コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

Never mind, I'll find someone like EU

2016-06-26 07:11:00 | 政治


イギリスの国民投票でEU離脱派が勝利してキャメロン首相が辞任演説をした24日。イギリスのグーグル検索の1位は「EUを離脱するとどうなるの?」、2位が「EUって何?」だったそうだ。国民投票終了後すぐに国民投票のやり直しを求める署名運動がはじまり、すでに150万人もの署名が集まっているという。再度、国民投票を行えば、圧倒的的大差で残留派が勝つだろう。

イギリスのEU離脱でスコットランドやアイルランドが残留のために独立するのではといわれているが、ギリシャなど離脱派を抱える国々も少なくなく、トランプのような保護主義や排他主義的な右翼勢力と高齢者を中心とする先進国の保守派が勢いづくだろう。

グローバリズムのおかげで疲弊した国民国家からの反動ともいえるが、ずっと主流派か多数派を占めてきたグローバリズム派が少数派に転落する日がくるかもしれない。いずれにしろ、体制がどう変わろうとずっと少数派な人々がいるわけで、そのデモのプラカードの文字列にぐっときた。アデルの "Someone like you" の歌詞をもじったのだが、彼らの胸にすでにある「共和国」のことかもしれない。



(敬称略)
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そこに愛はあるのか?

2016-06-23 07:32:00 | 政治
生活保護調査「惨めになった」 利根川心中、三女初公判
http://www.asahi.com/articles/ASJ6N34FTJ6NUTNB006.html

波方被告は被告人質問で、その翌日、かねて相談していた生活保護の受給に向け、市職員と自宅で面接した際、家族状況や職を転々としてきた自らの生い立ちを話したことで死のうとする気持ちが強まったと説明。

なるほど、「向き合う」という言葉への違和感の由来がわかる気がした。たぶん、市職員は真面目に「向き合おう」としたのだろうし、そんな姿勢が伝わって、ふだんは考える暇もなく過ごしてきた被告人も、自らに「向き合い」苦境に至った数々を整理して話す気になったのだろう。

皮肉なことに、それが「心中」を決意するきっかけのひとつになった。その結果からみれば、誰しも生きたいのが本意のはずなのだから、自分とは「向き合うな」という短絡も捨てがたい。

そういいたくなるほど、「向き合う」という言葉の用法用例にはかねてから疑問を感じていた。本来の内省的な意味は剥ぎ取られ、自らを開放せよと強いる押しつけがましさを見てしまうのだ。また、その先の「自らと向き合う」ことによって作られる「自分史」が、たいていは捏造や偽史であることを忘れ去り、本当のことだったと思い込む弊害も大きいと思ってきた。

他人に心を開いて接するのはむろんわるくないことだが、それができるのはけっして他者と共有できない自分があるからこそで、かなり成熟した心が強靭な人でなければできることではない。つまり、たいていの心弱い人々にとっては努力目標に過ぎない。それを実現可能なノルマのようにいわれてはたまらない。

ただし、「向き合う」という言葉が役所やメディアで使われる場合は、ほとんど「検討する」と同様な「逃げ口上」になっているので、きちんと自らの組織の問題点に「向き合い」、その是正に向けて透明性のある改革案を示せと強いる必要があることはいうまでもない。コンプライアンスとはそのことだろう。

それはさておき、人の話を聞くという仕事をしてきてこれまで学んだことがいくつかある。その一つは、人の行為や行動にきっかけなんてものはないということだ。きっかけがあるとすればひとつやふたつではないし、「ああ、それで」や「なるほど」と頷けるきっかけはたいていその人の「物語」の起点となった出来事か、あとから「物語」に付け足された事実の解釈に過ぎない。

したがって、早々に気づくことは、嘘か実かという二択は「物語」には通用しないということだった。映画や小説の「事実に基づくストーリー」と同じである。どちらでもあるし、どちらでもない。こちらが話を聞く目的は、彼及び彼女の人となりを知って、その業績や仕事への理解を深めることにあるが、「人となり」はほとんど「実在の人物とは関係ないフィクション」の場合が多い。

くだらない語呂合わせと笑われるのを承知でいえば、この「人となり」は「人隣」であって、周囲や社会に繋がる隣接したその人の立ち位置といえ、それが「物語」だろうと考えていたものだ。明るい成功譚にしろ、暗い不幸話にしろ、たいていは自慢話の範囲なので、頼めば人は進んで話してくれるものだ。

話すも聞くも、互いに仕事か必要上のことだから、真情や本音はむしろ脇にどけるのがマナーである。たとえ被害者の真情を訴えたいという人であっても、それはカッコつきであることを弁えなければ、理解や解釈を大きく間違える場合がある。やっと、ここまできた。くどくど書き連ねて申し訳ない。いま、言います。

この心中事件の被告の「死のうとする気持ちが強まった」という説明は、やはり彼女の「物語」であり、しかし、そんな「物語」のひとつが心中を駆動するほど強力になることがあり得ることとは別に、「市職員への相談」が大きなきっかけになったと読める記事はまずい。

「強まった」と被告がいっているように、きっかけはそれだけではないし、そうした被告の心情は共有できるものばかりとはかぎらない。したがって、たぶん事実として間違っている。

さらに、結局、追いつめたのは他者や他事にみえて、じつはいつも自分だからこそ、人は自分以外に行為や行動の理由を求めるものだ。尋ねられたから答えた当時の心境であって、心中事件のきっかけとして裏付けられるものでもない。

しかし、問題はきっかけにはない。生活保護受給窓口に相談することが、自らの貧窮を訴えるにとどまらず、内心の告解や人生懺悔の場であるような「誤解」をこの記事は正さず、むしろ共有している。

役所の生活保護窓口はいうまでもなく教会ではないし、そもそも人生相談の場でもない。生活保護費の支給手続き窓口に過ぎず、受給希望者の資格要件さえ整っていれば、事務的機械的に受付すればいいだけだ。支給は義務であり、受給は国民の権利である。

この記事にはそのかんじんなことが書かれていない。「惨めになった」と思えるほど「相談」したあげく、波方被告は生活保護費を受給できたのだろうか。「受給に向けて」と何度も書きながら、「生活保護でお金の面は何とかなると考えていた」という波方被告の供述を引用しただけだ。

一見、被告に同情的な筆致にみせて、その実、制度や運用の現実に「向き合う」ことはせず、「家族間のバランス」にその原因を求めている。ならば家庭の事情であり、記事の公共性には欠けるだろう。残された教訓は、市職員が立ち入ったことまで聞き過ぎたというわけか。そりゃ、ないだろう。


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ガラサーオタク

2016-06-13 23:13:00 | ノンジャンル
同性愛者が集まるクラブで銃を乱射して、米国史上最悪の100人以上の死傷者というテロを実行したオマル・マティーン容疑者は、ゲイだけでなく、黒人、女性、ユダヤ人を嫌悪していたという。

このNHKニュースの報道が事実とすれば、シリアやイラクで要衝を次々に失い、追い詰められたIS(イスラム国)による反撃テロというより、強烈な差別意識に基づく「憎悪犯罪」が近いといえる。

実際、オバマ大統領をはじめとするアメリカ政府筋のコメントにも、「ヘイトクライム」の言葉が使われている。だとすれば、オマル・マティーン容疑者は単独犯であり、下見や準備など決行の手引きをしたISメンバーはいないことになる。

もちろん、IS(イスラム国)が容疑者を「戦士」と認めた以上、複数犯の証拠がこれからみつかるかもしれない。だとしても、オマル・マティーン容疑者の動機は、「イスラム国への忠誠」より、マイノリティへの深刻な「憎悪」に駆られた大量殺人だったのではないかという疑問は残る。

ならば、遠いアメリカのフロリダや内戦が続く中東のイスラム過激派の話ではない。日本のネットではマイノリティに対する排外主義的な言論や表現はいっこうに衰える気配はなく、日々増殖を続けている。そうした憎悪をつのらせたとき、アメリカでは銃が身近にあるが、日本では入手しにくい、それだけの違いではないか。

いうまでもなく、ほとんどのイスラム教徒はISのテロリズムを支持しないだろう。トランプを支持するような一部の極右的なアメリカ人もテロをすることはないだろう。日本では、アメリカのようなゲイや黒人、女性、ユダヤ人に対する差別意識は一般的には乏しい。にもかかわらず、ネットをみるかぎり、マイノリティへの侮蔑を煽り、憎悪をたぎらせる人は増えている。

グローバルなスマホに対して、ドメスティックな進化を遂げたガラケーという呼称があるが、「ガラサー」と呼びたいような、歴史はもちろん、現実とも断絶して定向進化した差別意識や感情が蔓延しつつあるように思える。彼我の違いより、近似が見えるのである。
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沖縄の声なき声

2016-06-09 22:03:00 | ノンジャンル
沖縄といえば、辺野古基地移転問題。メディアでは、「米軍基地はいらない」「米軍は出ていけ」という「県民の声」を聴くことが圧倒的に多い。もちろん、「反基地」に反対する県民も同じくらいいる。どちらかと尋ねたら、たぶん、「それどころではない」と答えない声を聴くことだろう。

「沖縄の貧困」は学歴社会と暴力が生み出した
平均年収は全国最下位、雇用は崩壊状態

http://toyokeizai.net/articles/-/121834?utm_source=Twitter&utm_medium=social&utm_campaign=auto

ほとんど、「絶対的貧困」といえる沖縄の現状に震撼する。明日の、とまではいわないが、10年後の本土の姿をみるようだ。莫大な沖縄支援金はどこに雲散霧消したのか。米軍基地がある限り、沖縄が貧困から脱することはできないのか。

望みは何かと訊かれたら
やっかいに感じて
わからないと答えるだけ
良いときもあれば
悪いときもあるから

望みは何かと訊かれたら
小さな幸せとでも言っておくわ
だってもし幸せ過ぎたら
悲しい昔が恋しくなってしまうから

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アリ死す

2016-06-05 22:47:00 | 政治

若き日のカシアス・クレイとサム・クック

カシアス・クレイからモハメド・アリに改名したことで、黒人奴隷の子孫という出自と白人所有者の名前が与えられたという由来を世界に知らしめた。当時まだ(今もまだ)、アメリカでは黒人差別が続いていることへ、たった一人で抵抗運動をはじめたといえる。

では、モハメド・アリは? キリスト教からイスラム教へ改宗したから、入信したネイション・オブ・イスラムから与えられたイスラム名を名乗ったのだろうか。それなら、個人の信仰の問題にとどまる。そうではなく、ヒンズー教徒が厳格なカースト制の身分差別から抜け出すために仏教徒に改宗するように、「アメリカン・ドリーム」や「アメリカン・ウエイ・オブ・ライフ」、あるいは「アメリカの息子」という「アメリカ信仰」から脱するためだったのではないか。

今日、カシアス・クレイという名前は忘れられ、アリはアリとなった。黒人ボクサーにしては長生きしたから、はじめからカシアス・クレイという名前を知らない世代が多数を占めるようになった。それだけのことかもしれない。あるいはそれ以上のことかもしれない。反差別のアイコンをも脱して、「ただの」モハメド・アリとして生きてみせたのではないか。

パーキンソン病を患い、手足だけでなく会話も不自由になったから、得意の弁舌をふるえず軽やかな身のこなしも披露できず、ただぼんやりとそこにいるだけの人になった。それだけのことなのかもしれない。正視に堪えない無残な姿ではあるが、それでもアリは「障碍者」の姿を晒し続けた。それも、ただ、食い扶持を稼ぐためだったのかもしれない。

しかし、同時に、そこに、彼のひとつの意志を見出すのは無理だろうか。

少なくとも、モハメド・アリなかりせば、バラク・フセイン・オバマはあり得ただろうかと想像してみるくらいは許されると思えるのだ。

モハメド・アリがまだ若く元気なころの珍しい歌声です。あきらかに「盟友」サム・クックの歌唱から影響を受けています。

"Stand by Me" sung by Muhammad Ali


おまけに、ゴスペルグループのソウル・スティーラーズ時代のサム・クックの「スタンド・バイ・ミー」です。曲名は同じでも、違う曲ですが。

Stand by me - SAM COOKE &The soul stirrers


(敬称略)
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