桐島洋子さんの最新刊「ペガサスの記憶」が昨日amazonで届き、すぐに読み終わりました。
驚くこと多々でした。
ネタバレがありますので、これからお読みになる方はお気を付けください。
前半は洋子さんの自伝。
祖父は三菱財閥の重鎮であったが戦後没落し、上海、葉山、東京で過ごした子ども時代のこと。
駒場高校を出て文藝春秋社に勤め、仕事と恋と遊びに寝る間も惜しんで明け暮れたこと。
新幹線の中でアメリカ人の退役軍人と知り合い、たちまち恋に落ち、子どもを身籠ったこと。
長女をこっそり産み、信頼できる人に預け、二人目を身籠った大きなおなかで欧州を旅し、そして船上出産を果たしたこと。
そこで前半は終わっています。
後半は、三人の子供たちから書かれた桐島家のこと。
どんな思いをして子供時代を過ごしたか、そして子供たちの目線から捉えた母親の像。
今までの彼女の著作には書かれてなかったことが、多々ありました。
例えば子供たちの父親に、アメリカに妻がいたことは語られていますが、実は日本にもう一人の愛人がいて、その女性との間にも子供がいた。
そしてその女性と籍を入れたことを彼女は知っていて、それでも関係を続け、三人目を作ったのだと。
何より驚いたのは、彼女が45歳で結婚された勝見氏のこと。
博識で美意識が高く、非常に才能豊かな人だが、それだけにかなり難しい性格でもあり、身軽に風のように暮らしたい自分には、方向性が異なる彼と夫婦であることがしんどくなった。
それで一緒にいるより友達に戻った方が快適だということを長い時間かけて説得し、段々と別居に馴らして円満離婚を果たした。
離婚した後もよい友達となり、難病ALSに倒れた彼を看取ったのだというのが、「ほんとうに70代は楽しい」に書かれていたこと。
ところが、かれんさんに言わせると
”私たちの人格を深く傷つけるおぞましい嘘で攪乱し、私たち四人家族の仲を引き裂こうとした”と。
そして彼女は二十代以降、一度もその人とは会ってないのだそうです。
次女ノエルさんは
”母の結婚相手は到底受け入れられる人ではありませんでした。虚言癖があり、母の友人たちに電話をしては私たちの悪口を言いふらし、些細なことで顔を真っ赤にして怒り出すような、きっととても臆病な、心の小さな人でした”
そして、高校生の彼女と言い合いになった彼は、飼っていた猫を思い切り壁に投げつけたというのです。
桐島洋子という人は、良く言えばつくづくポジティブ思考であり、悪く言えばなんとええかっこしいであったのか。
辛い思いも悲しい思いも散々なさって来ただろうに、そういうことは著書にはまるで書かれていないのですね。
後書きに、2014年彼女はアルツハイマー型認知症と診断されたと書かれています。
それで書き続けることが難しくなり、子供たちが力を合わせて後半を書いたのだと。
”母は今、体調はすこぶる良好で、穏やかな日常を過ごしています。本音を言えば、倫理的に物事を考えてシャープな発言をしたり、決断したりする母の姿が見られなくなったことは少し寂しいです”と。(かれんさん)
しかし難しい話をしなければ会話も楽しめるし、彼女なりの美意識を持って今も生きていると。
そして”人間としての母に対する私たちのリスペクトは揺るぎないものです。その絆はどんなことがあっても変わりません”(ノエルさん)
というのが、桐島家の三人の子供たちの総意であるようです。
”母は今、体調はすこぶる良好で、穏やかな日常を過ごしています。本音を言えば、倫理的に物事を考えてシャープな発言をしたり、決断したりする母の姿が見られなくなったことは少し寂しいです”と。(かれんさん)
しかし難しい話をしなければ会話も楽しめるし、彼女なりの美意識を持って今も生きていると。
そして”人間としての母に対する私たちのリスペクトは揺るぎないものです。その絆はどんなことがあっても変わりません”(ノエルさん)
というのが、桐島家の三人の子供たちの総意であるようです。
その後の数々のエッセイもスケールが大きくて面白くて
世の女性が熱烈なフアンになったというのも分かります。
でも、ここまで真実を隠していたとはね。
勿論、御自分のことをどう書こうとその人の勝手ですが
彼女の場合は、御自分のライフスタイルを大きなテーマにしていらっしゃいましたから…
本は何かインパクトを入れて売らなくてはならない。
嘘は書かなくてもあまりに困惑するような内容は文章に表さないでしょう。
しかしお子さんたちが補ったという事がまた異色の内容になったのですね。
人の奥の方までは本からは見えませんが、偉人も欠点が沢山という話が多いですから、その人を語る人がいた場合ですが、多方面から見て、良い面を尊敬したいです。という事がわかりました。
レスしたつもりが反映していませんでした。
すみません。
3人の子供達の父親が皆違う、
それは御本人もお子達も、一番不本意で憤慨するべき言葉だったようですよ。
まあでも、そう言われても仕方ないような生き方をなさっていたのですものね。
私は若い頃、この人の著書を結構読んで憧れていたのですが
何を信じていいのやら分からなくなりました。
桐島さんの3人の子供さんは全部父親が異なると
聞いています。
出発点から奇想天外ですから、まともな親子関係
にならないと、覚悟はされていたと思います。
それをポジティブに書かれていたとはその方が
凄いです。
スタート時点から老後はどうするのかと思っていました。