コタツ評論

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いま、英国映画が熱い!

2011-05-30 02:16:00 | ブックオフ本


英国映画で夜明けまで』(入江敦彦 洋泉社)
2000年の刊行なので、ジュード・ロウが「ブレイク寸前」だったりするが、「ロンドン、週末の遅い朝。ソファに寝そべって新聞の映画評を眺める」ところからはじまる、暮らしてみた英国の映画案内です。映画というタネに、ロンドンと英語とTVと食べ物と男と女たちなどの具材を次々に投入して、日本人長期滞在者の練れた手つきで、手早く焼き上げたふっくらまるいタコ焼きのような、異色の映画本です。

例によって、帯文と目次。

ブリティッシュ・フィルムを観ずして、英国を語るなかれ---
いま、英国映画が熱い。何を観るか? 誰を観るか?
ダンディでウィッティ、心に焼き付く英国映画の魅力。
ロンドン在住の気鋭の映画ジャーナリストが、
見のがせない傑作、語りきれない見どころを徹底案内!


2000年といえば、もう11年前か。やはり、書き方がふっるいなあという思いは否めません。いや、2000年当時でも、「~を観ずして、~を語るなかれ」「いま、~が熱い」「気鋭の映画ジャーナリストが」とか、すでに古びていたかも。この帯文を書いた編集者なら、「いま、フクシマが熱い!」とか、書きそうです。

映画のある週末--はじめに 

ローワン・アトキンソンの「ビーン/Bean」の英国での批評はあまりよくなかったのですね。英国コメディ好きの著者も、あれが英国コメディと思ってもらっちゃという口吻です。

Ⅰ 英国映画を選ベ

英国映画を選べ! '90s BRITISH FILM BEST 10

 トレインスポッティング/二ル・バイ・マウス/フル・モンティ/
エリザベス/秘密と嘘/フォー・ウェディング/クライング・ゲーム/
 プロスペローの本/から騒ぎ/オルランド

私のお薦めは、もちろん、明るく元気な青少年が躍動する「トレインスポッティング」、「レオン」の悪徳刑事で一躍スターになったゲーリー・オールドマンが初監督した自伝的なジャンキー映画「二ル・バイ・マウス」、途中までほんとうにわからなかった「クライング・ゲーム」です。

■The Slice of life -1

ロンドン映画散歩
感傷時間旅行
英国ファッションは口ほどにモノを言う
三度のメシよりF&C
カフェ・ブリタニア

Ⅱ ブリティッシュ・フィルム復活

癖のあるのがお好き? '90s Actors
ABC式恋愛の法則   '90s Actres
英国映画のスピリッツ 疾走する監督たち
イギリス映画の行間  90年代英国映画ワタクシ的10選


日本未公開、DVD未発売の映画も紹介されています。英国の俳優は、演劇学校などで学んでから、TVに出演して人気を固め、映画に出るという順序らしい。また、映画で売れてからも、TVドラマにはよく出るそうです。なので、TVが映画に比べて一段下という意識は俳優をはじめスタッフにはなく、TVドラマの質も映画に遜色ないそうです。また、TVではしょっちゅう、過去と現代の名画を放映するそうです。日本と比べると、羨ましいですね。

■The Slice of life -2

セックスと嘘と英国映画
マインド・ザ・カルチャーギャップ
三〇過ぎたら英国映画
懐かしい痛み
ブリティッシュ・ビューティー

Ⅲ 英国映画の快楽

音を観る映画たち 【MUSIC】
伯爵よ、あなたは誰? 【GOTHIC&HORROR】 
二〇年後のお茶会 【GAY】
タブー・プレイカーズ 【COMEDY】
一九八四年はふたつある【SCI-FI】
戦争映画は終わらない 【WAR】


英国映画のバリエイションです。ゲイ映画が重要な柱になっているんですね。著者は、戦争映画とヤクザ映画を好まないそうなので、私の好きなイギリスギャング映画がすっぽり抜けているのが残念です。

Ⅳ やっぱりイギリス映画が好き!

倫敦のアメリカ人 クーブリック
Blue Blood Brothers ヒッチ&
十三夜のハムレット 映画になったシェイクスピア


スタンリー・キューブリックは、Kubrickだからクブリックが正しい読みと指摘しながら、なぜ、本の中では混在しているのだろう。でも、東欧の羊飼いの名のようなクブリックより、キューブ(cube)を連想させるキューブリックのほうが鋭い語感があって、キューブリックらしい。

■All for Play

すべては遊びのために
ヒョウタンツギが来るよ
ナンパのススメ
「フィルム」へのこだわり
オスカー叔父さんの憂鬱
アンドロイドは英国英語の発音で話すか?
父と子と聖霊と
エヴァーグリーン


英国映画界では、映画をムービーとはいわず、フィルムと呼ぶそうです。産業的ではなく、職人的でかっこいいですね。

英国では映画はおもに映画館で観る--あとがきにかえて

作品索引


索引を付けるのが当たり前なのに、付いていない映画案内が多いのは残念ですが、本書はさすがに違います。邦題/原題/公開年/監督/脚本/出演者/製作会社のほかに、ビデオ・レーザーディスク・DVDの別も記しています。


バリちびたこ

2011-05-26 10:38:00 | ノンジャンル


周知のように、日本最高のコンビニエンスストアはミニストップである。淹れ立てコーヒーに、何種類ものポテト、充実したソフトクリーム類など、かねてより、レジカウンター前の強力な布陣は他の追随を許さなかったが、さらにそのフライ戦列に、かわいいUFO形をした新戦力「バリちびたこ」が配備された。

バリとは、もちろん、インドネシアのバリ島とは関係なく、「ガチ」の類縁語の「バリ」でもない。コンクリート打ちやプラスチック成形などの作業では、型(枠)からはみ出す、この「バリ」と呼ばれる不細工な部分が必ず発生し、それは削り取られたり研磨されて仕上げられ、はじめて完成品となる。通常のタコ焼きでも、バリは発生し、処理されている。鉄板の半円球のくぼみにタネを流し入れ、あふれた部分は、焼き乾いてから、千枚通しで内側にたくし込まれる。

バリちびたこの製造工程は不明だが、たぶんタイ焼きと同じ、タコ焼き鉄板をひっくり返して焼き上げる方式だろう。タイ焼きのバリもなかなか香ばしくて嬉しいものだが、バリちびたこにおいては、このバリの触感に注目し、本来、捨てられるものを売り物にする逆転の発想といえる。略称前なら、バリとチビなタコ焼き、andで並び立つ構えだ。198円っ。



もういくつ寝ると60歳

2011-05-26 03:18:00 | 3・11大震災
「原発作業60歳以上で」 165人応募、議論呼ぶ
http://www.asahi.com/national/update/0523/TKY201105230230.html


>福島第一原発に作業員を派遣している企業幹部らによると、長期化に伴い、作業員の人繰りがつかず、苦慮しているという。

「派遣している企業幹部ら」とは、いったい、何という会社の誰なんだろう。いつまでたっても、作業員の実態がはっきりしない。東電系列のアウトソーシング会社や人材派遣会社があるだろうなくらいは想像がつくが、ほかに何社も入っているのだろうか。1.2.3号機までメルトダウンしているというのだから、助っ人なら願ってもない申し出ではないかと思うが、なぜ、「議論を呼んだり」するのだろうか。

たぶん、この人たちに現場に入られては困る事情があるのだろう。たとえば、この人たちに対して、ひどいピンハネはできないだろうし、するとほかの作業員たちの待遇も同じにしなくてはならない。あるいは、「協力会社」が下請け孫請け曾孫請けといった雇用関係ならば、「守秘義務」を名目に東電に不都合な事実を口封じできるが、この人たちにはそうした圧力は通用しない etc etc。ようするに福島第一原発の内情を晒したくないわけだろう。

不都合な事情が明らかになれば、いままでが隠蔽にしろ、与り知らぬにしろ、その責任は東電だけでなく、内閣と政府にも及ぶ。しかし、政治家も官僚も、責任を逃れるだけでよしとはしない。政治家なら、より「大きな責任を引き受ける」という権力の獲得に邁進するものだし、官僚なら、より以上の「予算配分と管掌権限の拡大」を計るものだ。そして、福島第一原発事故はすぐには収束されないという前提で、すべては動き出している。

少なくとも、当面の政局の安定と補正予算の成立にとって、福島第一原発事故の深刻な状況が強い追い風になっている。換言すれば、福島第一原発事故が収束に向かうのでは、今後の予定に大幅な狂いが生じることになる。また、マスコミも、事故の沈静化より深刻化に危機に、改革の断行もしくは挫折に、より大きなニューズバリューを見出すものだ。ここにおいて、政治官僚マスコミの利害は完全に一致する。

それは、当然のことながら、国民の利害とは一致しない。消費税10%に値上げ、年金支給年齢の引き上げ、社会保障費用の削減等々。改革も復興も、結局は国民の懐を財源としているからだ。脱原発も東日本復興も、すぐには実現しない。長い年月を必要とする。ならば、使える原発はできるだけ使い回し、復興予算の国民負担はできるだけ避けるべきだろう。しかし、それでは政治官僚マスコミの利害と一致しない。

浜岡原発の停止要請以来、日本は脱原子力に舵を切ったかにみえる。そこに国民的な議論もなければ、意思表示を表す投票もない。では、以前の原子力推進と現在の脱原子力に、なにほどの違いがあるだろうか? 国策の名において、またひとつ、収奪装置が増えるだけではないか。「国がきちんと対応すべきだ」という異議を申し立てにくい主張や指摘は、結局、国策に委ねることを是としてしまう。ほんとうにそれでよいのだろうか。

結局、「いたずらに人命を危険にさらすわけにはいかない」と165人の「決死隊」は実現しないだろう。結局、「雇用や所得につながる復興計画」と際限のない公共投資が復活するだろう。「がんばれ日本」という美名に隠れて、結局、何が行われ、何が行われなかったか。結局は、思い知らされることになるだろう。何かがはじまるとすれば、そこからなのかもしれない。それまでは、何もはじまらず、何も終ることはない。



アリバイと47人の盗賊

2011-05-24 23:33:00 | ノンジャンル
元運転手「ホテルに送った記憶ない」 陸山会事件公判

以前、映画「それでもボクはやっていない」で書いたように、公判廷での証言より、検事調書の方がずっと証拠価値が高い。自白は重視されるのに、公判証言が軽視されるのは、一見、矛盾しているようにみえるが、自白は調書になっているのに対し、公判証言は調書に裏づけられていないため、信憑性に欠けると判断されるためだろう。「推定有罪」の怖さを映画は訴えていた。「推定無罪」の立場に拠れば、調書も証言もフラットに評価できるはずなのだが、それでは裁判官と検察官主導の裁判ゲームは成り立たない。したがって、この元運転手の証言は、5000万円授受の事実関係立証への影響はほとんどないとみられる。にもかかわらず、ではなぜ、こうした記事を書いたか、掲載したか。記事と新聞社の「公正・中立」のためである。陸山会事件を「公正・中立」に扱うためではない。

マスコミは、ときに、自らを「公正・中立」に見せかける記事を掲載する。「一方的ではなかったか」と追及されたとき、「それは一面的な批判です」と答えるために、あるいは、風向きが変わったときのために、10のうち、9は賛成しておきながら、1の疑問や反対をさりげなく、紙面のどこかに書いておく。たとえば、法案の審議が実質的に終わった後や可決された後など、大勢に影響を与えない時期を選んで。そうした記事をアリバイ記事と呼ぶ。逆の見方をすれば、アリバイ記事が出たなら、すでに大勢は決しているともいえる。陸山会事件で小沢有罪が決まっているというより、小沢の政治的復権はないという見込みだろう。「それでもボクはやっていない アリバイがあるから」

3.11以前、マスコミに脱原発や反原発の論調はほとんど見かけなかった。いま、マスコミに原発推進の論調をまったく見かけない。以前がおかしいというなら、以降もおかしいと考えるのが、メディアリテラシーというもの。しかし、二元論や極論に比べ、中庸の議論はきわめて難しい。正論と本音を中和して説得するかにみえるものは、どっちにでもいずれ転べるアリバイ論と批判される場合が多い。然り。どちらの論にも一定の理解を示すからだ。然れども、そこに説得があれば、多少なりとも前進が見込める。中庸の議論があるのではなく、説得による漸進こそが、中庸の議論そのものではないか。正しいか間違っているかはわからないが、とりあえず合意できる結論を、具体的な行動指針を出そうという立場は、アリバイを必要としない。「それでもボクはやっつけてはいない アリバイはいらないから」
(敬称略)



正義の女神(Lady Justice)は、目隠しをしていて、真理を見ることはできない。ただ、秤のバランスを感じている。そして、剣を携えている。アリバイを言い立てる盗賊どもを斥けるために。





人間性無き科学

2011-05-24 19:29:00 | 3・11大震災
小出裕章氏の話「参議院行政監視委員会」(文字おこし)
Monipo blog さん、ありがとう。

動画
http://www.ustream.tv/recorded/14906087

小出裕章さんの肩書きは、京都大学原子炉実験所助教です。助教というのは、以前は助手と呼ばれていました。助教授は、いまは準教授といいます。偉くない順でいうと、助手(助教)・講師・助教授(準教授)・教授となります。小出さんは62歳にしてまだ、講師にすらなれません(ここ、間違えたので書き直しました)。

年功序列がまだ色濃く残るアカデミズムの世界から、62歳の助教を国会が専門家の一人として呼んでその知見に耳を傾けるというのは、ある意味、社会的なスキャンダルに近いものがあります。小出さんにとっては、ある意味、まっとうな肩書きかもしれませんが。