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ピアフという名は雀という意味らしい。街頭で歌い小銭を得ていたピアフを見出した有名クラブのオーナー・ルブレが、チビで痩せっぽちのもじゃもじゃな赤毛と、大きく響く強靱な歌声から思いついた芸名がラ・モーム・ピアフ(小雀)だったという。美空ひばりと同じである。
ピアフとほぼ同時代を生きた著名な女性歌手が他に二人登場する。一人は、マレーネ・デートリッヒ。ニューヨーク公演のステージの後、デートリッヒがピアフの席まで足を運び、ピアフの歌を「パリの魂」と謝辞を述べる。もう一人は、アメリカ不世出のジャズ歌手ビリー・ホリディ。ビリーの肖像写真を前にして、ピアフは、「ビリーと同じ年生まれなの」と尊敬を込めて語る。
この映画は、ピアフを演じてアカデミー主演女優賞を得たマリオン・コティヤール一人の映画と思えた。大きな眼を見開き、怯えた小動物のように、親に叱られた子どものように、キリスト像を見上げる修道女のように、相手の嘘ではなく真実を見ようとするかのように、真剣に見つめる潤んだ瞳が、『道』のジャルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)を思わせる。
貧しく孤独な生い立ちから歌手となり、シャンソンの絶頂を極めながら、酒と麻薬によって心身をボロボロに痛めつけ、まだ47歳という若さにして、80歳の老婆のようになって死んだピアフを熱演して、後生に語り継がれるマリオン・コティヤールの名演である。それが、森光子の『放浪記』や杉村春子の『女の一生』のような、閉じたベタフィクショナルな「女優物語」に止まるのを免れたのは、マリオン・コティヤールの32歳という若さだけでなく、エマニュエル・セニエが演じた娼婦ティティーヌがいたからだと思う(ベタフィクショナルなんて言葉はもちろんない)。
ピアフが立つステージの前に居並ぶのは、その残酷な現実に押し潰されない愛と希望を歌った声に胸打たれているのは、同じく街頭で歌って乞食に等しい生活をしていた母や、売れない大道芸人だった父、幼いピアフを献身的に愛したティティーヌたち娼婦、あるいは貧しく弱い者たちを食い物にするアルベールのような悪人たち、ではなく、ピアフとは無縁な裕福で教養もある上品な階級の人たちだった。
ピアフは、栄養失調からくる発育不全の身体と下品な皺枯れ声によって誰もが一目でわかるような、貧困と虐待が渦巻く「下町育ち」として、彼らの前に立っている。その孤独な闘いがピアフの心身を蝕んでいったと描かれている。カムバックの舞台で倒れたピアフは、「歌わせて」「舞台に戻らせて」「観客が待っている」と周囲に号泣・懇願する。「せめて一曲でも歌い切らなくては、自分を信じることができないのよ」と哀訴するのだ。
美空ひばりが死んだとき、その葬儀に集まった数千のおばさんファンたちは、美空ひばりの出自と同じく、裕福ではなく、教養にも乏しく、下品な化粧と悪趣味なファッションに身を包んだ女性たちだった。しかし、同胞から支持され愛されてきたという点では、美空ひばりは、ピアフよりずっと幸福な歌手だったように思う。
ピアフと同様に不幸な生い立ちで麻薬に溺れたビリー・ホリディだが、ジャズ歌手となってからは、レスター・ヤングなど数多くの音楽的同志・家族に囲まれ、白人と黒人を問わず、ジャズファンからは等しく「レディ・デイ」と敬愛された。比べて、ピアフはどうだったか。
ピアフの代表曲として知られる「愛の賛歌」はまた、日本では越路吹雪の持ち歌として有名だ。越路の歌唱は当然のことながら、ピアフの影響を強く受けている。宝塚を退団後、芸に行きづまった越路はパリへ遊学し、最先端の映画や演劇、レビューを耽溺、吸収した。しかし、肝心のシャンソンでは、ピアフ以外に感銘を受けた歌手はいなかったという意外な談話を残している。
この映画では、ピアフと音楽的な紐帯を結ぶ音楽仲間は登場せず、ピアフの歌を熱烈に愛するファンの姿も描写されることはない。もちろん、ピアフの歌は、デートリッヒが「パリの魂」と讃えたように、貧しい庶民の心に届き、彼らをひととき慰め、口ずさましたであろう。
少女ピアフが初めて人前で歌って金銭を得た場面はこうだった。父の大道芸が受けず、「娘が何かやれ!」と観客から声がかかる。見料を入れてもらう帽子を持って回る役目だったピアフが、父親から押し出され、おずおずと歌いはじめたのは、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」だった。
周知のように、「ラ・マルセイエーズ」は、血なまぐさい革命の歌である。その歌を国家から見捨てられたような貧民街で、年端もいかないみすぼらしい大道芸人の娘が、やはりその日暮しの貧しい聴衆の前にして、朗々と歌い上げる。その場違い人違いの国歌に、最初は戸惑っていた聴衆も、いつしかピアフの歌唱に惹きこまれ、最後には拍手が沸き起こる。歌い終えた少女の顔に広がる、安堵と歓びの笑み。傍らには少し妬ましげな父の作り笑顔。この映画のなかで、ピアフが自らと同じ境遇の貧しい人々と交流し、交歓するのはこの場面だけだった。
映画はむしろ、ピアフと大衆の断絶を執拗に描く。義姉妹の契りを結んだシモーヌにさえ、華やかなパーティ会場で「あたしもピアフになれた!」と毒づかれるように、階級を越えて成り上がった栄光の裏側には、失意に打ちのめされた人々の妬心が数倍している。一躍、ナイトクラブの人気歌手となったピアフだが、「下町」の悪党・アルベールとの癒着が暴かれ、スキャンダルにみまわれると、それまで拍手喝采していた観客は、掌を返すかのようなブーイングで、ピアフをマイクの前に立ち尽くさせる。
わずかな登場場面しかないが、この悪党・アルベールが印象的だ。ピアフは街頭で歌って稼いだ金をアルベールに掠め取られていた。「こんな少ない稼ぎなら、街に立たせて身体を売らせるぞ!」とアルベールはピアフを脅しつける。「それだけは嫌! 娼婦だけは嫌!」と泣くピアフ。「もっと稼ぐから、捨てないで、アルベール!」。足音荒く立ち去るアルベールの後ろ姿に叫ぶピアフ。
ナイトクラブでデビューして喝采を浴び、オーナーのルブレが招いた名士たちを引き会わされて有頂天のピアフ。当時は現在のTV以上に支配的なメディアだったラジオ局の大物を紹介されたのに、「ちょっと用があるから」と早々に切り上げてしまうピアフ。「呆れた小雀だ」と呆然とするルブレを尻目に、ピアフが向かうのはアルベールの元へ。望外の稼ぎを得たピアフは、それをアルベールに届けるために、浮き立つように駆けていくのである。
ピアフにとって、さきほどまで一緒にいた、自分を賞賛してくれるきらびやかな名士たちより、粗暴で残酷なアルベールたちの方が、ずっと近しく親しい存在だったからだ。「こんな稼ぎなら、街に立たせて身体を売らせるぞ!」というアルベールの脅しは、もちろん実行をともなうものだが、「下町」においては、飲んだくれの妹へ「しっかり者」の兄の苦言としても成り立つのである。
同じような場面がピアフの幼女時代にもあった。娼家を営む祖母の家に引き取られたピアフは、そこの娼婦ティティーヌに愛される。ある日、ピアフを抱きしめて、「もう身体を売る仕事は嫌!」と部屋に立て籠もるティティーヌに、女将である祖母がドア越しに説得する。「そんなことをしていたら、そのうち街に立つようになるよ」と脅し、「ほら、あんたの馴染みのお客がきているんだよ」となだめるが、ティティーヌは、「あんな嘘つき男なんて!」となじる。
最底辺の「下町」のなかにも、さらに上下があり、いまより下に落ちることを恐怖する。そうならず生き残るためには、たとえそれが売春や悪事であろうと、まじめに「仕事」をしなければならない。そう教え諭す、アルベールや祖母には、紛れもない情があり、その言葉には条理があるのだ。しかし、ティティーヌやピアフは、自らの「仕事」によっても、「男」によっても、けっして幸福にはなれない。幸福になるという奇跡は起こらない、それを誰もが知っているのが「下町」なのである。
つまり、それは愛することを奪われているに等しいことだ。ピアフは歌手として富と名声を得たのに不幸だったのではない。「下町」を抜け出たことによって、ピアフはもっとも近しく親しいものたちを愛する機会を失ってしまったのである。先に紹介した「ディス・イズ・ボサノバ」のなかで、ジョアン・ジルベルトが年下の友人に語ったという、「真の幸福は、人々が連帯し、誰もが等しく幸福になること」という言葉が想い出される。
「誰からも理解されない」というピアフの深い孤立感。ボクシングの世界チャンピオン・マルセルとの束の間の愛も、そうした満たされぬ愛の代償だったように思える。たまたま優しく素敵な男に出逢って心の底から愛してしまった、というピアフにとっては夢のような幸福が、暗転してからの凄まじい狂気。ティティーヌがピアフと引き裂かれるときの狂乱が重なるものだ。このマルセルへの執着については、終幕近くで謎が明されるが、ティティーヌはピアフであり、ピアフはティティーヌであるという一卵性母娘関係を考えるならば、その謎の答えはティティーヌによって、すでに示されていたのである。
「愛の賛歌」は誰のために何のために歌われたか。この映画では、誰のために何のために歌われなかったか、についてははっきりしている。ピアフの人生を語るに際して、大きなトピックであったはずの反ナチレジスタンスへの参加や、国葬として葬られた最大級の名誉について、この映画はまったく触れていない。家庭と国家もまた一卵性だからこそ、反ナチレジスタンスもフランス前代未聞の国葬も、この映画におけるピアフの人生からは排除されたと思われる。娼婦を母とする者にとって、国や戦争に何の関係があるか。