Zooey's Diary

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メキシコ旅行⑬殺されるのはどっちだ?

2019年12月23日 | メキシコ・キューバ旅行2019

先週の金曜日はジャズダンスの発表会、土曜日は甥の結婚式、
日曜日は義母たちを我家に招いたりしていて少々忙しく、日記のアップが遅れました。
もう少しだけ残っているメキシコ紀行、早く書き終えなくっちゃ。



ユカタン半島にあるマヤ文明の遺跡、チチェン・イツア。
ここには、マヤの最高神ククルカン(羽のあるヘビの姿の神)を祀るピラミッドがあります。
基底55.3メートル四方とやや小ぶりですが、この階段は4面の91段を合計すると364段で、最上段の神殿の1段を足すとちょうど365段なのだそうです。
北面の階段の最下段にククルカンの頭部の彫刻が。
春分・秋分の日に太陽が沈む時、階段の西側にククルカンの胴体が影となって現れるのだと。
そしてピラミッドの最上段には真四角な神殿があり、ここでもやはり生贄の儀式が行われたらしい。



これは戦士の神殿。
こちらの上部には、ククルカンの石柱と、例のチャックモールが。
ここでも沢山の心臓が捧げられたのですね。
生贄の首はその後切断され、骸骨のレリーフが施された祭壇に串刺し状に並べられたと。



ここには、古代メソアメリカ最大の規模だと言われている球戯場もあります。
長さは168m、幅は68mという巨大さ。
競技者の首が切られ、そこから7匹の蛇が飛び出し、花が咲くというレリーフも。



この球戯で、負けた方のチームが首を切られるという本を読んで驚きましたが
本によっては、名誉の生贄として、勝った方のチームが切られると言っています。
どちらであるかは今のところハッキリしていないらしいが
何しろ競技者たちの首が切られたことは事実であるらしい。
負けると殺されるというのと、勝ったら殺されるというのと
どっちが残酷なのか?
高度な天文学知識と残酷な生贄の儀式とが、私にはどうにも結びつかないのです。



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10 コメント

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Unknown (ゆり)
2019-12-23 19:44:56
古代の人間と 現代の人間とでは価値観もかなり違いますし 神聖なもののとらえ方も違いますから 私たちが理解できないのも仕方ないでしょうね
そう考えると生贄ではないですが 日本もお城があったところはだいたい首塚がありますし 斬首場所があったし生々しいですよね それがその当時では当たり前だったとはいえ今は考えられないですよね
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ゆりさま (zooey)
2019-12-23 23:20:03
古代と現代では価値観も信仰心も違うというのは分かるのですが
それでも家族を愛する気持ちや死にたくないと思う気持ちは同じじゃないかと思ってしまうのです。
首塚は全国にあるようですが
合戦で死んだ人を弔うためのもので、生贄とは違いますよね。
人柱もあるといいますが、数がまるで違うようですし…
いずれ、マヤの時代の価値観を現代の常識で判断することはナンセンスということなのでしょうね。
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どっちーっ??! (ノルウェーまだ~む)
2019-12-23 23:33:09
zooeyさん☆
これだけ多くの人が生贄として殺される環境にあり、しかも行列になっていたとかを考えるに、きっと勝った方が生贄だったのではないかしら?
神に首を捧げることはある意味名誉・もしくは死後の世界で何か特典があるというような信仰があったのかもしれませんね。
そうでなければまかり通っていた恐怖政治に対する反乱など起きていたに違いないはずですもの・・・
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Unknown (matsubara)
2019-12-24 08:37:44
生贄は不気味というイメージですが、
日本でも江戸時代までは京都の三条河原に
さらし首をみせしめにしていたので
同じような物でした。

しかし勝者がそういう目にあうとは
理解不能ですね。
いくら信仰上の理由があるとしても。
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Unknown (tona)
2019-12-24 13:26:52
チチェン・イツアのククルカン、春分の時の映像を数回見ました。凄く計算しつくされた素晴らしい光景です。実際にいらっしゃったのですね。
マヤ文明の遺跡の数々をご紹介いただきましたが、改めてその凄さを認識いたしました。
残酷な生贄の儀式の事とこんな偉大なものを造るというのは矛盾があるようで、すべては自分たちの生活のための儀式を大切にしそれに則っているのだと納得した気分になりました。
串刺しといえばルーマニアのドラキュラ公を思い出しましたが、こちらは宗教心のない残酷さでした。
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まだ~むさま (zooey)
2019-12-24 23:37:03
どちらかはまだハッキリしてないらしいのですけど
少し前に書かれた本は負けた方、
最近書かれた本は買った方が殺されたとしているのが多いみたい。
神に命をささげることが名誉とされたいたのは間違いないようです。
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matsubaraさま (zooey)
2019-12-24 23:39:40
三条河原の晒し首は有名ですけれど
それは戦で負けた側とか、謀反者の首ですよね。
マヤ・アステカ時代にも、戦争の捕虜の首ということもあるけれど
ごく普通の一般人の首も多かったようなのです。
或いは競技者であるとかね。
そこは不思議ですよね。
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tonaさま (zooey)
2019-12-24 23:42:03
チチェンイツァの春分・秋分の日には
世界中から観光客が集まるのですってね。
私もネットの画像で観ました。
よくあんな計算ができるものですよねえ?
マヤ・アステカ文明については読めば読むほど不思議なことだらけです。
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Unknown ()
2019-12-25 21:39:24
競技者って、今でいうアスリートであって、アステカ・マヤのような後進的な国は、兵が強くないと平和を保てないわけで、スペインが強かったとはいえ、簡単にコルテスに滅ぼされてしまったのは、相当弱かったんでしょうね。

娯楽も少ないと思いますから、競技やスポーツから生まれた英雄というのは、国に活気を持たせる上でも、重要だと思うのですが、信仰で平和を保ったと言う事で、生贄を捧げられる事が、古き帝国の威信や信仰を示す祭祀だったのでしょうね。だから、欧州人が来た時には、その風習は威厳ではなく、奇異に映ったんじゃないでしょうか。

列強が抱いたその違和感からすると、恐らくは、新世界の大陸に割拠した帝国というのは、生贄然り、共存の歴史然り、似たような信仰や価値観を持っていたんじゃないでしょうか。外交が無いとか弱国だからと言って、牧歌的で温厚とは限らないですし、生贄という驚くような風習もある事があるんですね。
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隆さま (zooey)
2019-12-26 23:15:34
当時、マヤやアステカ帝国が、銃や大型船を持っていたスペインに滅ぼされるのは当然のことだったのではないでしょうか。

生贄の儀式は、スペイン人の目から見たら相当残酷に映ったでしょうが
そういうスペイン人は現地人を虐殺して、幾つもの民族を絶滅させてしまったのですから
人のことは言えないですよね。
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