まず歯医者を称えよ(今週の誤変換1)
原監督もイチローも、「侍ジャパン」の面々なら、5度も死闘を演じた韓国について、「強いチームだった」「すばらしい選手がいた」「優れた技術を見た」「見習うべきガッツがあった」など、賞賛の声が上がっていたはずである。あるいは、日本を苦しめ続けた「韓国野球」の実力と美点について、「侍」たちが解き明かしてくれとインタビュアーは積極的に尋ねるべきであった。洪水のように報じられたニュース報道をみる限り、韓国を讃える声が取りあげられることはほとんどなかった。
もし逆の立場だったら、決勝で韓国チームに負けていたら、韓国の監督や選手たちから、少しでも日本野球や日本人選手について褒めたコメントを引き出そうと、日本の新聞・TVは躍起となっていただろう。無様にKOされた日本人ボクサーについて、世界チャンピオンがどんなコメントを出したのか、私たちが翌日の新聞スポーツ欄をくまなく探すように、韓国の野球ファンも、「好敵手」や「辛勝」といった声を「侍ジャパン」から聴きたかったはずだ。
私の周囲では、TV観戦した誰もが口をそろえて、「感動的な一戦だった」といい、「長い間野球を観てきて、涙が出るなんてゲームははじめてだった」という感想を洩らす知人もいた。それほどの名勝負だったのなら、敗者についてももっと語られるべきだ。岩隈やダルビッシュの投球や内川や青木の打撃や守備について、詳細に論じられたと同様に、韓国チームの面々について、私たちももっと知りたかったはずだ。
日韓は孝行野球である(今週の誤変換2)
日韓とも野球の裾野は高校野球である。郷土や家族の名誉を賭け、一度負けたらそこで敗退、というトーナメント方式で闘ってきた経験が、あの決勝のような緊迫した好ゲームを生んだ。換言すれば、日韓ともアマチュア野球の根がある。それが基本に忠実な、エラーの少ない、チーム力で勝ちをつかむ、「スモールベースボール」に結びついている。
トータルで勝ち越せばよいという興業を重視したアメリカのベースボールとは、根底的に違うわけだから、単純な比較はできないが、「プロフェッショナル」が無前提にアマチュアを凌駕するという通念を覆したと考えることはできる。それはどこか、あれほど専門性を独占し、先進性を誇った、アメリカの金融工学と金融ビジネスが無惨に瓦解したことを連想させる。
もっとも、日本では、「プロフェッショナル」というとき、「プロジェクトX」に登場した「プロ」たちを想起すれば、「優れた職人技」や「無私の努力」を指す場合が多く、アメリカの金融ビジネスのように、ルールなき弱肉強食の勝者を「プロフェッショナル」と指すことはない。もちろん、アメリカのベースボールプレーヤーや監督たちも、日韓の野球選手たちと変わらぬ、かつての野球少年たちだろう。
ただ、WBCの背後に控えるアメリカのビジネスマンたちは、中国やインドなど、膨大なアジア市場を射程に入れていることだろう。中国やインドが、日韓に続いてWBCの有力メンバーになれば、たとえばそのTV中継の放映権料だけでも莫大な収入が見込めよう。それは同時に、アメリカのスポーツ文化をこれらの国々に押しつけようとする、アメリカの覇権としての「グローバリズム」の問題を起こすものだ。
真実一路(今週の誤変換3)
そこでは当然、フィデル・カストロが正しく批判したように、日本・韓国・キューバをひとつの組にして戦わせ、アメリカが決勝に進み易くするような「陰謀」がこれからも仕掛けられるだろう。にもかかわらず、日韓が決勝に勝ち進んだ。ここで大事なことは、日本が韓国に勝ちWBCを2連覇したことではなく、日韓が決勝に勝ち進んだことなのだ、と思う。日韓のアマチュア野球が決勝に勝ち残ったこと。それは「」をはずした、グローバリズムに進む端緒だと思いたいのである。
周知のように、韓国のプロ野球は、日本から学び、日本の野球人によって育てられた面が大きい。つまり、日韓は同じ野球をやっている。アメリカから輸入されたベースボールを野球に変えて、アメリカと互角以上に闘える実力を養ってきた。アメリカとは違う練習方法と鍛えかた、モチベーションでゲームの高みに上がったわけである。その象徴がイチローであることは言うまでもない。イチローが、現代において、代表的なベースボールプレーヤー、野球選手の一人であることは誰しも認めるところだろう。
そのイチローのバットを決勝の1試合を除き、それ以前の4試合において完璧といえるほど封じた韓国チームの投手陣については、もっと分析されるべきだろう。あるいは、ダルビッシュから初回に3点をもぎとった試合の攻守についても。韓国チームを讃えることはすなわち、日本野球にある普遍性を見出すことであり、日韓のローカリズムがアメリカの「グローバリズム」にどう拮抗して、「」をはずしたグローバリズムに進む道を示す、ひとつのきっかけに成り得ただろうと思うのだ。
しかし、WBC戦TV中継を一回も観ていないのに、俺もよく書くなあ。
前回、「侍ジャパン」の命名にケチをつけた。命名者は、王貞治らしい。それなら、話は別である。誰が言ったかによって、言葉の意味や価値はまるで違ってくる。王貞治が命名したのなら、オラに文句はない。
(敬称略)