『囚人狂時代』(見沢 知廉 ザ・マサダ)
裁判員制度が発足して、その第一号の裁判について、TVをはじめメディアは連日のように、微に入り細を穿つ報道を展開したが、大多数の被告に有罪判決が下された後、彼ら彼女らがどうなるかについて、関心を寄せる人は少ない。
本書は、
アムネスティが「非人道的」と日本政府に改善を勧告しているわが国の刑務所の実態と、そこで生きる受刑者たちの姿を体験に基づき書いたもの。
著者・
見沢知廉はかつて新右翼活動家であり、「スパイ粛正事件」の殺人犯として82年下獄、服役中に小説の執筆をはじめ、12年の刑期を終えた94年以後は作家として活躍、2005年に自宅マンションから飛び降り死した。享年46。
刑務所当局に抗議と要求を繰り返したため、その12年の刑期のうち、見沢知廉はなんと8年間を「厳正独居」と呼ばれる懲罰的な拘禁房に入れられていた。その後遺症として、PTSDや骨粗鬆症、線維筋痛症などに苦しんでいたといわれる。
この「厳正独居」について、アムネスティは次のように批難している。
多くの囚人が、最長2ヵ月に渡って、一日に何時間もの間、決められた姿勢を崩すことなく独房に座らされることを強いられている(厳正独居拘禁または「軽屏禁」)。彼らは運動や入浴などを許されない。これは、残虐な、非人道的な又は品位を傷つける刑罰であり、ただちに廃止されなければならない。
私も受刑者が看守を「先生」と呼ぶのは知っていたが、慣習ではなく、「受刑者の生活心得」にも明記されている「規則」だったのには驚いた。いったい、なぜ、看守を「先生」と呼ばねばならないのか、その理由を聞きたいものだ。
『成城だよりⅢ』(大岡昇平 文芸春秋)
1985年(昭和60年)、著者75歳のときの日記。
『堺港攘夷始末』を書き続け、子や孫の少女マンガを読破し、映画アマデウスに泣き、吉本隆明に腹を立て、一葉「美登利の初潮」を再考し、渋谷のコム・デ・ギャルソン・オムで一万八千円のパンツ(ズボンとは書かず)を買う。大岡昇平の率直であることの格好の良さ。
その一方、「終戦の時、三十九歳のすれっからし」だったので、靖国参拝をした首相を「中曽根坊や」と書くのである。腹に据えかねたように一回だけ。以下、印象に残った文言の一部(丸カッコ内は、私の補足)。
少女マンガの特徴は、花、服飾、料理など女性的事物、細かくやさしく描かれあること、その笑いの表情、酔態、、男の前で見せる者と違いて、自由奔放なることにあり。されど全体として退行的にして、同性愛しかも男の同性愛に転化せるは面白くない。
(「純文学」とは文学史の用語にて)「純」は「モラル抜き」の「純」の意なり。
十八歳の時、三大シンフォニーをレコードで聞いてより、五十年のわが音楽生活はモーツァルトと共にあった。私には音楽はモーツァルトさえあればいいので、あとはみんな「勉強」だったのだ。
私は二十世紀は批評の時代だと思っている。近頃小説に見るべきものが少なくても、批評が盛んなら結構だ。
十五歳以下の人口21.8%減。四つの島を出られぬ以上、減った方がよい。
靖国参拝、一パーセント枠撤廃、スパイ防止法の三種の神器と日航事故は、同根なり。高度成長の裏の手抜きの結果、五百二十人の人民の死来たれり。それをまたごまかそうとして、今年の八月十五日の悪夢となれり。
(成城に住んだ理由について)われ年老いて生まれ育ちし東京に帰りたくなった、武蔵野の黒土とケヤキが恋しくなった、とは表向きのことにて、実は東京に生業を持つ娘息子孫に、しげしげと会いたいが本意なりしなり。
『大不況には本を読む』(橋本 治 中公新書ラクレ)
大不況にはどんな本を読めばよいか、という本のガイドブックではない。書籍市場の変化を入り口に、バブル経済から2008年秋の金融不況後の日本経済論までを奔放な視点で振り返り、だから「本を読め」といささか強引に出口を示す。
奇しくも大岡昇平日記と同じ1985年が起点。プラザ合意後の円高不況からバブル経済とその崩壊後の「失われた10年」、2008年秋の金融不況後の世界経済の行く末までを日本を中心にして読み解いている。
「世界経済」の中心が日本ではないからこそ、日本を中心にして考えなければならないという。その上で、「世界経済」も「グローバリズム」も、そして2008年秋の金融不況からはじまった「大不況」も、実は日本がその原因をつくったのではないかと展開する。
一見、アクロバチックな論考にみえて-たとえば、1985年に「世界経済」の「継続発展」のために「内需拡大」をアメリカから求められたとき、「じゃ、自動車や家電の輸出を止める」といえばよかった-きわめて、本質的な論点を探求している。いつまでも吉本隆明でもあるまい。現在、もっとも刺激的な思想家は橋本 治ではないか? ない? どうして? こんなこと書く人、世界を探してもほかにいるかしらん。
(敬称略)