映画『怪物』には、いくつもの見どころ、聴きどころ、読みどころがある。観終わって、まず誰しもが印象に残るのは、アカデミー賞の脚本賞を受けた凝った脚本だろう。とっ散らかされた謎や疑問、違和感の数々が、推理小説に張り巡らされた伏線のように、次々とスリリングに回収されていく。ひとつひとつ投げ出されたエピソードが、(なんだ)(やっぱりな)という予定調和を感じさせないヒントや結末に導かれる。いくつもの錯綜したストーリー展開を観客は読まされることになる。
見所のひとつは、ジブリのアニメ映画を想起させる、少年期の輝くばかりの自然描写だろう。初夏の風や雲や空、樹木や草花の鮮やかな緑を、生命の光を浴びていたことをたいていの人は忘れている。また、スピルバーグ監督を羨ませがらせた、『誰も知らない』以来の少年を扱ったときの、ドキュメンタリと見紛うほどの自然な演技というこの監督の長所は、本作でも遺憾なく発揮されている。自然に溶け込み、人間として葛藤する少年たち。彼らを取り巻く大人たちの困惑と葛藤を表現した、安藤サクラ(母親)、永山瑛太(担任教師)、田中裕子(校長)も多面的な表情と感情を好演していた。
聴きどころは、もちろん、この映画のために書き下ろされた坂本龍一の遺作をはじめとするピアノ曲である。坂本龍一の音楽に親しく接したわけではないから、ありきたりの感想になってしまうが、どの曲も自然と生命を慈しむ佳曲と思えた。その他にも、この映画の音の扱いについては驚かされた。「ブオーッ」と管楽器が唐突に鳴り響く。よくある登場人物の内面の動揺やその後の展開の不吉さを予感させる、不協和音やノイズの音響効果かと思ったが、違っていた。この音は意外な展開に繋がる重要な場面で発せられるのである。記憶のかぎりでは、この映画には坂本龍一のピアノ演奏以外には、音響効果というものはなかった。
さて、ここまで、ここに至るも、ほとんど具体的なストーリーやキャラクターについて、書いていない。書いてしまえば、ネタバレ注意という次元ではなく、この映画の感興とテーマ性を著しく阻害しそうで、書けないのだ。それには、この映画の主題ーテーマが大きく関わっている。これについては、監督と映画批評家二人の議論が公開されているので、観終わった後に一読されることをお勧めする。
https://note.com/nyake/n/nb323cdd56d9b
しかしながら、私見では、この映画にテーマはない、とする。少なくとも、いくつかのテーマらしき事柄について、その軽重をつけるべきではないと思う。観客の恣意に委ねるべきというより、そうした観客寄りのエンタメ性と距離を置きながら、テーマに依る芸術性とも一線を画すという、中途半端さの堅持を看取するからだ。卑近にいってしまえば、いわゆる「ポリコレ」を拒否する姿勢と方法の序説ではないか、という気がする。
もし、この映画について、最大公約数的なテーマを見出すとすれば、「誤解(misunderstood)」だろう。私がこの映画のサウンドトラックのひとつとしてふさわしいと思うのは、この曲と歌唱である。
(止め)