Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「花・Flower・華―四季を彩る―」展

2019年05月16日 | お出かけ
恵比寿ガーデンプレイスで映画を観た後、ぷらぷら歩いて山種美術館へ。
「花・Flower・華―四季を彩る―」展は、様々な花の絵を春夏秋冬の順に展示し、
移り変わる季節を花で表すというものです。
館内中が花の絵で埋められて、それはもう華やかなものでした。

ポスターになっている上の絵は、荒木十畝の「四季花鳥」。
これは見上げるほどに大きく、四季の花々と鳥が鮮明な色で描き込まれ、ゴージャスの一言。
大正6年の作品だそうです。



今回唯一撮影してよかった作品、菱田春草《白牡丹》。
この牡丹の左上に白い小さな蝶が二匹いるのですが、私の写真では
背景に溶け込んでしまっているようです。



ドキッとしたのは、稗田一穂「惜春」。
漆黒に近い暗いバックに一本の古木、一面に舞い散る桜。
何故か下の方にある黄金の細い三日月。
美しいけれど、なんとも怪し気な雰囲気の夜桜。
これはやっぱり、この樹の下に死体が埋まっているのじゃないかと思ってしまいます。



小林古径「白華小禽」。
初夏に咲く大きな白いタイサンボクの花と、目の覚めるようなブルーの瑠璃鳥。
鳥が小さく見えますが、タイサンボクの花は洗面器位の大きさがあるのです。
初夏の爽やかな風とタイサンボクの甘い匂いが感じられるようでした。



土田麦僊「梅花小禽」。
梅とジョウビタキ、これも小さな絵で、極限までにシンプル。
それでも、日本画のことなんてまるで分っていない私にも
待ち焦がれた春の訪れへのワクワク感が伝わってくるようです。


美術館を出て、パパスカフェでお茶を。
大きなケヤキの樹の下のテラス席が気持ちよい。
温かいスコーン、何故ジャムがついて来ないのだろうと思ったら
甘酸っぱいオレンジピールを入れて焼き上げてありました。

「花・Flower・華―四季を彩る―」展
http://www.yamatane-museum.jp/exh/2019/flower.html


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小さな白い星

2019年05月14日 | 家庭
4月中旬に、多肉にこんな可愛い白い花が咲きました。



そして今日、まだ咲いています。
もう三週間以上。
ろくに水も肥料もやらないのに、多肉って中々健気です。
鼻息で飛んでしまいそうな、小さな花ですが。



これは連休前、4月の終わりに撮ったシクラメン。
連休に一週間留守にしたら駄目になったのでサヨナラしました。
半年咲いてくれてありがとう!

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「たゆたえども沈まず」

2019年05月13日 | 
1880年代のパリで、流暢なフランス語で浮世絵を売りさばいた美術商、林忠正。
語学力を見込まれて林に助手として誘われ、憧れのパリに来たばかりの青年、加納重吉。
芸術と生活の狭間で懊悩しながら、売れない絵を描き続けるゴッホ。
ゴッホを精神的にも経済的にも支え続ける弟のテオ。
その4人の群像劇が、印象派が生まれ出た頃のパリを舞台に繰り広げられます。

この中で、重吉だけが架空の人物であるらしい。
我々読む側は、重吉目線で19世紀末のパリを訪問することになります。
パリ万博で日本美術が紹介されて以来、ジャポニズムへの興味・憧憬が深まったとはいえ、
まだまだ認知されていない極東の小国、日本から行った二人がどんなに大変だったか。
オランダ出身であり、やはりパリの異邦人であるゴッホとテオの兄弟はまた、
別の意味で悩み苦しんでいる訳ですが、林が現れたことで彼らの運命も変わって行くのです。



浮世絵が印象派に影響を与えたとはよく聞く言葉ですが
この本を読んで、それが具体的にどんなだったかということがよく分かります。
この本には絵の写真は一枚も入ってないので、ネットで確認しながら読みました。
例えばこの「タンギー爺さん」。
小説にも何度も出て来るタンギー親父とは、貧しいゴッホが世話になっていた画材屋の主人で
ゴッホはお金が払えなくなると、絵を描いて代わりに渡していたらしい。
肖像画の後ろには浮世絵が6枚もあり、右下の花魁の絵は渓斎英泉の「雲龍打掛の花魁」。



この絵は林忠正の尽力で、1886年の美術雑誌「パリ・イリュストレ」誌の
表紙を飾ったのだそうです。
瞬く間にパリの美術界で大評判となったものの、閉塞感に悩んでいたゴッホも
これを観てジャポニズムへの熱病にとらわれた一人であったと。
その熱病は、ゴッホにその後沢山の絵を描かせる原動力となり、
その絵に魅せられた林忠正と重吉も、テオと共に彼を応援するのですが…


ゴッホの模写

幼い頃から仲がよかった兄ゴッホを、献身的に支える弟テオ。
しかし長年にわたるサポートは、テオにとっても大きな負担であり、
酒に溺れたり、精神的に病む兄を恨んだり憎んだりも。
ゴッホがアルルでゴーギャンと暮らし始め、立ち直ったかと思ったのも束の間、
耳を切り取って精神病院に送られ、その後ついにピストル自殺してしまう。
ゴッホの生前、たった一枚しか絵が売れなかったのは有名な話ですが
弟テオがゴッホの死後半年で亡くなってしまったことは知りませんでした。
胃炎と重度の鬱病で、妻と幼子を遺して精神病院で他界。
享年37歳と33歳。なんと悲しい兄弟であったことか。


タイトルの「たゆたえども沈まず」の意味、そして表紙の絵が「星月夜」である理由は
終章で語られます。
この二つは同じものを意味していたのですが、ここまで読んで来て
そうだったのかとストンと腑に落ちます。
大元の史実に虚構を織り交ぜた、読み応えのあるアート小説でした。


「たゆたえども沈まず」 https://tinyurl.com/y2xnv7jn



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「ビル・エバンス タイム・リメンバード」

2019年05月10日 | 映画


珍しく夫と一緒に映画を観て来ました。
ジャズ好きな夫が私を誘ったのは、あの伝説的ジャズ・ピアニストの生誕90周年を
記念して作られたというドキュメンタリー映画です。
「時間をかけた自殺」とも言われたエヴァンスの51年の人生とその音楽を
様々な証言、映像、写真の記録によってたどったというもの。
渋谷の小さな映画館アップリンクは、仕事帰りに駆け付けたであろうスーツのオジサンたちで満席。

1929年、ニュージャージーの裕福な家に生まれたビルは、兄ハリーと共に
子どもの頃からピアノに親しんで育つ。
大学で音楽を学んだ後、2年間兵役につき、その後ニューヨークに出て音楽活動を開始する。
マイルス・デイヴィスのバンドに加わったりして名声を博して行くが
兵役時代に味を覚えた麻薬から離れられないでいた。
ビル・エバンス・トリオの一人のスコットの突然の交通事故死、
妻エレインの自殺(これはビルが愛人を作ってエレインを捨てようとしたせいと映画では言っていた)、
生涯に渡って仲が良かった兄ハリーの拳銃自殺。

傷つきやすい男の周りでこれだけのことが起こったら…
ビルの直接の死因は「肝硬変ならびに出血性潰瘍による失血性ショック死」ということですが
時間をかけた自殺、と言われるのも分かるような気がします。


ビル・エバンスというと、端正で知的な雰囲気のこんな表情を思い出しますが
実は麻薬の常習により歯がボロボロで、笑顔を見せられなかったのだそうです。
しかし彼の紡ぎ出した音楽は、あまりにも美しい。
兄ハリーの幼い娘デビーの為に作った「ワルツ・フォー・デビー」は
あまりにも甘く優しく、ジャズに疎い私ですらよく聞き馴染んだ曲です。

Bill Evans - Waltz For Debby

この曲が初演されたというNYのビレッジ・バンガードは
グリニッチ・ビレッジのビルの地下にある、小さな古いライブハウスです。
映画の中にも出て来たその店内は、彼が活躍した頃も今も殆ど変っていない。
私がそこに行ったのは、1985年と2015年のどちらも8月。
映画自体は淡々としたドキュメンタリーで、特にジャズ好きでもない私には
面白いとは言えない作品でしたが、あのうだるように暑かった夏の日の
熱気にあふれたライブハウスの匂いを思い出していました。

映画公式HP http://evans.movie.onlyhearts.co.jp/
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「幸福なラザロ」

2019年05月08日 | 映画

2018年カンヌ国際映画祭脚本賞受賞作品。
マーティン・スコセッシが才能を絶賛したという、37歳のアリーチェ・ロルヴァケルが監督。

深い峡谷の小さな村で、タバコ栽培の小作人として貧しい暮らしを強いられている人々。
年頃の女性のみすぼらしい家の窓下で男性が求婚の歌を歌うシーンから始まり、
一体いつの話?と思って見ていると、車やオートバイが登場する。
更に、地主の家の息子は携帯電話を持っている。
時代考証がさっぱりできずに混乱しますが、これは、1980年代初頭にイタリアで実際にあった
地主の女性が住民を不法に働かせていた事件から着想を得た物語なのだそうです。



ラザロは村に住む青年。
人を疑うことを知らず、知的障害が疑われるほどに純朴な青年。
村人たちにいいように利用されるが、嫌な顔ひとつせず黙々と従う。
ある時、村に事件が起こり、それに巻き込まれたラザロは崖から転落する。
その事件をきっかけに、村人たちが搾取されていたことが世間に知られるところとなり、
彼らはようやく解放されて村を出る。
そして年月が経ち、ラザロは復活して、彼らと再会する。



ラザロとは聖書に登場する、キリストによって死後4日目に蘇生した聖人の名前。
この映画のチラシの「現代の聖人ラザロによって紡がれる寓話」とか
「ラザロの無垢なる魂がもたらす圧倒的な幸福感」といった言葉に期待していたのですが…

ラストがあまりにも悲しすぎて。
私はまったく幸福感を味わえなかったのです。
不法な搾取から逃れて都会に出た村人たちも、結局はホームレスか強盗にしかなり得ない。
ラストでラザロを殴打した人々は、現代社会の暴力性を表していたのか。
血を流して倒れたラザロの元に再び現れたオオカミは
ローマ神話から抜け出してきて、ラザロの孤高の魂を連れ帰ったのか?
不思議な余韻が残る作品ではあります。


彼らを締め出した教会から音楽が「逃げて行って」彼らに追いついたシーン。
ホームレスの食うや食わずの貧しい村人たちが、元侯爵の家に招待されて
精一杯のおめかしをして、お菓子を買って行くシーンが好きでした。
落ちぶれた元侯爵は大嘘をついて、村人たちの善意を裏切るのですが。

「幸福なラザロ」 http://lazzaro.jp/


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血塗られた秘密

2019年05月08日 | お出かけ
ひたち海浜公園にはまた、青いネモフィラだけではなく、
色とりどりのチューリップやルピナスが咲き乱れていました。
チューリップの盛りはもう過ぎていましたが、こんなに綺麗。



小さな子ども連れや若い人たち、大勢の人の歓声に溢れていましたが
ここにはしかし、悲しい歴史があるのです。
戦前は旧陸軍の飛行場であり、航空士官の育成や軍用機の演習場として使われ、
戦争末期には大勢の若者が特攻隊で送り出されたと。



戦後はアメリカ軍の対地射爆撃場となり、航空機からの爆撃の演習地として
運用されたのだそうです。
誤射、誤爆事故が頻発し、1957年には超低空の米軍機が日本人の母子を轢いて
死傷するという米軍機母子殺傷事件も。
飛行機が地上の人間を轢くって想像もできないのですが、
その米兵が公務中であったとして、地位協定から日本側は起訴もできなかったのだと。



1973年に日本政府に返還され、軍用地としての歴史に幕を閉じたのだそうです。
あの美しい、見渡す限りの花園に、そんな血塗られた秘密があったとは。



ひたち海浜公園の少し悲しい歴史の話
https://matome.naver.jp/odai/2149375694707651201


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ネモフィラの丘

2019年05月07日 | お出かけ



そして午後、国営ひたち海浜公園に。
ここはとにかく広い。
公園の総面積は350haに及び、これは東京ディズニーランドの7倍に当たるらしい。





駐車場から公園のゲートを通過し、ネモフィラの丘に到達するまで
歩いて20分位かかります(駐車場も広大なので、何処に停めたかで変わって来る)。
ゲートから随分歩いて、青い丘が見えてきたときには息を呑みました。




ネモフィラの丘。
空と花畑の境い目がありません。
ここには450万本のネモフイラがあるのですって。
場所によっては合間にオレンジのポピーが顔を出し、それも可愛らしい。




ネットやテレビ、新聞などで素晴らしい映像を見て
実際に行ってみたらがっかり、ということがたまにありますが
あしかがフラワーパークもひたち海浜公園も、実物の方が圧倒的に素晴らしかった。
私が知る限りでは、どちらもこんなに評判になったのはここ数年のように思うのですが
あしかがフラワーパークは1997年、ひたち海浜公園は1991年の開業なのだそうです。
そんなに前から関係者は頑張っていたのですね。


ひたち海浜公園 https://hitachikaihin.jp/

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あしかがフラワーパーク

2019年05月06日 | お出かけ


近年大評判になっている、藤の楽園に昨日行って来ました。
奥行き80メートルの藤のトンネルや、樹齢150年の大藤、170cmもの花房をもつ藤などがあり、
約9万4000平方mの敷地に350本以上の藤が花をつけるのだそうです。



紫の大藤はやや盛りが過ぎていましたが、白藤は満開!
渋滞を恐れて中々ここまで行けないでいたのですが、朝早くに出たせいか、
首都高も東北道もそれほどではなく、3時間もかからずに到着。



藤は何と言ってもその香りが素晴らしい。
これだけの藤の大棚の下にいると、甘い香りにむせ返るようです。
ついでに蜜蜂もその辺を飛び回っています。



そしてシャクナゲも美しい。
こんなにも多種多様のシャクナゲがあるとは知りませんでした。




こちらの面白いのは、その料金体系。
花の満開期には高く、そうでもない時は安い。
今は看板藤の満開期なので最高値の1800円ですが、真冬などは
公式HPによると300円からだそうです。



そしてこちら、米国CNNが選出した「2014年の世界の夢の旅行先10カ所」に
日本で唯一選ばれたのですって。
他の9カ所はどんなところだろうと見てみたら、キリンを放し飼いにしているケニアのホテル(ここは以前の日記に書いたことがある)とか、アラスカの国立保護公園とか、
かなりマイナーな観光地が選ばれているようですが、
何しろ選ばれたのは素晴らしい!

あしかがフラワーパーク https://www.ashikaga.co.jp/
https://blog.goo.ne.jp/franny0330/e/b2ccf0ed58923cb0570364dd5a90fec5

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殿下から陛下に

2019年05月02日 | 社会


まだ岐阜にいます。
地方新聞って結構大胆。
これは岐阜新聞の昨日の一面で、両面開くとこんな感じです。
真ん中に写っているのは、岐阜城を抱く金華山。
全国の新聞の令和第一日の紙面がどんなものだっか、見てみたいものです。




それにしても、改元がこんな大騒ぎになるとは思いませんでした。
テレビはこのところ、いきなり皇室一色。
私は特に皇室擁護派ではないし、それほど関心もないのですが、
新天皇陛下と、たまたま同じ時期に同じ学窓にいたのでした。
一学年違うし、学科も違うのですが、
同じ文学部だったので、大きな教室での共通の授業もありました。
学内の食堂や、学生会館の中の本屋でご一緒したことも何度か。
小さな本屋の通路は人がすれ違えないくらい狭くて、そこで殿下(周りからそう呼ばれていた)は、
御自分からいつも身を引いて下さいました。

だから私は、陛下となってしまわれた今も、あの腰の低い、穏やかな印象の同窓生のことを、
決して悪く言う気にはなれないのです。
新しい令和の時代が、希望と平和の時代となりますように。
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