Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

寝そびり猫とチャイ

2016年10月07日 | 社会


イスタンブールの街角で愛されていた寝そべり猫トンビリが、この夏惜しまれながら亡くなり、
最近になってその銅像ができたのだそうです。



しかしこの寝姿…
優雅すぎるポーズと記事に出ていますが、これってビール片手にリビングに寝転がる
オッサンポーズそのままじゃないのw
まあ、可愛いには違いないのですが。
銅像建設を呼びかける署名サイトには
「日本のハチ公のように、長く記憶に残るようにしたい」との記述もあったのですって。

トルコだのギリシヤだの、街角でよく猫の姿を見かけました。
現地ガイドさんに訊いたら、街の住人がみんなでゆるく飼っているのだそうです。
こんな風に、道に餌が置いてあったり。


(これは去年、ミコノス島で)

そしてトンビリの銅像の横にあるお皿付きのグラス。
これはトルコのチャイ・グラスで、向うの人たち、日に何度もこのグラスでチャイ(紅茶)
を飲むようです。
往来でも、店先でも、飲んでいる姿を本当によく見かけました。
この小さなグラスに、必ず角砂糖2個ず付けて。
それを日に何十杯も飲めば、そりゃ太りますって。
ちなみにトルコの有名なお菓子「バクラバ」は、甘いパイを蜂蜜漬けにしたもので
頭が痛くなるくらい甘い代物でした。
甘~いバクラバに甘いチャイ、立派な口髭を蓄えたいかついトルコ人男性がぱくついているのを見て
なんだか可笑しかったものです。

ハチ公先輩に負けじと街を見守るニャン! トルコの寝そべり猫、銅像になるhttp://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1610/06/news117.html
コメント (10)
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「ある天文学者の恋文」

2016年10月06日 | 映画


『ニュー・シネマ・パラダイス』『海の上のピアニスト』の巨匠ジュゼッペ・トルナーレ監督と
エンニオ・モリコーネの音楽というので、期待しすぎちゃったかな。

若く美しい大学生エイミー(オルガ・キュリレンコ)は、大学の天文学者エド(ジェレミー・アイアンズ)と
6年越しの秘密の愛を育んでいた。
しかしある日突然、エドの訃報を知る。
呆然とするエイミーの元に、その後もエドからのメールや手紙、ビデオが届き続ける。
その謎を解き明かそうと、エイミーはエドが暮らしていたエディンバラや
かつて二人で過ごしたイタリアのサンジュリオ島を訪ね歩くのだが…



”数十億年前に死してなお、地球に光を届ける星々のように、命尽きても我々の愛は
大切な人たちの行く先を照らし続けることができるのか。”(HPより)
そんな壮大でロマンに満ちたストーリーといっても
結局のところ、単なる不倫劇じゃないかと思ってしまう。
エイミーの同い年というエドの娘や、妻にとってはたまらないでしょう。
つまりは、自分が死んだ後も忘れられたくないという、老いた男のエゴに感じてしまう。



エイミーの過去のトラウマを解きほぐしてやりたい、
自分の死によって絶望しているエイミーを慰めたいという男の思いやりも
あまりにしつこいメールや手紙やビデオ攻撃に、観る側はちょっとうんざり。
その謎解きはあまりに原始的だったし。
「老いた魔法使いは見捨てない」という彼のメッセージは
「死んでもなお、どこまでもつきまとってやる」という呪縛に見えてしまったのでした。



ただこれは、エドが天文学者でなければ成立しなかった話でしょう。
「天文学者が普段観測している光は、すでにこの世にないはずの光」
という着眼点が、この話のすべての始まりである気がします。
エディンバラやイタリアの湖水地方の映像はとても綺麗。
あの意味あり気に出て来た健気な黒い犬「ブッチ」が、私には一番印象的だったか。
重要な伏線かと、期待してしまったのでした。

脚本もジュゼッペ・トルナトーレ、原題「CORRESPONDENCE」。

「ある天文学者の恋文」 http://gaga.ne.jp/tenmongakusha/
コメント (2)
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間髪を入れずに

2016年10月04日 | 社会
普段の会話の中で何気なく使っている慣用表現の中に
間違って使われている表現が結構あると指摘するネット記事を読みました。

ざっと見てみたら…
挙げられた12の慣用句のうち「取りつく島もない」「大目玉を食う」「的を射た発言」など
私は大方、正しく認識していたようですが、下の三つはしっかり間違えていました。

×間髪(かんぱつ)入れずに
○間髪(かん、はつ)を入れずに

”「間髪を入れず」は、もともと“間に髪の毛1本も入る隙間もないほど(事態が)非常に
切迫していてゆとりがない”状態という意味。「かん、はつをいれず」が正しい読み方”
なのですって。
「カンパツを入れずに」と普通に使っていました。

×汚名挽回
○名誉挽回、汚名返上
”「挽回」は、取り戻すという意味ですから、汚名挽回だと、汚名を取り戻すということになります。
「失った名誉、汚名を回復する」という意味で使うなら、名誉挽回・汚名返上が正解です”
なるほど、言われてみればごもっとも。

×微に入り細に入り
○微に入り細を穿ち
”「微に入り」と「細に入り」をなんとなくリズムで使ってしまっている人が多いのではないでしょうか。
ちなみに「穿つ」というのは、穴を開けること。「微に入り細を穿ち」は「細かいところにまで及ぶ」という意味です”
はい、使っていました。
「微に入り細に入り」の方が言い易いし。

でも…
先月だったか、「ら抜き」言葉を使う人の方が多数派になったと
文化庁が発表していました。
上の慣用句を間違って使った人に一々指摘したりしたら、絶対嫌われるよねえ?
「カンパツを入れずに」「汚名挽回」「微に入り細に入り」もいつかそっちが多数派に
なるんじゃないかと思っちゃいけないのかな。


(FBで見つけたハロウィンの写真)

的を“得た”? 的を“射た”? 誤用してると大恥をかく慣用句12例
https://news.nifty.com/article/economy/business/12101-20161003-1/
コメント (14)
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元気な野菜の「FAVORI」

2016年10月03日 | グルメ
「アメリカは今やジャンクフードの国じゃない オーガニック食品であふれるスーパー」
というネットの記事の見出しを見て驚きました。

アメリカといえば、ビッグサイズのハンバーガーにコカコーラ…
おいしいものは別にないだろうと思っていたが、
ニューヨーク州の田舎町のスーパーに入って度肝を抜かれた、
オーガニック食品は当たり前、牛乳一つとっても、牛、ヤギ、豆乳、ココナッツ、
アーモンド、カシューナッツ、ざっと50種類ほど棚に並んでいたというのです。

で、記事には見渡す限り並んだオーガニック素材のジャムやナッツやお米などの
写真が出ていて、確かに壮観です。
でも、これって物凄く例外的な話じゃないかなあ?

無論これはこれで事実でしょうが
実際問題、アメリカに短期間旅行に行って見かけるのは
ビッグサイズのハンバーガー、ホットドッグ、巨大なアイスクリーム、コーラ。
高価なオーガニック素材の食品の山なんて、マンハッタンの小さなスーパーじゃ
探すのが難しい。
こうした見渡す限りのオーガニック素材の食品があるのは、
NY郊外の高級住宅地のごく限られたマーケットじゃないのかしらん?
記事を書くのって難しいですね。



代官山のフレンチ・ビストロ「FAVORI」では、
色とりどりの野菜をフレンチバスケットに盛り合せてテーブルに持って来てくれます。
日本でも、野菜にこだわるお店が増えて来ました。
元気な野菜を食べると、体も元気になれるような気がします。




アメリカは今やジャンクフードの国じゃない http://wotopi.jp/archives/41555
FAVORI http://www.favori-city.jp/
コメント (6)
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