Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

東京タワー VS エッフェル塔

2012年08月15日 | パリ旅行2012


エッフェル塔ができたのは1889年、高さ324m。
東京タワーができたのは1958年、高さ333m
エッフェル塔の方がずっとお洒落なイメージがあるように思いますが
東京タワーも近年は色々とライトアップなどに工夫を凝らし、
外観はそれほど違わないように私には思えるのです。

但し、問題はその足元。
東京タワーは、その根元までビル街が迫り、あまり近づくと
写真もろくに撮れなくて残念だった覚えがあります。
エッフェル塔はセーヌ河畔にあり、河を挟んで広い広い公園が。
トロカデロ庭園とシャン・ド・マルス公園。
青い芝生、涼し気な噴水、咲き乱れる花畑、両側に生い茂る緑の木々。
端から端まで歩くのに、一体どれだけの時間がかかっただろう?
この見事さには、圧倒的にエッフェル塔に軍配が上がります。



今でこそ凱旋門と並んでパリの象徴であるこの鉄塔は
建立時はパリ市民、特に文化人、芸術家の間で大いに不興を買ったのだそうです。
建設反対の署名運動まで起こり、その先鋒をきったのはあのモーパッサン。
ところが出来上がった塔の一階に洒落たレストランがあり、そこに毎日通った彼、
「パリ中何処へ行っても見えてしまうこの見苦しいお嬢さんを見なくてすむのは
ここだけだからね」と言ったとか(岸恵子「私のパリ私のフランス」より)。



私は今回、凱旋門に登りましたが、
屋上に簡単な柵しかないのに驚きました。
エッフェル塔も似たようなものなのだそうです。
そしてここは自殺の名所であり、毎年多数の人が飛び降りているのですと。
”落ちるも落ちないも自己責任”といったところか…
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こういうことだったのか…

2012年08月14日 | パリ旅行2012
お盆の帰省からようやく戻って来ました。



今回の旅行で一番嫌な思いをしたのは
当然財布を掏られたことですが
その次にあげられるのは、うっすらと感じた差別待遇です。

ツアーであれば旅行会社がしっかり守ってくれるので
そういうことを感じることは一切ないのですが
個人で行けば、嫌でも向こうの風に直接あたることになる。
例え短い旅行期間であっても。
それについては、本で読んだり、人の話から散々聞いていたつもりでしたが
言葉ができないと卑屈になりがちだけど
英語であっても、ちゃんと自分を出張すれば大丈夫かと思っていたのでした。
甘かった…

例えば、カフェやレストランに入る。
ギャルソンやウエイトレスが席に案内してくれるのですが
奥に席が空いているのに、入口近くや通路際に案内されたりする。
あるいは東洋系の客だけ集められる。
あちらの席が空いているようだが、とやんわり抗議してみても
予約が入っているとか、英語が通じなかったりとか(あるいはそのふりだったのかも)。
欧米系の客には飛び切りの笑顔で応対するくせに
こちらにはにこりともしなかったり(特に女性)、
注文も取りに来ないで長いこと放っておいたりする。
元々向こうの人の接客態度は非常に悠長なものではあるのですが
我々だけを放置しておいたり、明らかに感じの悪い態度を取る人も、たまにいる。



ああ、こういうことだったのか…
私は日本では多分、どちらかといえば恵まれた部類の立場にいるので
こんな待遇を受けたことがない。
これだけで十分へこんでしまいます。
以前、阿川佐和子だったか、パリの有名レストランに行ったら不愉快なサービスを受けた、
そのことをエッセイに書いたら、その店からすぐに丁寧な謝罪の手紙が来て
是非又御来店されて、我々の味とサービスを今一度評価して頂きたいと懇願されたという
ようなことを又エッセイに書いていましたが
それは有名人の彼女だから、本に書いて世に知らしめたから、のこと。
それ以外の殆どの一般の人は、黙って唇を噛んでいるのでしょう。

勿論、感じの悪いサービスばかりではありませんでした。
とあるビストロでは、長身のギャルソン、ニコニコと感じよく良い席に通してくれ、
何処から来たの?TOKYO?いい所だねえ!行ったことないけどさ、と。
トイレの場所を聞いたら、魅力的なマダム、こちらにどうぞとエスコートされたことも。
しかし打たれ弱い私は、数少ない、感じ悪い方のサービスの印象が
強烈にインプットされてしまったのでした。
私の限られた経験では、ちょっと気取ったような店の方が
そういうことが多かったような気がします。
最初の2~3日ですっかり懲りて、その後はもっぱらカフェやビストロを中心に。
そういう店でも魚介から肉からデザートから、豊富な種類のメニュー、そしてワインが揃っており、
美味しい食事が手頃に頂けるのがパリのいい所です。
メニューがやや分かりにくいのが難ですが。


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世にもマヌケな物語 in Paris ②

2012年08月10日 | パリ旅行2012
しかし、泣き寝入りというのはなんとも悔しい。
せめて損害保険を請求したいが(おりるかどうか分かりませんが)
それには警察の調書が要る。
マドリードの警察の調書取りで半日かかったことを思うと、
夫をそれにつき合わせることはとてもできない。
悔しく思いながらとにかく広大なヴェルサイユ宮殿を見学し、
パリ市街に戻ったのでした。

夕食をすませ、ホテルに戻ったのは9時過ぎくらい。
私はどうにも気持ちがおさまらず、フロントで訊いてみたのでした。
こんな目に遭ったのだが、どうしたらよいのかと。
郊外のヴェルサイユの警察まで、明日にでも又行かなければならないのだったら
やはりあきらめようと思いながら。
するとフロントの女性が、ここに行けばよいと教えてくれた警察の住所が
ホテルの割と近くだったのです。
但し、何事につけてもスローペースのフランスで(それまでに嫌というほど経験した)
面倒な手続きに一体どれだけの時間がかかるのか?
大体こんな遅い時間に警察は受け付けてくれるのか?
閉店時間近くになると、客の鼻先でシャッターを下ろしてしまうこの国で。
バカンス・シーズンになると、店自体を閉じてしまうこの国で。
しかも財布を返されたり、音声ガイドをすり替えられたり、
この冗談のようなややこしい状況をどう説明したらよいのか?
日本語でも説明するの難しいのに。

不安に思いながらも、タクシーを呼んで一人で行こうと。
すると夫、嫌々つきあってくれることになり、二人で乗り込む。
フランス語訛りの英語の警官に事情を説明し、何枚もの書類に詳細を書き込む。
そして…
パリ警察の判子が、調書にどっかりと押されたのでした。


(宮殿の裏の花畑。大きすぎて撮り切れない。)

それにしても。
カメラを頭上に掲げて天井画の写真を撮ったのが2~30秒。
ベンチに駆け寄り、バッグの中身を出して確認したのが30秒くらい。
その間に財布と帽子を掏り、現金を抜き取り、音声ガイドを掏り替えて
財布を返すとは。
本当に手品のようです。
自分の間抜けさ加減にはほとほと腹が立ちますが
しかしあれはとにかく、プロの仕業だと思いたい。
そうでなければ、財布をわざわざ返したりしないでしょう?
パリにはそういうスリが存在するのです。
今回、パスポートはホテルのセイフティ・ボックスに入れていたので
無事でした。
それだけでもよかったとするべきなのか…
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世にもマヌケな物語 in Paris ①

2012年08月09日 | パリ旅行2012
自分の間抜けぶりを世の中に公開するというのは
あまり気が進まないのですが
鬱憤晴らしのためにも、書き留めておくことにします。

以前マドリードで財布を掏られて以来、
海外旅行では気をつけていたつもりでした。
ショルダーバッグは基本、斜めがけに。
財布はバッグの底に入れ、バッグのファスナーの上にはしっかり手を被せる。
それで今回の旅行の中盤までは、大丈夫だったのですが…

 (ヴェルサイユ宮殿の前。開園直後でもうこんなに人がいっぱい)

事件はヴェルサイユ宮殿で起きました。
地下鉄を乗り換え、RER(高速鉄道線)でパリ郊外の宮殿に着いたのは
開園の午前9時少し過ぎ。
大勢の人混みの中、音声ガイドを借り、順路に沿って見学を開始。
大広間を抜け、とある円形の部屋に入ると、
細長いドアの入口に十人ほどの人が群がっている。
そこから続く次の間の、豪華な天井画や調度品の写真を撮っているらしい。
それなら私もとその人混みの中に入り、両手でカメラを頭の上に掲げた瞬間、
トン!とごく小さな衝撃が体の右側に。
まさかと思って右に下げたバッグを見ると、ファスナーが開いている。
その30秒ほど前、その部屋に入る時には、バッグの無事を確認していたのです。
スリだ!と叫び、人混みから抜け出し、その部屋の隅にあるベンチに走り寄って
バッグの中身を確認すると、やはり財布がなくなっている。
そのバッグに入れた折りたたみの帽子もなくなっている。
バッグの底に財布を、その上にパリのガイドブックや帽子などをぎゅうぎゅうに押し込んでいて、
それもあって、簡単には取られないだろうと思っていたのです。
やられた…

 (この天井画を撮っている時、事件は起きた)

呆然自失状態の私に夫が近寄り、説明しているところに
白人の小柄な若い男が近づいてきて、ベンチの下に財布が落ちている、と指さす。
え!?と思って見ると、確かに私の財布が。
慌てて拾い上げると、現金はすっかり抜き取られ、カードのみ。
しかしベンチに駆け寄った時には、確かに財布なんかなかったのです。
あいつが犯人だ!と叫んだ時には男の姿はなし。

とっくに一味に金渡してるよ、証拠なんか持ってる訳がない、と夫は冷めている。
じゃあなんでわざわざ財布だけ返すのよ?どういう意味よ?と私が叫ぶと
愉快犯なんじゃないのか?あんまりトロいんでからかったんだよ、と。
確かにあいつ、ニヤリと笑っていた…

 (狙われたのはこのバッグ。手前にあるので実物より大きく見える)

その後分かったのですが、私が持っていた音声ガイド(日本語版)も
フランス語版のそれにすり替わっていたのでした。
音声ガイドはずっと左手に握り締めていたので、掏り替えるとしたら
ベンチの上に投げ出した一瞬しかなく、その時は夫もいたというのに。
同じ手口でやられるなんて何処まで間抜けなんだ、
しかしここまでやるとはルパンみたいな奴だな、と
今回は夫、まったく同情してくれない。
ヴェルサイユ宮殿で記念品を買おうと、500ユーロ入っていたというのに。(続く)
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ヴェルサイユ宮殿のトイレ

2012年08月08日 | パリ旅行2012
「ふらんすに行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し」

朔太郎のこんな一文の書き出しで、高校生の頃、
文藝部の同人誌にエッセイというか作文を書いたことがあります。
思えばそんな頃から私は憧れていたのだなあ…
花の都パリは確かに美しかった。
思ったよりもそれ以上に。
しかし、パリの美しさについては世の中のあまたの人が書いているでしょうから
私は、その裏の面についても多少書きたいと思います。
実際、美しい都で私は、嫌な思いも多少経験してしまった訳ですから。



その一つ、トイレ。
日本人の目から見ると、パリのトイレは数が少なく、
しかも時に壊れていたり汚なかったり、快適なものばかりとは言い難い。
例えばあの広大なルーブル美術館においても、豪華絢爛たるヴェルサイユ宮殿においても
トイレの数は非常に少ない。
全体数を把握した訳ではありませんが、少なくとも普通に見学していて
トイレに行きたいと思っても、ちょっとやそっとじゃ見つけられない。



ようやく探し当てても、個室の数が非常に少なくて、長蛇の列ができていたり。
フランス絶対王政の象徴的建造物といわれるヴェルサイユ宮殿。
栄華の極みを尽くした宮殿も凄いが、その庭といったら何処まで歩いても終わりがない。
何しろ、巨大な池、森、迷路、大厩舎、そして運河まであるのですから。
その広大な宮殿に当時トイレがなかったというのは有名な話ですが
年間400万人の観光客が訪れるという現在でも、腹が立つくらい少ないのです。
宮殿から歩いて1時間以上かかるところにルイ14世が愛人のために作ったという離宮
グラン・トリアノンがあるのですが(我々はレンタル自転車で行った)、
その外にあるトイレ、私が行った時は20人くらい並んでいました。
しかも個室は3ケしかないのです。
これだけ土地があるのだから、日本の高速道路のSA並のトイレを作ってもいいのに。


(池のはるか向うに運河が見えます。左右の森も敷地内)

そして私は恐ろしいものを見てしまった。
宮殿の中央の、売店がある出口近くのトイレ。
ここのトイレは、どう見ても最初から便座がない!
イタリア、スペイン辺りで、本来はあったであろう便座がなくなっているトイレには
度々遭遇しましたが(便座がついていた穴などは残っている)
構造上便座がないというトイレが、世の中に存在していたとは。
しかもパリでこういうトイレに遭遇したのは、ここだけではなかった。
たまにある公衆トイレも、このタイプのようでした。
私はそれが嫌で、もっぱらカフェ、レストラン、美術館などのトイレを利用しましたが
そういうところにも、この便座なしタイプがたまにあるのです。
そして男女混合使用であったりするのです。
そんなトイレをどう使ったかって?
どんなに丁寧に拭いても気持ち悪い。
そりゃスクワット姿勢しかないでしょう…



写真はヴェルサイユ宮殿
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