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Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

トルコのお菓子②

2008年09月08日 | トルコ旅行2008
トルコのお菓子でもうひとつ楽しみにしていたのは、ロクムです。

これも、児童文学「ナルニア国物語」の中に出てくるのです。
しかも、エドマンドがそれ欲しさに自分の兄弟を裏切り、氷の女王の手下になるという非常に重要な役どころのお菓子なのです。ところが、私が子どもの頃読んだ本の中では、なんと「プリン」と訳されていました。

”女王は、おなじびんから、雪のなかへまた1しずくたらしました。
するとたちまち、緑色の絹のリボンでしばった、まるい箱があらわれ、
それをひらくと、おいしそうなプリンがどっさりでてきました。
どのプリンもふわふわして、あまくて、これ以上おいしいものをエドマンドは食べたことがありませんでした。”(ナルニア国物語 ライオンと魔女より)

それが、"Turkish Delight(トルコ人の喜び)"という名前のお菓子であるということを知ったのは、近年「ナルニア国物語」の映画を観てから。
それが更に、トルコではロクムと呼ばれるお菓子であるということを知ったのは
今回旅行に際して色々読んでからです。

実際、トルコではあちこちで、このお菓子が売られていました。
お菓子屋にも、土産物屋にも、空港にも。
スーパーなどでは、様々な種類を量り売りしていたくらいです。
モチモチとして、日本のギュウヒと、ゼリーの中間のような食感。
レモン味やローズ味、ナッツ入りなど、様々な種類があります。
ただ残念なことには、これもやはり甘すぎる…
しかも、兄弟を裏切り、自分の魂を悪の女王に売り渡してまで食べたいようなものとは、とても…
これも、小さい頃からの憧れがひとつ、消えました。

トルコの旅行記や生活体験記など色々読みましたが、散々書かれていたのは、「トルコのお菓子は死ぬほど甘い」ということ。
例えば、トルコ人がしょっちゅう食べるというデザートに「バクラヴァ」というのがあるのですが、甘いパイを、更にハチミツ漬けにしたというものです。
レストランのデザートでは、他にもパイやカステラのようなものをシロップ漬けにした類のものが良く出ましたが、甘すぎてとても完食できませんでした。

「ロクム」
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カッパドキア

2008年09月07日 | トルコ旅行2008
カッパドキアという、なんとも不思議な語感の名前は、ヒッタイト語なのだそうです。
有史以来初めて鉄器を使ったという、あのヒッタイト族の言葉です。



標高千メートルを超えるアナトリア高原中央部に、見渡す限り岩石地帯が広がる台地がカッパドキアです。
キノコやエントツ、ラクダのような形の奇岩・巨岩が果てしなくそびえ立つ様は、とても地球上の景観とは思えません。何処か他の惑星に来たようです。
この不思議な風景は、柔らかい地層と硬い地層が、途方もなく長い年月をかけて、重なり合い侵食されて生み出されたのだそうです。

歴史の本やガイドブックによると、3世紀半ばにローマ帝国の弾圧を逃れたキリスト教の修道士たちが、ここに移り住んだのだそうです。
彼らが作った住居・教会などが、今も無数に残っています。12世紀に作られたという洞窟教会には、当時のフレスコ画が今も鮮やかにありました。
クリスチャンたちは、常にペルシャやイスラム勢力に追われていたので、隠れ場所を、どんどん地下に掘り下げていったのだそうです。
1985年に発見されたカッパドキアの地方都市カイマクルには、地下8階、深さ65メートルに及ぶ巨大なものが。
地下1階にワイン製造所、地下2階に食堂、他に居間、寝室、そして最下層に教会。地下5階をつなぐ通路には、外敵が襲ってきた時通路をふさぐため、1トンもの大きな石を転がして通路を閉じる仕掛けもあるのですって。



カッパドキアは、夏は最高温度35度にも上がる(私が行った時も非常に暑かった)のに、冬はなんとマイナス25度まで下がり、一面雪に覆われるのだそうです。
現地人ガイドは、洞窟の中は、年中17,8度に保たれて快適なのだと説明してくれました。
確かに、洞窟の中に入るとひんやりとしました。
しかし、あくまで小さな洞穴なのです。
光も射さず、風も入りません。
勿論、通気孔が完備していて呼吸はできますが、潜るにしたがってどうしようもなく息苦しく感じました。
こんな暗い洞穴に2,3日のキャンプならともかく、永住するなんて、私には考えられません。
こんなところに何世紀にも渡って隠れ住んでまで守ろうとした宗教というものの、人間に与える力の凄さを、改めて考えさせられました。
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トルコのお菓子

2008年09月06日 | トルコ旅行2008
子どもの頃親しんだ児童文学のひとつに
ドイツ作家のケストナーの、「点子ちゃんとアントン」というお話があります。
この中に「トルコ蜜飴」というお菓子が出てくるのです。

「トルコ蜜飴」って一体どういうの!?と、私は子供心に激しく憧れたのです。
しかし、昔はネットなどという便利なものはなく、そんなものを知っている人が周りにいる筈もなく、謎は謎のまま、長らく封印されていたのでした。

後年、ロシア語通訳者・故米原万理さんのエッセイ「旅行者の朝食」の中で、まるで同じような記述を見つけたときは、だから狂喜したのでした。
米原女史も、「点子ちゃんとアントン」に出て来たこのお菓子が気になり、
”トルコ蜜飴という字面を見ただけで、心が千々に乱れたのだった。どんな味のお菓子なのか。どんな色と形をしているのか。一度でいいから食べてみたい。”

で、彼女が子ども時代を過ごした1960年代のプラハで出逢った「トルコ蜜飴」。
”ヌガーをもう少しサクサクさせて、ナッツの割合を多くした感じ。
並みのキャンディやチョコレートじゃ太刀打ちできないくらい美味しい。
すると、そんなの目じゃないわよ、とロシア人の友人がモスクワ土産の
「ハルヴァ」という缶入りのペースト状の飴をなめさせてくれた。
こんなうまいお菓子、生まれて始めてだ。
たしかにトルコ蜜飴の百倍美味しいが、作り方は同じみたいな気がする。
初めてなのに、たまらなく懐かしい。噛み砕くほどにいろいろなナッツや蜜や神秘的な香辛料の味がわき出て混じりあう。”

そうして彼女はその後、世界中で「ハルヴァ」を捜し求めるのです。
長年かかって探し回った結果、彼女が得た結論は
”イディッシュ語ではHALVA、トルコ語ではHELVA、アラビア語ではHALWAとつづられ、どうやら同じお菓子をそう呼んでいることがわかってきた。(中略)
きっとドイツ人やチェコ人は、ハルヴァを真似して作ったお菓子をトルコ蜜飴と名づけたのではないだろうか。
手元の仏語辞典『petit ROBERT』にはHALVAという見出し語があり、
「トルコの飴菓子。ゴマ油に小麦粉と蜂蜜とアーモンド(またはピーナッツやピスタチオ)の実などを混ぜて作る」とあった。”

読むだけで唾が出るような記述ではありませんか…
今回のトルコ行きが決まった時、真っ先に思ったのが、「ハルヴァ」を探そう!ということでした。
現地人ガイドさんなどに散々聞いて、見つけたのがこれです。
感想は…



甘すぎました。
これは、トルコのお菓子全般に言えることなのですけど。
夢は、夢のまま持っていた方がよかったかも…


コメント (2)
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コンヤのメヴレヴィー旋舞教団

2008年09月05日 | トルコ旅行2008
コンヤは中央アナトリアに位置し、11~13世紀にセルジュク・トルコの首都が置かれた所。
ここは非常に保守的な地域なのだそうで、確かに灼熱の太陽の下、スカーフで頭と顔をすっぽり覆い、足元までの長い服をすっぽり着込んだ女性をよく見かけました。

ここはまた、メヴレヴィー教団の総本山でもあります。

”メヴレヴィー教団とは、イスラム教のイスラム神秘主義の教団の一つ。
メヴレヴィー教団は日本語では旋舞教団といわれ、スカートをはいた信者が音楽にあわせて、くるくると回転をし踊るという宗教行為で知られる。
これは祈りの手段であり、回転は宇宙の運行を表し、回転することで神との一体を図るというものである。
1923年のトルコ革命では、「脱イスラム政策」の一環として、1927年までに霊廟は破却され、教団は解散させられた。
その後、歴史的文化価値などから復興し、霊廟は博物館として一般に開放されおり、また舞踏もルーミーの命日に体育館などで公共の場で披露されており、トルコの古都コンヤを象徴する祭礼となっている。”(Wikiより)

今では年に一度、旋回舞踏が公開されるのだそうですが、その日は世界中から見物客が訪れ、コンヤの全体が凄い人数に膨れ上がり、ちょっとやそっとで会場には近づけないのだそうです。
”無我の境地に至り、神と一体になる”旋回舞踏ってどんなものだろう?と思ったら、YouTubeで見つけました。
ただ廻っているだけにしか見えないのですが…
単調ですが、なんだか脳裏に残りそうな曲調です。

旋回舞踏の動画 
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パムッカレ

2008年09月04日 | トルコ旅行2008
パムッカレとは、トルコ語で「綿の城」という意味なのだそうです。
その名の通り、見渡す限り、真っ白!
世界遺産にも登録された、段々畑のように連なる白い石灰華の岩棚。
自然保護のために靴のまま入るのは禁止されており、裸足で入ります。
ここの一部に、ヒエラポリスの遺跡が底に沈んでいる天然のプールがあります。
水底に大理石でできた遺跡が沈んでいるという、なんとも贅沢なプールです。
泊まったホテルにも、温泉プールがありました。

温泉といえば、トルコにはハマムという伝統的なお風呂があります。
ハマムはアラビア語で公衆浴場のことで、トルコでは長い歴史を持ち、垢すりやマッサージ・サービスが受けられるというものです。
私はここに行くのを楽しみにしていたのですが…
中々の得がたい経験をしました。

ハマムにはカメラを持っていけなかったので
代わりに、トルコの有名なハマムのHPを紹介します。
結構凝ったサイトで、ハマムの様子がよく分かります。

ハマム 
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エフェソス遺跡

2008年09月01日 | トルコ旅行2008
次の日、エーゲ海沿いを走ってエフェソス遺跡へ。

紀元前11世紀にイオニア人が作った都市国家。
ここは、トロイよりもはるかによく修復されており、見応えがあります。
おかげで外人観光客がとても多く(私達もそのうちなのですが)、焼けるような日差しの中、凄い人混みでした。
何を喋っているのかさっぱり分からないのですが、ドイツ系、ギリシア系、イタリア系が多かったような。

紀元前1世紀に作られたアゴラ(市民広場)、紀元前3世紀の収容人員2万5千人の大劇場、117年に建てられた1万冊の蔵書を誇るセルスス図書館、そして1世紀に作られた水洗トイレ、他にも見どころが山ほど。
ちなみに古代トイレは座って使用したようで、横の仕切りはなく、話しながら用を足したそうです。

その日泊まったホテルは、パムッカレのリゾート・ホテル。
エントランスの横に、リボンで派手に飾った車があったのでもしやと思ったのですが、やはりその夜、そこで結婚式が行なわれたのでした。
ホテルの庭に広いプールがあり、その周りに赤白のレボンで飾った丸テーブルが何十と。
フロントで聞くと、パーティは8時から12時くらい、招待客は300人程とか。
私が食事をしたレストランはその会場に面していたので嫌でも見えたのですが、8時になってもお客はまだ2割程度。(この辺りがなんともトルコらしい…)
段々とお客が増えてきた頃、純白のウエディングドレスを着た輝くばかりに美しい花嫁登場。
中年の、というか初老に近い紳士と共に登場したので、初めお父さんかと思ったのですが、なんとそれが結婚相手だったのでした。
一流ホテルでの、あれだけの客を招いての豪華な式を挙げるからには、仕方がないのかもしれません…
で、その花嫁と花婿、会場の中央でやおら踊り出し、そのうちどんどんお客も参加して踊り出し、会場は凄い熱気。
トルコでは、こうして夜もすがら踊り明かすのだそうです。

写真 セルスス図書館
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