の顔に広がる、安堵と歓びの笑み。傍らには少し妬ましげな父の作り笑顔。この映画のなかで、ピアフが自らと同じ境遇の貧しい人々と交流し、交歓するのはこの場面だけだった。

映画はむしろ、ピアフと大衆の断絶を執拗に描く。義姉妹の契りを結んだシモーヌにさえ、華やかなパーティ会場で「あたしもピアフになれた!」と毒づかれるように、階級を越えて成り上がった栄光の裏側には、失意に打ちのめされた人々の妬心が数倍している。一躍、ナイトクラブの人気歌手となったピアフだが、「下町」の悪党・アルベールとの癒着が暴かれ、スキャンダルにみまわれると、それまで拍手喝采していた観客は、掌を返すかのようなブーイングで、ピアフをマイクの前に立ち尽くさせる。

わずかな登場場面しかないが、この悪党・アルベールが印象的だ。ピアフは街頭で歌って稼いだ金をアルベールに掠め取られていた。「こんな少ない稼ぎなら、街に立たせて身体を売らせるぞ!」とアルベールはピアフを脅しつける。「それだけは嫌! 娼婦だけは嫌!」と泣くピアフ。「もっと稼ぐから、捨てないで、アルベール!」。足音荒く立ち去るアルベールの後ろ姿に叫ぶピアフ。

ナイトクラブでデビューして喝采を浴び、オーナーのルブレが招いた名士たちを引き会わされて有頂天のピアフ。当時は現在のTV以上に支配的なメディアだったラジオ局の大物を紹介されたのに、「ちょっと用があるから」と早々に切り上げてしまうピアフ。「呆れた小雀だ」と呆然とするルブレを尻目に、ピアフが向かうのはアルベールの元へ。望外の稼ぎを得たピアフは、それをアルベールに届けるために、浮き立つように駆けていくのである。

ピアフにとって、さきほどまで一緒にいた、自分を賞賛してくれるきらびやかな名士たちより、粗暴で残酷なアルベールたちの方が、ずっと近しく親しい存在だったからだ。「こんな稼ぎなら、街に立たせて身体を売らせるぞ!」というアルベールの脅しは、もちろん実行をともなうものだが、「下町」においては、飲んだくれの妹へ「しっかり者」の兄の苦言としても成り立つのである。

同じような場面がピアフの幼女時代にもあった。娼家を営む祖母の家に引き取られたピアフは、そこの娼婦ティティーヌに愛される。ある日、ピアフを抱きしめて、「もう身体を売る仕事は嫌!」と部屋に立て籠もるティティーヌに、女将である祖母がドア越しに説得する。「そんなことをしていたら、そのうち街に立つようになるよ」と脅し、「ほら、あんたの馴染みのお客がきているんだよ」となだめるが、ティティーヌは、「あんな嘘つき男なんて!」となじる。

最底辺の「下町」のなかにも、さらに上下があり、いまより下に落ちることを恐怖する。そうならず生き残るためには、たとえそれが売春や悪事であろうと、まじめに「仕事」をしなければならない。そう教え諭す、アルベールや祖母には、紛れもない情があり、その言葉には条理があるのだ。しかし、ティティーヌやピアフは、自らの「仕事」によっても、「男」によっても、けっして幸福にはなれない。幸福になるという奇跡は起こらない、それを誰もが知っているのが「下町」なのである。

つまり、それは愛することを奪われているに等しいことだ。ピアフは歌手として富と名声を得たのに不幸だったのではない。「下町」を抜け出たことによって、ピアフはもっとも近しく親しいものたちを愛する機会を失ってしまったのである。先に紹介した「ディス・イズ・ボサノバ」のなかで、ジョアン・ジルベルトが年下の友人に語ったという、「真の幸福は、人々が連帯し、誰もが等しく幸福になること」という言葉が想い出される。

「誰からも理解されない」というピアフの深い孤立感。ボクシングの世界チャンピオン・マルセルとの束の間の愛も、そうした満たされぬ愛の代償だったように思える。たまたま優しく素敵な男に出逢って心の底から愛してしまった、というピアフにとっては夢のような幸福が、暗転してからの凄まじい狂気。ティティーヌがピアフと引き裂かれるときの狂乱が重なるものだ。このマルセルへの執着については、終幕近くで謎が明されるが、ティティーヌはピアフであり、ピアフはティティーヌであるという一卵性母娘関係を考えるならば、その謎の答えはティティーヌによって、すでに示されていたのである。

「愛の賛歌」は誰のために何のために歌われたか。この映画では、誰のために何のために歌われなかったか、についてははっきりしている。ピアフの人生を語るに際して、大きなトピックであったはずの反ナチレジスタンスへの参加や、国葬として葬られた最大級の名誉について、この映画はまったく触れていない。家庭と国家もまた一卵性だからこそ、反ナチレジスタンスもフランス前代未聞の国葬も、この映画におけるピアフの人生からは排除されたと思われる。娼婦を母とする者にとって、国や戦争に何の関係があるか。


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ディス・イズ・ボサノバ

2008-04-15 20:14:53 | レンタルDVD映画
ボサノバ(新しい傾向という意味)音楽の来歴と、1960年代のボサノバ創世記を彩る個性的な音楽家や詩人の群像をインタビューを中心に紹介した記録映画である。もちろん、サンバに代表されるブラジル音楽の系譜、アメリカでは「ブラジリアン・ジャズ」と紹介された1960年代の音楽シーン、コードやリズムやメロディを微妙にずらしていくギター奏法の工夫とボーカルといった技術的な革新などについては、まったく知らなかった。

しかし、ボサノバのマエストロといわれた、いまは亡きアントニオ・カルロス・ジョビン(映画の中ではトム・ジョビンと呼ばれている)が、「あなたは世界で2番目に多くの国々で演奏された音楽家です。1番目はビートルズですが」と賛辞を捧げられたように、俺も曲名こそすぐには挙げられないが、いくつものボサノバの歌や曲を聴いてきている。ちなみに、トム・ジョビンは、「1番目はビートルズですが」に対して、「向こうは4人で、こちらは一人だけれどね」と笑ったそうだが、この映画を観ると、その笑いはたぶん照れ笑いではなかったかと思う。

在りし日のトム・ジョビンは語っている。「当時、ボサノバは非商業音楽と思われていた。誰も売ろうとは思っていなかった」。映画に登場するボサノバ音楽の創成者たちが語るトム・ジョビンとは、「ボサノバ音楽最大最高の作曲家であり、編曲家だった」「全ミュージシャンのアイドルだった」「トム・ジョビンはボサノバより偉大だった」。ジャズのバリトンサックス奏者のジェリー・マリガンやフランク・シナトラとも共演したトム・ジョビンが、ボサノバを商業音楽ではないと思っていたのだ。ましてや、後年、お洒落を鼻にかけた気取った店のBGMとして流れるなんて思ってもみなかったわけだ。

ボサノバは、けっして声を張らず、小声で語る囁くような歌唱と、かき鳴らさない爪弾くギターの音色を特色とする。なぜそうなったか。作曲家の一人はいう。「コパ(コパカナーナ)にアパート群が立ち並びはじめた頃、音楽ではない別の仕事を終えた仲間たちが、そんなアパートの一室に集まっては、夜毎、作曲した曲を持ち寄って演奏していたんだ。コパのアパートは、壁が5cmほどの厚さしかない。すぐに「うるさいっ、眠れないぞ!」と壁が叩かれる。それでだんだん声を小さくし、ギターの音も抑えていったのさ」。そんな風に演奏されていたボサノバの当初の愛好者は大学生たちだった。ボサノバの歌手や演奏家が一堂に会した最初の大コンサートは、カトリック大学の広場で開かれた。

次々にボサノバの代表曲や名曲が紹介されていくのだが、演歌と同様どの歌も同じに聞こえてしまう。歌詞もその音に似て、言葉少なく、話し言葉中心の平易なものが多い。翻訳で読む限りは、陳腐で平板とも読める。が、当時としては、口語体で詩を書く、歌詞にすることは画期的な事件だったらしい。トム・ジョビンに歌詞を提供して、ボサノバ詩を創った代表的な詩人がヴィニシウス・モラエスという人だそうだ。この2人を評して、ある女性ボサノバ歌手は、「ボサノバ音楽の聖と俗が出会ったのよ」という。ボサノバの出現によって、口語体詩という革命が起こったらしいのだ。

かくしてトム・ジョビンは、コンサート会場にもかかわらず、隣に座っている恋人に語りかけるように歌ったのである。観客がざわめいていたり、いっそう耳目を引き寄せたいときには、彼はますます声と音を小さくしていった。そんな歌や曲が、「ボサノバ(新しい傾向)」として一部には面白がられても、ブラジルでさえ主流になるとは思えなかったろうし、ましてや世界の音楽マーケットでヒットするなんて、夢想だにしなかっただろう。

ラフマニノフを愛聴し、クラシック音楽の造詣も深いトム・ジョビンの風貌が魅力的だ。どうしてかモノクロ写真のスナップには、人の精神性を映す作用があるようだ。強い意志と繊細な知性が同居した黒い瞳、真剣な表情にはなっても気難しくはならず、そこはかとないユーモアが漂う男らしい太い稜線で象られた顔。誰もが師弟となりたがるマエストロだが、その教えかたは優しい。ある作曲家は、「トム・ジョビンはけっして、その音は間違っているとはいわなかった。僕の曲をピアノで弾いてみて、ある音の所にくると、あ、間違えた、という。また最初から弾いて、また、間違えたという。何度かそれを繰り返し、僕が、間違えた音の方がよいというと、そうかいとニッコリする。人をよい方向に導いていくんだ」と想い出を語る。

ジャズファンには、前出のジェリー・マリガンの「ワンノート・サンバ」やアストラッド・ジルベルトと共演したスタン・ゲッツのゆったりしたテナーサックス音がすぐに甦るものだ。しかし、「ブラジリアン・ジャズ」だという定義には、出演者のみなが反対していた。音楽評論家は、トム・ジョビンがブラジル音楽の誰それを聴いて育った、誰それの影響を色濃く受けていたと分析して、ボサノバの母はサンバであり、トム・ジョビンが影響を受けたとすれば、それはジャズよりラベルやショパンなどではなかったかと推測する。ある演奏家の一人は、私見と断って、ボサノバは12世紀の南仏の吟遊詩人の歌や曲に似ていると語っている。

「イパネマの娘」の大ヒットで知られる作曲家であり歌手でもあるジョアン・ジルベルトの仲間の一人は、有名になる前のジョアンについてこう語っている。「クラブが引けた後、よく二人で海岸を散歩した。その頃、私は精神的なものに惹かれていた。ヨガだよ」「ジョアンは、それはすばらしいねといった」「ヨガは人に幸福をもたらす。でも真の幸福は、人々が連帯し、誰もが等しく幸福になることなんじゃないかな、といった」「彼はマルクスや共産主義の話をはじめた」「この国には、貧困が満ち溢れている。彼がはじめて、社会主義というものに私の眼を見開かせてくれた」「いまでは誰も信じない話だが、ジョアンはそんな人だった」

ボサノバとは何か。その静かで優しい調べと語りを創り愛した人々は、若い理想を胸に抱き、自分たちの感覚に合った歌や音を探していた、アマチュアか、アマチュアに近い音楽家たちだったようだ。ボサノバとは何か。作曲家の一人は、こう語っている。「ボサノバは心のありようだ」。別の一人は、「女性への敬愛に溢れた音楽」だという。そして、「ボサノバはブラジルの理想なんだ」と語っていた。










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