きれいではなく可愛気もなく若くもない女が、憑かれたようにプロボクサーをめざす映画です。クリント・イーストウッドの名作「
ミリオンダラーベイビー」を観た人なら、よく似た設定と思うはずですが、マギーが100万ドルボクサーとすれば、一子は百円ボクサーくらいの隔たりがあります。
「ミリオン~」はマギーの栄光のボクシング人生が暗転する残酷な運命に、彼女のジムのオーナーでもある老トレーナーが寄り添う映画でした。「百円の恋」の一子(いちこ)もマギーのように頑張りますが、周囲の予想外にプロテストに合格して、4回戦の初試合を経験するに過ぎません。
ジムの会長にも、「ボクシングは甘かないんだよ、お嬢ちゃん」と相手にされていません。「人生、一度くらい燃えてみたかったとかいうなよな、腹が立つから」と嫌味までつぶやかれます。マギーと似ているのは、左のブローがよいことくらい。
貧困家庭に育ち13歳からウエイトレスをして働いてきた30歳のマギーより、32歳まで持ち帰り弁当屋を営む親に依存してひきこもっていた一子は、よほど恵まれています。子連れで出戻ってきた妹と取っ組み合いのケンカをしたのをきっかけに、家を出た一子は同じ町の100円均一のコンビニ店で深夜勤務の店員として働くようになります。
そこは数少ない一子のなじみの店でした。ちょくちょくお釣りの一部を寄付金箱に投じていて、「ご協力、ありがとうございましたあ!」と声掛けされるのが嬉しかったのです。
店への行き帰り、ふとそれまで気づかなかったボクシングジムを一子は見つけます。熱心に練習していた男が一息入れに出てきて、ジム前のベンチに腰掛け、タバコに火をつけます。彼が一子の恋の相手となる「バナナマン」です。
そんな風にはじまるボクシング映画なのですが、コンビニ映画でもあり、そのコンビニが100円均一店であることから、デフレ日本を背景とした作品であることがわかります。とにかく、この100円均一店で一子が出会う人々ときたら、「ミリオン~」の登場人物たちとは違って凡人ばかり、いや、何の取柄もなさそうな平凡以下ばかりです。
「ミリオン~」では、イーストウッド扮するジムのオーナー・フランキーは世界チャンプを育て損ないこそすれ、試合中の出血を魔法のように止める技術を持つ名トレーナーとして知られています。ジムの掃除夫として働く片目の「老いぼれエディ」(モーガン・フリーマン)も、かつては世界タイトルに挑戦したほどのボクサーであり、いまでも隙さえあれば若い牡牛のようなハードパンチャーをワンパンチでKOしたりします。
マギー(ヒラリー・スワンク)にしても、引退を決意したフランキーをかき口説いて翻意させるほど、自信と熱意がある娘です。貧困家庭の崩壊家族に生まれなければ、たぶんひとかどの人生を送れただろう資質を備えています。
彼らは光り輝く「100万ドル」の世界を見てきたか、夢見ているのですが、一子はずっといじましい「百円」の世間に暮らしています。夢や希望など、最初から眼中になさそうで、そんなものを持つ資格もなさそうに思えます。マギーのように自分を信じることができず、自己評価がきわめて低いのです。前者がインフレ人間のサクセスストーリーとすれば、後者はデフレ人間の日常を描いたものと言い換えることもできます。
32歳までひきこもりをして就業経験がない一子は、小声でしか、「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」などが言えず、レジの操作すらたどたどしいものです。まじめな店長は鬱病にかかってすぐに辞め、代わりに一日中らちもないことを語りかけてくる、はた迷惑なバツイチの中年男・野間といっしょに働く羽目になります。この野間にラブホテルでレイプされて一子は処女を失うのですが、そういう卑劣な男が同僚です。
このコンビニへバナナだけを買いにくる「バナナマン」と店員たちに呼ばれているボクサー狩野もまた、一子のアパートに転がり込んできてヒモ生活に甘んじるような男です。ほかに、クビになった元店員で、廃棄処分にする弁当を当たり前のように貰いに来る、ホームレスのおばさん池内など、一子も含めてじつに安い人々です。
にもかかわらず、というか、だからこそ、「百円の恋」は私にとって、「ミリオン~」が古色蒼然と思えるほど新鮮な傑作に思えました。マギーやフランキーやエディのような、「
タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」男や女であったれば、ありたいとは思うが、じっさいの私たちは「タフでもなければ優しくもない」一子や狩野や野間でしかありません。
「ミリオン~」が人生の希望や人間の尊厳を扱った重厚な作品とすれば、「百円~」は「コミュ障」の男女をめぐる小さな物語にすぎません。しかし、はたして人の前に、コミュニケーション以上の困難があるのでしょうか。
食い入るように狩野の試合を見ていた一子は、「あの人と友だちなんですか?」と試合後の狩野に尋ねます。「なんで?」と狩野。「殴り合ったり、肩を叩いたり、なんかいいなと思って」と照れ笑いする一子。惨敗した狩野ですが、終了ゴングが鳴れば、対戦相手と肩を叩きあってたがいの健闘を称え合うのが儀礼です。低学歴で勉強が苦手なうえに、まったく世間知らずな一子です。
(なんだ、こいつ?)と呆れた視線を一子に向ける狩野も似たようなものです。武骨で寡黙な男に見えて、じつはまともに他人と話せない、接することができないだけ。はじめてのデートに一子を動物園に連れていきますが、さっさと自分勝手に動物を見て回るのです。
「どうして、私なんか誘ったんですか?」と一子。「断られないかと思って」と狩野。悪趣味でケバイ「勝負下着」にずん胴を押し込んできた一子のカワイイ思いは空を切ります。一緒に試合を観に来ただけの野間を、「できてるんだろ、あいつと」と詰る狩野。
一子の実家が弁当屋であることを知ると、「お前、あそこの娘か。俺、高校の頃、よく食ったよ。旨かったなあ、斉藤弁当」と息せき切って喋る。35歳なのにほとんど中学生レベル。
それでも一緒に暮らしはじめて身体を重ねる二人です。のしかかりながら、「乳首を弄ってくれ」と経験の乏しい一子にねだる狩野。風俗の女としか経験がない「素人童貞」をうがわせる性技です。
そんな狩野ですが、誰かが部屋にいる、自分を待っていてくれる、いっしょにご飯を食べられる、一子にとっては、はじめての時間でした。それまでの一子がまったくの孤独だったわけじゃありません。ひきこもりとはいえ、家族と暮らしていたのですから。でもそこに一子の居場所があったとはいえません。
一子が風邪をひいて寝込んでいると、狩野がやってきてステーキを焼いてくれました。「金は財布から借りたからな」。寝床でステーキを頬張り、「硬くて噛みきれない」と泣き笑いの一子。真剣になるとふてくされ顔にしか見みえない一子が、はじめて見せた愛らしい笑顔です。
しかし、幸せな時間はあっという間に終わります。一子を抱いて自信を持ったのか、狩野は豆腐の行商をする若い女に従いていきます。若者が幟を立てて豆腐車を引いて住宅街を歩いているあれです。「女なら豆腐~、男ならなお豆腐~」という歌い文句のでたらめには笑えますが、一子には笑い事ではありません。
やがて、女と一緒に豆腐車を引く狩野を見つけますが、「なんで?」という問いかけに狩野は答えません。一子が狩野と同じジムでボクシングをはじめるのはそこからです。そうそう、狩野は一子に見せた試合を最後にジムをやめています。35歳にもなって芽が出そうもないからです。
一子はなぜボクシングをはじめたのでしょうか? なぜ、懸命にボクシングの練習に励むようになったのでしょうか。狩野を見返したかったのでしょうか。「ミリオン~」のマギーのように、自分の価値を見出したかったのでしょうか。あるいは、拳で自らの「コミュ障」を乗り越えたかったのでしょうか。一子は、誰に、何に、恋したのでしょうか?
練習に励んだおかげで、だらしなくずん胴だった一子の身体は引き締まり、試合前の入場シーンでは先日のリオオリンピックの女子アスリートのように緊張したいい顔になっています。この一子の練習と試合場面は、「ミリオン~」に負けず劣らぬ迫真的なものです。
しかし、一子はマギーではありません。はじめての試合ではボコボコに殴られてばかり、狩野の最後の試合と同じく、ヨタヨタと抱きつきクリンチに逃げるのがせいいっぱい。幾度もダウンを奪われ、血と汗と涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらも、その度に一子はフラフラと立ち上がり、叫びながら腕を振り回します。一子は、「
ロッキー」でした。
一子が家を出るとき、涙ぐみながら封筒の金を渡してくれたお母さん。その金で一子は部屋を借りることができたのでした。「お父さんのように、この年になっても何事にも自信がないようじゃな」と部屋を訪ねてきて、わけのわからない励ましをくれたお父さん。「ごくつぶしが!」と罵しられてつかみ合いのケンカになった妹。
(あの一子が!)という驚愕と心配に眼を見開くばかりの家族です。一方的な展開に観客からも、「一発くらい当てろよ」という同情と苛立ちの声が上がります。そして、腫れたまぶたと血でほとんど視界もぼやけた一子の渾身の左が、ついに相手の顎を打ち抜きます。
「あーあ、こんな顔にされちゃって、だから言っただろ、ボクシングは甘かないって」とジムの会長。「でも、嫌いな試合じゃなかったけどな」とニヤニヤする。呆然としたまま会場を出た一子。そこには狩野が待っていました。豆腐屋の女に捨てられて一人となった狩野は、遠くから一子を見守っていたのでした。
「飯でも食いにいくか」と狩野。泣きじゃくりだす一子。「勝ちたかった、勝ちたかったよお」と叫ぶ。ここでカメラは泣き顔のアップに寄りません。そういえば、試合シーンを除けば、たいていカメラは引いて映していました。節度のある演出です。
「そうだよな、勝利の味は最高だからなあ」と明るく笑う狩野。一度くらいは勝った経験があるのでしょう。歩き出す狩野、とまどいながら従いていく一子の後ろ姿。やがて、二人は肩を並べて歩くようになるはずです。
長ったらしいものを読んでいただきありがとうございました。最後に敬意をこめて、主なスタッフと演技陣を紹介させていただき、lenovo T410を閉じます。
監督:武正晴
脚本:足立紳
撮影:西村博光
斎藤一子:安藤サクラ、ヒラリー・スワンクを越えました
狩野祐二:新井浩文、この人がどうして売れっ子なのか、わかった気がします
斎藤孝夫:伊藤洋三郎…一子の情けない父親は印象的でした
斎藤二三子:早織…一子の妹、目力がありました
斎藤佳子:稲川実代子…一子の母親、唯一の理解者の優しい視線でした
野間明:坂田聡…44歳のバツイチ店員、喋りまくる「コミュ障」の名演でした
佐田和弘:沖田裕樹…本部の社員、悪役ですが悪人ではない人物を好演しました
小林:松浦慎一郎…一子の若いトレーナー、本物のボクサーかしら
ジムの会長:重松収…一子のジムの会長、イーストウッド以上に味のある演技でした
池内敏子:根岸季衣…元店員で弁当貰い、ずっと誰だかわかりませんでした。怪演です
(敬称略)