「だがいつも疑問に思うのはなぜ福島県の人たちは原発誘致に当時、いのち賭けての反対をしなかつたのか?ということです。」
言わんとすることは分かるが、怒りの矛先がちがう。
全国50余りの原発現地には、今も命や生活を賭けて闘っている人はたくさんいる。巻原発のように断念させたところもあるし、上関原発に反対する祝島の人たちのように今も闘っているところもある。
電力会社は日本中で一番過疎で貧困でおとなしい人々が暮らしている地域を調べ、札束と甘い言葉と脅しで地域の有力者や政治家を巻き込んでやってきた。地域の仲が良かった人たちも家族兄弟も分断し、反対する者は変人扱いされた。
テレビや新聞では連日有名な「文化人」、「学者」、タレントを使った安全キャンペーンが流される。その原発で作られた電力を享受する都会の人間は無関心、というより安全神話を信じ切っていて、反対する人たちを白い目で見てきた。
電力会社は御用学者を使って、「環境影響評価」だの反対派を入れない「住民説明会」だのを、昨今の九州電力のヤラセなどよりはるかに周到な芝居によって、手続きを演出しながら建設へこぎ着けてきた。
「原発「核の火」は、人間には制御不能出口なしのとても恐ろしいものです。死の灰。プルトニウーム。などなど。」
こんなことを言えば聞き入れる相手だと思う? 「チェルノブイリ原発事故では死者は3人でしたが、しかしそれとは構造が違います」「地震でも津波でも大丈夫です」「たとえ事故があっても絶対に放射能は漏れません」云々。
原発推進派だった佐藤前福島県知事が原発に反対するやいなや、収賄事件をでっち上げられて追放されたように、多くの与野党政治家や検察司法マスコミをも使って反対の声を踏みつぶしてきたのです。最近放射線量をブログに毎日公表していた自民党の都議会議員が死んで、誰が見ても他殺なのに「自殺」ということになっています。死因を決定するのはこういう事件を徹底的に究明するはずの警察です。
今福島の事故解決や住民への対策はそっちのけにして、原発利権を守るために再稼働させようとする動きがありますが、本質を見抜き相手を間違わず脱原発へ向けて頑張りましょう。