やたらと評判の良い「おくりびと」を観て来ました。
モントリオール世界映画祭でグランプリを受賞。
英語の題名は "Departures"だそうです。
笑いあり、涙あり、テンポよし、観終わってスッキリ!の良い作品だったと思います。
ただ…
全体的に薄い、という印象が否めませんでした。
作品中にいくつも出てくる「死」、それをサラリと描こうとしたせいなのかもしれません。
様式美という言葉がふさわしい納棺師の所作、そして山形の豊かな四季も美しいのですが、何処か生活感のない、美のための美、という気もします。
人の死にまつわる色々なエピソードが紹介され、その度にホロリと泣かされるのですが、私が一番心打たれたのは、なんといっても親子関係の話でした。
主人公の大悟(本木雅弘)は、幼い頃父に捨てられ、それをずっと恨みに思っている。もう三十年以上前のことだ、忘れたよ、と妻(広末涼子)には言いますが、実は心の底にずっと引き摺っている。
そしてそれは当然だろう、と思うのです。
子どもを捨てる、ことに一心に親を慕う幼い子どもを捨てるという行為は、何をどう言い訳しても許されないことだと思います。
捨てられた子どもの心をどれだけ傷つけることか。
自分を捨てた親を恨み、憎むということは、ひいては、その親によって生を受けた自分をも否定することになるような気がします。
大悟のその恨みは、映画のところどころで語られ、幼少期の父親との思い出のシーンと共に、少しずつ延びて行く伏線となっています。
普段は明るく振舞っているが実は昔子どもを捨ててきた、と告白する女事務員(余貴美子)に「子どもを捨てた親はみんなそうなのか!だとしたら無責任すぎる!」と振りしぼるように叫ぶ大悟。
しかし、女事務員もまた、日々苦しんでいる。
自分の過去の行為の為に、子どもに二度と会えないということは、死に別れるよりもむしろ辛いものであるのかもしれない。
そして、話はラストに向かって収束するのです…
結末は途中で透けて見えるような気もしますが、それでも、気持ちよく泣けます。
自分は忘れられていなかった、愛されていたのだと思えることが、捨てられた子どもにとって、どれだけの救いになることか…
観る側にとっても、どれだけの癒しになることか。
社長役の山崎務の顔の深いシワ、重厚な演技が、作品の重みを増しています。
広末涼子の舌足らずな子どもっぽい演技は、私は好きではないのですが、この”薄い”印象の映画には合っているのかもしれません。
大悟の母親が住んでいた古いスナックも、事務所の社長の部屋も、妙に都会的で田舎にそぐわない、という意見もあるようですが、私は、前者は沢山のクラッシック音楽のレコードだけ残して蒸発してしまった夫への(田舎育ちの)母親の憧れがその少女趣味に表れ、後者は日頃、多くの「死」に接している社長の「生」への憧れが、その部屋中に氾濫している緑に表れているように思いました。
全編を通して流れる美しいチェロの曲は、久石譲のオリジナル、古川展生をはじめ日本を代表する13人のチェリストによって奏でられているのだそうです。
公式HPで、その美しい旋律を聴くことができます。
それにしても
あそこで峰岸徹が出てくるとは思いませんでした…
☆4
「おくりびと」
モントリオール世界映画祭でグランプリを受賞。
英語の題名は "Departures"だそうです。
笑いあり、涙あり、テンポよし、観終わってスッキリ!の良い作品だったと思います。
ただ…
全体的に薄い、という印象が否めませんでした。
作品中にいくつも出てくる「死」、それをサラリと描こうとしたせいなのかもしれません。
様式美という言葉がふさわしい納棺師の所作、そして山形の豊かな四季も美しいのですが、何処か生活感のない、美のための美、という気もします。
人の死にまつわる色々なエピソードが紹介され、その度にホロリと泣かされるのですが、私が一番心打たれたのは、なんといっても親子関係の話でした。
主人公の大悟(本木雅弘)は、幼い頃父に捨てられ、それをずっと恨みに思っている。もう三十年以上前のことだ、忘れたよ、と妻(広末涼子)には言いますが、実は心の底にずっと引き摺っている。
そしてそれは当然だろう、と思うのです。
子どもを捨てる、ことに一心に親を慕う幼い子どもを捨てるという行為は、何をどう言い訳しても許されないことだと思います。
捨てられた子どもの心をどれだけ傷つけることか。
自分を捨てた親を恨み、憎むということは、ひいては、その親によって生を受けた自分をも否定することになるような気がします。
大悟のその恨みは、映画のところどころで語られ、幼少期の父親との思い出のシーンと共に、少しずつ延びて行く伏線となっています。
普段は明るく振舞っているが実は昔子どもを捨ててきた、と告白する女事務員(余貴美子)に「子どもを捨てた親はみんなそうなのか!だとしたら無責任すぎる!」と振りしぼるように叫ぶ大悟。
しかし、女事務員もまた、日々苦しんでいる。
自分の過去の行為の為に、子どもに二度と会えないということは、死に別れるよりもむしろ辛いものであるのかもしれない。
そして、話はラストに向かって収束するのです…
結末は途中で透けて見えるような気もしますが、それでも、気持ちよく泣けます。
自分は忘れられていなかった、愛されていたのだと思えることが、捨てられた子どもにとって、どれだけの救いになることか…
観る側にとっても、どれだけの癒しになることか。
社長役の山崎務の顔の深いシワ、重厚な演技が、作品の重みを増しています。
広末涼子の舌足らずな子どもっぽい演技は、私は好きではないのですが、この”薄い”印象の映画には合っているのかもしれません。
大悟の母親が住んでいた古いスナックも、事務所の社長の部屋も、妙に都会的で田舎にそぐわない、という意見もあるようですが、私は、前者は沢山のクラッシック音楽のレコードだけ残して蒸発してしまった夫への(田舎育ちの)母親の憧れがその少女趣味に表れ、後者は日頃、多くの「死」に接している社長の「生」への憧れが、その部屋中に氾濫している緑に表れているように思いました。
全編を通して流れる美しいチェロの曲は、久石譲のオリジナル、古川展生をはじめ日本を代表する13人のチェリストによって奏でられているのだそうです。
公式HPで、その美しい旋律を聴くことができます。
それにしても
あそこで峰岸徹が出てくるとは思いませんでした…
☆4
「おくりびと」