コタツ評論

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世界はなぜ地獄になるのか 補遺

2023-11-05 17:25:52 | ノンジャンル

>自分らと同じ特権階級的に遇されてよい、あたかも「上級国民」だったから、過去のイジメは無視されてきたのだとする記事さえあった。

たとえば、慶応のラグビー部の伝統的就職先の上位は、三菱商事やフジテレビだったりするのだが、そのなかでも附属出身者の就活が強いとされる。つまり、慶応の就活最強は、附属・体育会閥なのだ。

小山田圭吾はセツ・モードセミナーという美術学校に学んでいるが、最終学歴としては和光学園高校卒である。しかし、慶応附属出身者の多くがそうであるように、分野は違えど、親族や親戚に音楽芸能界や芸術分野に活躍する人たちに恵まれている。

金や地位という資産ではなく、音楽的な才能という文化資産を受け継いでいるという点が、彼ら附属出身者にある畏敬の念を抱かせたのではないかというのは、なかなか説得力がある視点だろう。

同じ慶応でも幼稚舎など附属から進学した者と高校や大学から進学した者との間には、ほとんど交流がないといわれる。幼稚舎から内部進学者なら、たとえ東大理3に軽々と現役で合格するような秀才でも、当たり前のように慶応医学部に進学するという。

そんな彼らから「仲間意識」を持たれる小山田なら、身体の動きがふつうでない、コミュニケーションがとりにくい同級生(障碍者)のイジメに加わるのも、たぶんそれは悪質なものであるはずだという予断を抱くのもまた、わかりやすいことだ。

そして、そういう予断と無縁ではない我々にとって、小山田の語るその同級生への屈折した「友情」に近い何らかの情理というのはわかりにくい。

「日本いじめ紀行」の小山田インタビューは、そのわかりにくさを保持しているのが取り柄といえる。

スラボイ・ジジェクが親イスラエルと親パレスチナ、反イスラエルと反ハマスの線引きは間違っているといっている。

あるいは元仏外相ドミニク・ドヴィルバンは「パレスチナ惨事」について、「西洋主義」などの数々の罠に囚われぬ、「対話の継続」という希望に熱弁を振るっている。

「小山田圭吾炎上事件」についても、そうした地獄を招き寄せる、我々の線引きやそれを正当化する数々の罠は通底しているように思える。

しかし、対話は続いているし、積み重なっている、日本においては、たとえそれが正統なジャーナリズムやメディア発ではないとしても。

やっぱり、魯迅がよく引用したポーランド詩人の言葉が思い浮かぶ。

ー絶望の虚妄なること希望に同じい

(止め)

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世界はなぜ地獄になるのか

2023-10-27 12:15:48 | 新刊本

『世界はなぜ地獄になるのか』(橘玲 小学館新書)

売れているというので買ってみた。

「Pert1 小山田圭吾炎上事件」

東京五輪開会式の作曲担当だったミュージシャンの小山田圭吾が、過去に雑誌企画「日本いじめ紀行」のなかで、高校時代のイジメ経験を語っており、それが問題とされて東京五輪から降板させられた事件を検証している。

高校時代とはいえ、酷いイジメをしたのを雑誌で自慢げに得々と語っていたと新聞記事で読んだ記憶しかなかったが、詳細を知ってみると、報道による印象とはずいぶん違ってくる。

橘は当事者や関係者に直接に取材することなく(取材拒否されたからだが)、当時の雑誌記事やその企画意図、問題となって取材を受けた編集者の証言など、資料やWeb記事から丹念にたどり考察していく、アームチェア・ディテクティブ・ルポといえる。

読後、小山田圭吾って、ごく普通の高校生だったんだな、と思った。どこにでもいる、私や誰それであってもかまわない、ごくありふれた。考えてみればそれも当然で、そんなにびっくりするほどの高校生がいるはずがない。

もちろん、マスコミはそんなことは書かなかった。東大卒のシンガーソングライターとして話題となった小沢健二とは中学時代から同級で、二入でバンドを組んでから、その先鋭的な音楽センスが注目され、才能あふれる音楽家として東京五輪開会式の作曲を任されるまでに「勝ち組」になった、55歳ミュージシャンのイジメ・スキャンダルとしてフレームアップしようとした。その信じられない裏の素顔とばかりに、不祥事続きの東京五輪にからめて。

すると、あの「オザケン」も55歳かとちょっと驚いたが、小山田も高校時代なら40年近く前のイジメである。それをおよそ30年前の90年代の雑誌で語っている内容が問題となった。旧聞も旧聞なのだが、イジメをした上に、それを懺悔するどころか自慢した、というところが、現在の国民感情を刺激するとマスコミは乗ったのだろう。

橘が整理したところによると、40年前もイジメ自殺は起きていて、ときに「イジメ問題」がクローズアップされたが、30年前の90年代には、加害者を談話インタビューする雑誌企画が成立するほど、メディアにおいてイジメ問題は一般化して、それだけインパクトが逓減していたと読める。

今回のマスコミ報道も、イジメたという悪事を雑誌で自慢げに語っていたという点が強調され、いわば「ポリコレ」事件として浮上したといえる。だが、問題となった雑誌のインタビューの小山田は、けっして自慢話や武勇伝として語ってはいない。かといって、懺悔調では全然ない。

イジメをした同級生について、その原因となった彼の「奇行」に当初はびっくりしたが、やがて、「気になる存在」となり、「ファンになった」と小山田は話している。イジメの内容も報道されたほど悪質なものではなく、実行者ではなく傍観者であったり、もっと幼い頃の見聞だったりしたものを、切り取り繋げて「衝撃的」な記事にしている。ただし、ときに、もっとも悪質とされてもしかたがない、イジメの「発案者」だったことも小山田は認めている。

そこからは、他人や状況に流され、流れていく、とりたててワルでもなければ嘘つきでもない、他方、その罪の意識と後悔は沈殿しているという、ごくありふれた内面が想像できる。と同時に、何が自分をそうさせたかを知ろうとする小山田の探求心もうかがえる。

スキャンダルが発覚した場合、マスコミは実際以上に悪く書くことが多いが、ときに実際以上に良く書く場合がある。橘の論考はもちろんそんな扇動や忖度には距離を置き、といって中間的な微温的な立場にも立たず、小山田の内省を踏まえながら、社会文化のなかで等身大という捉え直しを試みている。

それはマスコミが煽情的に描き出す「ありえない姿」ではなく、国民感情が期待する「ありのままの姿」の予定調和のどちらでもない、いわば「ありふれた姿」に本質というより、実質を見出そうとしている、という風にも思える。

橘と同じ資料を読み込んだはずの新聞雑誌記者のほとんどが、「誤報」に近いステロタイプな叩き方をした。なかには、小沢健二や小山田圭吾は、メディア人種や音楽界のクリエイター周辺から、特権階級的に遇される、いわば「上級国民」だったから、過去のイジメは無視されてきたのだとする記事さえあった。

金や地位だけでなく、才能という「文化資産」を受け継いだ「上級国民」という観点を音楽界に当てはめたのはおもしろい。しかし、当の小山田は言わずに済んだ、自らの高校時代のイジメを率直に告白し、イジメた同級生(障碍者)との対談までさせようとする企画にあえて乗ったのだ(被害者との対談は断られたが)。

イジメた側は忘れてもイジメられた側はずっと忘れることはないとよくいわれるが、イジメから10年以上も経てなお、小山田はイジメた同級生について、どのようなイジメの場面があったのか、よく覚えていて、どうして起きたのかについても考えていた。

反省や後悔、弁明や謝罪という以上に、イジメ当事者であることを引き受け考え続けてきたことが、小山田の発言からうかがえる(イジメ側が何を思い考えていたかを尋ねるのが、この「日本いじめ紀行」の企画意図だからでもあるが)。やはり、小山田もどうしてイジメをしてしまったのか、なぜそれは起きたのか、イジメた同級生と再会することになっても、知りたかったのだろう。

被害者はもちろんだが、加害者もまた、「なぜ起きたのか」を知りたいのだ。

涙ながらに土下座しろ、社会的制裁を受けろ、イジメられた者の苦しみを少しでも味わえ、という「キャンセルカルチャー」の復讐心の解消からほど遠い、この「日本いじめ紀行」の前向きな企画に感心した(小山田を第1回として、その後は誰も引き受けてくれなかったそうだが)。

誤解を畏れずにいえば、障碍者をイジメた小山田とイジメられた同級生について、その後もずっと考え続けてきた10年後の小山田の屈折した「友情」に、私は好印象を持った。そんな「友情」はあり得ない、自己合理化に過ぎないと直ちに切り捨てる「キャンセルカルチャー」に、与することはできないと思った。

「炎上」に見舞われた55歳の小山田は、いったい何を考えているのだろう。イジメた同級生に出した年賀状の返信のハガキを、いまも大事に持っているのではないか。

橘も少し突っ込んでいるが、障碍児や不登校児などを積極的に受け入れてきた、リベラルな校風で知られる和光学園で、そうしたイジメが蔓延していたことも、興味深い。

(止め)

 

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牛肉 ガーリック味付き 20%OFF

2023-10-07 05:43:08 | ノンジャンル

「これ、おいしいね」

家人が感想を述べた。

「そうかい、それはよかったね」

私は答えた。

しばらくして、

「おいしいね、これ」

また言う。

「それはよかったね」

私も言う。

咀嚼する家人の口許を見ている。

「おいしいね、これ。家で自分でつくったの?」

目と唇をまるくして言った。

「ただ、焼いただけだよ」

「さっきから、おいしいって言葉を5回くらい言ったよ」

「覚えてない? 忘れた?」

「それとも、おいしいといわないと俺が文句言うと思ったのかな」

家人はウフフと笑った。

「そんなに頭は回らないよ。それに、おいしいって言ったの3度くらいだよ」

「そうか。それならよかった」

私は言った。

(止め)

 

 

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君は女子バレーを観ているか?

2023-09-23 17:24:02 | ノンジャンル

「FIVBパリ五輪予選/ワールドカップバレー2023」を観ているか。日本はこれまで1セットも落とさぬ5連勝という快進撃を続けている。今日、土曜日に同じく5連勝中で世界ランク1位のトルコと対戦する。セットカウント3-1以上でトルコに勝利すれば、グループ2位以内が確定し、パリ五輪に出場できるという大一番だ。

ちなみに日本は世界ランク8位、ブラジルやアメリカ、中国が強いことは知っていたが、トルコが一位とは? 伝統的に東欧諸国や南米に強豪国が多く、アジアでは中国、日本、韓国くらいだったが、タイが世界ランク14位と躍進しているのは嬉しい。

ここ3戦くらいを観たかぎりでは、高さや身体能力に劣る分を技術と速さでカバーするという、日本のお家芸で勝利している、のではないように思う。バレーボールを少し齧った経験から言うと、バレーボールにおける身長差やジャンプ力はそう簡単に越えられる壁ではない。

「木偶の坊」や「総身に知恵の回りかね」は大昔の話で、バスケを観てもわかるように、いまや技術や速さにそれほどの差はない。

ではなぜ、エースの古賀紗理那が180cm、平均身長175cmの日本が2m越えや190cm越えが珍しくないチーム相手に圧勝できるのか。チームワークというには生易しすぎる、一丸となっての攻守だと思う。

ニコニコしながら甲高い声を掛け合いながら、1点1点もぎ取っては手をタッチして喜ぶ。わずかなことでも喜ぶ。ホームの熱狂的なファンの声援がそれに呼応する。チーム一丸、会場一体、が彼女たちに勝機をつかませ、勢いを与えている。

これ、まさしく日本の、日本人の勝ち方なんだよな。短期決戦では、スキルや地力ー総合力に勝る相手に勝つことができる。勝ち続けることはできないし、しぶとく負けることもできないが、「柔よく剛を制する」こともある。

天然全体主義ともいうべき国民性があってこそのものだから、もちろん毀誉褒貶あるわけだが、少なくとも日本チームと対戦チームのどちらが楽しそうか、生き生きとしているか、この瞬間、どちらが幸福なのかは明白だ。

いまの日本は、日本人は、黙々と日々の努力を続けられる環境はなく、ここぞというときのチームワークはなく、周囲の応援もない。トップダウンの減点主義のプレッシャーに苦しめられる、かつてのソ連東欧チームのような、暗い表情の人々に満ちているのではないか?

さあ、19時からの日本女子代表チーム第6戦を応援しよう。世界NO.1のトルコがどんなチームか楽しみ。

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憧れるのやめましょう

2023-06-18 17:00:39 | TPP

大谷翔平とその通訳の水原一平とは10歳の年齢差がある。当然、野球以外のアメリカの社会常識や生活知識、周辺の人々とのいろいろな連絡や交渉事などについて、高校大学をアメリカで過ごした年長者の水原は、大谷から公私ともに頼りにされる存在だろう。

大谷が英語でスピーチする際は助言し、言い回しなどチェックしているだろうが、日本語でのスピーチや談話なども水原氏は相談に預かっているのではないかと思っていた。大谷はスーパースターとはいえ、高卒の野球しか知らない28歳である。

WBCの予選ラウンドの後、大谷はじつに行き届いたコメントを出した。「韓国や中国などアジアの国々でも、もっと多くの人々が野球を知って楽しんでほしい」とMLBがめざす世界視野の未来志向をおさえた内容はメディアを感心させ、一方、敗退したチームへの気遣いも忘れず、まっさきに名を挙げられた韓国の野球ファンを感激させたといわれている。

あらかじめ、スピーチ原稿を用意する余裕など大谷にはなかろうし、スピーチライターとまではいかずとも、水原の反応や助言を大谷は参考にしたはずとほとんど信じていた。

しかし、大谷のスピーチに水原の介入などじつはほとんどなかったのではないかと思わせる内輪話を知った。いまや有名になった、あの「憧れるのはやめましょう」というWBC決勝前の大谷「声出し」のことだ。

自らも同じ思いをした経験をしたからこそ、MLB頂点のメジャーリーガーたちに、憧れて受け身になっては勝つことはできない、臆することなく立ち向かおうという内容だった。大谷自身が優勝後のインタビューでもそのように説明し、マスコミも同様に受け止めていた。

ただ、大谷の「声出し」の前にちょっとした出来事があった。

その日、決勝の舞台となるローンデポ・パーク入りした日本代表の選手から、水原はひとつの頼みごとをされた。マイク・トラウトのサインボールが欲しいというものだった。気軽に引き受けた水原は、アメリカ代表のロッカールームを訪ね、気のいいトラウトは「それなら」と日本チーム全員にサインしたボールを渡した。

水原が持ち帰ったサインボールを手に、日本代表選手たちは喜び浮かれたそうだ。そんなロッカールームの空気を引き締めたのが、大谷の「憧れはやめましょう」だったというのだ。

それを聴いていた代表選手の一人宮城大弥投手は、そう大谷スピーチの印象を語っている。「でも、みなが憧れていたのは大谷さんですよ」「だから、そこじゃないですよ」と思ったと明かしている。彼らにとって、大谷が名前を挙げたゴールドシュミットやムーキー・ベッツ、マイク・トラウトらより、大谷翔平こそ、もっとも意識する存在だったというのだ。

だとすれば、トラウトのサインボールに浮かれたというほどのことはなく、メジャーリーガーへの「憧れ」から「受け身にならず」という大谷の話にもピンとこなかった、つまり大谷の「声出し」はまるで的外れだったわけだ。にもかかわらず、聴いていた日本代表選手たちは奮起した。

アメリカ代表の面々よりも、いま眼前で落ち着き払った笑みを浮かべて諄々と語りかけてくる大谷翔平に、同じプロ野球選手として、「負けてなるものか」という闘志をあらためてかき立てられた。なるほど、そんな風に想像するほうがずっと納得できる。

あるいは、穿ってみれば、そこまで読んだ上で、「憧れるのはやめましょう」と大谷は口を開いたのかもしれない。大谷は投打の両方で毎試合、毎球ごとに打者や投手として読み合い、駆け引きして戦っている。そして、勝つためにはホームランを捨ててバントするのも厭わない、なりふり構わぬ「勝負師」としての作戦だったとしたら、これまた興趣は尽きない。

いや、大谷にそんな「腹芸」は似合わない。水原一平は独断でトラウトのサインボールをねだりに行ったのではなく、事前に大谷に相談し許可を得ていたのかもしれない。そして、「ああ、いいんじゃないですか」と大谷はさして気にも留めなかった。

大谷はもちろん、そんな些事以前から、試合前に「声出し」をするつもりだった。当初は、ただの元気づけくらいに思っていたが、トラウトのサインボールに浮かれている様子の代表選手たちを眺めた後、「憧れるのやめましょう」を思い立った。

(違うよ。俺たちが憧れて、受け身になっていたとすれば、ほかならぬあなたのせいだよ。憧れを捨てて立ち向かって勝ちにいかなくてはならないのは、まず大谷翔平だ。それも今日一日だけではなく、これからずっとだ!)

自分たちが大谷を強く意識していることに、大谷自身はまったく気づいていない。つまり、眼中にないのだ。「憧れ」という「浮かれた」言葉が使われたことで、選手たちは否応なくそれに気づかされた。闘志に火がついた。

そんな風に考えてみると、自分の「声出し」に手ごたえを感じて満足している大谷の笑みと選手たちのどこか不敵な笑みのわけがわかる。そこに、選手たちの奮起のきっかけをつくるとも知らず、ただ善意から何十個ものサインボールをせっせと書いているトラウトの武骨なうつむき顔もオーバーラップしてくる。

MLBを最大限にリスペクトした大谷スピーチは、日本だけでなくアメリカでも大きく報道され、ベースボールファンのみならず、「憧れられた」のMLB選手やそのレジェンドたちからも、感動と称賛の声が相次いだ。

それぞれが「同床異夢」ながら、脚本は「大谷劇場」に集約されたのはご存じの通り。

大谷翔平のほんとうの凄味は、その優れた身体能力や投打の技術以上に、メンタルの強さだというのは、メジャーリーガーたちの多くから指摘されている。

それはきわめてストイックな鍛錬や節制はいうまでもなく、不調や疲労から回復する受け身のタフさを指すようだが、「憧れるのはやめましょう」をめぐるエピソードは大谷翔平の勝ちにいく能動的なタフさをうかがわせるものに思える。

そのタフネスは、練習や試合に対するような、強い意志や綿密な計画や計算に裏づけられるものではなく、もしかすると能天気に見えるほど、天然自然なものかもしれない。そんな先人を私たちは一人知っている。背番号3番のあの人である。

(止め)

 

 

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