亡母の留守電記録のことを日記に書いたら、5年前に母親を亡くしたという友人が、音声が残っていて羨ましい、自分は声の記憶が曖昧になってきたと言っていました。
ああ、そうか。
写真は山ほどあっても、声の記録というのは確かに少ないのかもね。
実は私は、まだその録音記録を聞けないでいます。
もう少し時間が経ってから聞こうと思っています。
ああ、そうか。
写真は山ほどあっても、声の記録というのは確かに少ないのかもね。
実は私は、まだその録音記録を聞けないでいます。
もう少し時間が経ってから聞こうと思っています。

堀口大學の「母の声」という詩を思い出しました。
「母よ
僕は尋ねる
耳の奥に残るあなたの声を
あなたが世に在られた最後の日
幼い僕を呼ばれたであろうその最後の声を
三半規管よ
耳の奥に住む巻貝よ
母のいまはの その声を返せ」
悲しい詩です。
堀口大學は4歳の時に母を亡くしたのだそうです。
4歳じゃ、憶えてないよねえ…

写真は二子玉川公園の紫陽花と、その近くのジャカランダの樹。
