格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

NHKが電力会社の社債を大量保有!〝上位5社がすべて電力会社。

2011-07-31 20:11:11 | 阿修羅


NHKが電力会社の社債を大量保有!〝上位5社がすべて電力会社。合計374億円 こんなんでまともな報道できるかよ アホか〟
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/168.html
投稿者 極楽とんぼ 日時 2011 年 7 月 30 日 16:38:30: /lwF1HCtYSDhs


http://takeyama-y.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-d8fa.html 
武山祐三の日記
2011年7月30日 (土)


http://alcyone.seesaa.net/article/217496432.html 

 これで公正公平な報道が出来る訳がありません。私は、福島原発事故以来NHKの報道姿勢に少なからず疑問を持っていました。これで不偏・不党の姿勢が保てるなら、何をかいわんやです。東電や九州電力のヤラセ・欺瞞・隠蔽報道の根拠がはっきりしました。


〔転載始め〕

http://alcyone.seesaa.net/article/217496432.html 
低気温のエクスタシーbyはなゆー
2011年07月30日


【大スクープ】NHKが電力会社の社債を大量保有していた!

668 名前:地震雷火事名無し(広島県)[]
投稿日:2011/07/30(土) 15:03:59.14 ID:rZof4MDp0 
NHKが電力会社の株を大量保有という週刊金曜日の大スクープ
こんなんでまともな報道できるかよ
アホか


週刊金曜日
https://twitter.com/#!/syukan_kinyobi/status/97139609351372800 
株ではなく社債です。悪影響は同じようなものですが


まっきい
https://twitter.com/#!/Cal215/status/97168485347627009 
NHK保有証券 上位五社 1。東京電力 2.中部電力 3.関西電力 4.中国電力 5.東北電力…(週刊金曜日)…なんで聴取料強制徴収や値上げなどして、電力会社の社債だけで340億円を超えるほど所有しなければならないの?株主・銀行への債権放棄は避けるべきって報道はこれのせい?


反米嫌日戦線・死ぬのはやつらだ
https://twitter.com/#!/yaturada/status/97155217925222400 
週刊金曜日、NHKが保有する債券の上位5社がすべて電力会社。合計で374億円。そのうち東電は145億円。

〔転載終わり〕





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品川美容外科機密漏えい事件は警察天下り問題だ

2011-07-31 18:50:27 | 植草一秀氏の『知られざる真実』


品川美容外科機密漏えい事件は警察天下り問題だ




品川美容外科に対する警視庁現職警官および警官OBによる捜査情報漏えい事件は、この国の警察・検察・裁判所制度の前近代性の重要な一端を垣間見せる事案である。同時に警察捜査情報を不正に入手した品川美容外科が政治家に対する献金を行っていた事実も明るみに出ており、こうした政治家への献金と警察捜査情報の漏えいとの関係も明らかにされる必要がある。
 
 この事件では、警視庁の職員が品川美容外科の医療過誤事件捜査とのっ絡みから品川美容外科に警察官OBの再就職を要請し、この要請を受け入れて警察から天下りを受け入れた品川美容外科が不正に警察捜査情報を入手したというものである。不正に警察捜査情報を漏えいした現職警官と警官OBが国家公務員法の守秘義務違反で逮捕された。



日本の警察・検察・裁判所制度の前近代性を是正することが急務である。現状は前近代に取り残されたものだ。とりわけ重大な問題が三つある。
 
 第一は、刑事事件の取り扱いにおいて、警察・検察の裁量権が法外に認められていることである。警察・検察には、犯罪がたしかに存在していても、摘発しない裁量権と、犯罪が存在しないのに無実潔白の市民を刑事事件犯人に仕立て上げる裁量権が付与されている。
 
 法の下の平等、罪刑法定主義が守られていない。「起訴便宜主義」の名の下に、恣意的な法の運用がまかり通っている。警察捜査段階でも、犯罪が明白に存在しているにもかかわらず、警察の判断で犯罪が摘発されることなく無罪放免される事例が無数に存在する。
 
 裁量的な刑事事件捜査の運用が行われる最大の問題は、このことが政治的な目的で行われることと、このことと警察・検察の天下りが密接に関係していることである。
 
 日本政治の支配者である米官業政電の利権複合体の敵=政敵に対しては、無実の人間であっても犯罪者に仕立て上げることが横行する。逆に利権複合体の一員に対しては、法律を乗り越えて甘い運用が適用される。利権複合体の一員とは、警察・検察天下りを受け入れた企業という意味でもある。
 
 これが歴然たる現実であることは、多くの関係者が証言するところである。
 
 今回の品川美容外科の問題は、警察天下りと警察捜査の関係を端的に示す事例である。官僚天下りの最大の問題のひとつが、警察・検察の天下り問題であることを、主権者国民はしっかりと認識しなければならない。



第二の問題は、日本の刑事事件捜査において、DUE PROCESS OF LAWが完全に無視されていることである。基本的人権を擁護するには、適正手続きが厳格に守られねばならないが、日本の現実は、適正手続き=DUE PROCESS OF LAWは無きが如しである。
 
 捜査段階における人権侵害の程度も極めて深刻である。
 
 この問題をクリアするには、取調べ過程の全面可視化が不可欠である。警察は、全面可視化を認めると治安水準が維持できないと主張するが、これは言い方を変えれば、
「犯人を検挙するには多少の冤罪の発生はやむを得ない」
ということにつながるのだ。
 
 人権を守る視点からの刑事事件捜査の鉄則は、
「10人の真犯人を取り逃がしても一人の無辜を処罰するなかれ」
である。
 
 冤罪を生み出すことの罪深さを警察・検察は認識していないのだ。
 
 不当逮捕、不当勾留、不当起訴、不当有罪判決を根絶するには、最低限、取調べ過程の全面可視化が不可欠である。そして、全面可視化は被疑者だけでなく、被害者、目撃者および関係者全員に適用することが求められる。



第三の問題は、裁判所が権力に従属しているという現実だ。日本国憲法第76条は、
「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」
との規定を置いているが、空文化している。
 
 新藤宗幸氏が著書『司法官僚』で明らかにしたように、裁判官の人事上の処遇のすべてが最高裁事務総局に握られているため、裁判官は良心や法律ではなく、最高裁事務総局の方針に従って裁判を行うことになるからである。
 
 このとき、最高裁事務総局が時の権力の側を向くスタンスを取るなら、裁判全体が国家権力の支配下に置かれることになる。現実にこの傾向が著しく強まっている。



警察・検察・裁判所の近代化は日本の構造改革の最重要テーマのひとつである。フランス人権宣言にこれらの事項が明記されたのは1789年のことだ。日本は220年も遅れた近代化をいまだに実現できていないのだ。
 
 野田佳彦財務相の政治資金管理団体が品川美容外科から多額の献金を受けてきた事実が明るみに出された。当然のことであるが、今回の事件との関係についても実態が明らかにされる必要がある。
 
 品川美容外科事件を単なる一事件として捉えるのではなく、警察天下りと警察捜査の一般的な関係のひとつに事例が、この事件に表出されたものと捉える必要がある。そのうえで、警察の天下り問題を徹底的に論議することが求められる。





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原子力発電を、本当に推進している者達の、正体

2011-07-31 18:36:10 | 阿修羅


原子力発電を、本当に推進している者達の、正体



前回記事、「原子力発電の廃止を主張する、日本の菅首相の乗る、旅客機も、やがて墜落する?」、より続く。


http://alternativereport1.seesaa.net/article/216032953.html



(前回より続く)



 故ケネディ大統領は、暗殺された。

このケネディ一族の財産は、現在、ある弁護士が管財権=全権を握り、「管理・運営」している。

ケネディ一族は、この弁護士の「許可」がなければ、ボールペン1本さえ、買う事ができない。

この弁護士は、全米を支配する、麻薬マフィアの顧問弁護士である。

この麻薬マフィアが、「我々は、ケネディ暗殺犯人ではない」と言っても、誰も信用しない。

仮に、Bさんの家に強盗が入り、Bさんが殺害され、預金通帳とキャッシュカードが盗まれた場合、

そのキャッシュカードで現金を引き出し、生活しているAが警察に逮捕され、Aが「私は殺人犯人ではない」と言っても、誰も信用しない。

犯人でなければ、どのようにして、キャッシュカードを手に入れたのか?

このマフィアが、暗殺犯人でなければ、どのようにして、ケネディ一族の財産を「手に入れたのか?」

このマフィアの顧問弁護士は、「環境保護問題で、ノーベル賞を受賞した」、アル・ゴアの、顧問弁護士「でもある」。

オバマ政権で、原子力発電を強力に推進する、アル・ゴアの「ボス」、

日本の原子力発電「業界」を、支配してきた「本当のボス=アメリカの、麻薬=ウラン・マフィア」の姿が、ここには、明瞭に浮かび上がってくる。


 日本の菅首相は、原子力発電をストップさせると明言し、政界で総攻撃を受けている。

原子力発電所は、巨大なセメントと鉄骨の塊であり、その建設を担う土建業者=ゼネコンが、日本政界の最大の政治資金源である。

原子力発電をストップさせると明言した菅首相に対し、土建・セメント・鉄鋼業界が、「我が社の、売り上げが減少する、なんとかしろ」と命令を下し、日本政界・国会議員の群れが、菅への総攻撃を開始した。

国会議事堂での、「原子力発電は必要」という議論のホンネは、国会議員達の、土建業界からの政治献金がないと、「選挙資金に困窮する」という主張である。

そして、菅首相、総攻撃の真意は、

「いつか総理大臣になり、出世したい」と妄想している、各国会議員達の、「首相になるまでは、ケネディ、中川昭一、橋本龍太郎のように、ボス=アメリカのマフィアに、暗殺されたくは無い」という、自己保身である。





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鳩山政権潰しの動きに警告するウォルフレン論文 (永田町異聞)

2011-07-31 09:06:23 | 阿修羅


鳩山政権潰しの動きに警告するウォルフレン論文 (永田町異聞)
http://www.asyura2.com/10/senkyo82/msg/972.html
投稿者 亀ちゃんファン 日時 2010 年 3 月 24 日 12:17:22: GqNtjW4//076U


http://ameblo.jp/aratakyo/entry-10489860569.html
2010年03月24日(水)


【転載開始】

鳩山政権潰しの動きに警告するウォルフレン論文 

オランダ出身のジャーナリストで、アムステルダム大学教授、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、ベストセラー「人間を幸福にしない日本というシステム」の著者として知られる。



国民自らの選択で初めて歴史的な政権交代を成し遂げたこの日本で、古い日本を守ろうとする官僚、検察、メディアが、新しく誕生した政権を潰そうとしている動きに対し、中央公論の最新号に寄稿した論文で重大な懸念を表明しておられる。



大変な長文だが、ここ(http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20100319-01-0501.html) をクリックしていただくと原文(井上実訳)を読んでいただくことができる。



下記に、筆者なりの要約をしてみたので、参考にいただければ幸いだ。



「日本政治再生を巡る権力闘争の謎」

 

いま日本はきわめて重要な時期にある。真の民主主義をこの国で実現できるかどうかは、これからの数年にかかっている。内閣中心政権を確立することができるならば、あらゆる国々に対し、重要な規範を示すことになる。
 
 それを実現させるためには、険しい関門を突破しなければなるまい。国際社会で、真に独立した国家たらんとする民主党の理念を打ち砕こうとするのは、国内勢力ばかりではない。アメリカ政府もまたしかりである。



この世界に、望ましい政治のあり方を示そうとしているのが、他ならぬこの日本であるなどと、わずか数年前、筆者を含め誰に予測し得たであろうか。予測しがたいことが現実に起きた。



民主党政権発足後の日本で起こりつつある変化には、実は大半の日本人が考えている以上に大きな意味がある、と筆者は感じている。
   
民主党が行おうとしていることに、どのような意義があるのかは、明治時代に日本の政治機構がどのように形成されたかを知らずして、理解することはむずかしい。



当時、選挙によって選ばれた政治家の力を骨抜きにするための仕組みが、政治システムの中に意図的に組み込まれたのである。



民主党は、山県有朋によって確立された日本の官僚制度(そして軍隊)という、この国のガバナンスの伝統と決別しようとしているのである。
 
山県は、表向きに政治家に与えられている権力を、行使できなくなるような仕組みを導入したのだ。
 
山県が密かにこのような仕掛けをしたからこそ、日本の政治システムは、1930年代になって、軍官僚たちがこの国をハイジャックする方向へと進化していったのである。山県の遺産は、その後もキャリア官僚と、国会議員という、実に奇妙な関係性の中に受け継がれていった。
 
いま民主党が自ら背負う課題は、生易しいものではない。この課題に着手した者は、いまだかつて誰ひとり存在しないのである。手本と仰ぐことが可能な経験則は存在しないのである。



民主党の閣僚が、政策を見直そうとするたび、激しい抵抗に遭遇する。彼らに抵抗するのは、有権者ではない。旧態依然とした非民主主義的な体制に、がっちりと埋め込まれた利害に他ならない。
 
明治時代に設立された、議会や内閣といった民主主義の基本的な機構・制度は日本では本来の目的に沿う形で利用されてはこなかった。



そして現在、政治主導を可能にするような機構を、民主党はほぼ無から創り上げることを余儀なくされている。



これを見て、民主党の連立内閣の大臣たちが手をこまねいていると考える、気の短い人々も大勢いることだろう。



たとえば外務省や防衛省などの官僚たちは、政治家たちに、従来の省内でのやり方にしたがわせようと躍起になっている。
 
明治以来存続してきた日本の政治システムを変えることは容易ではない。システム内部には自らを守ろうとする強力なメカニズムがあるからだ。



一年ほど日本を留守にしていた筆者が、昨年戻ってきたさい、日本の友人たちは夏の選挙で事態が劇的に変化したと興奮の面持ちで話してくれた。



そのとき筆者は即座に「小沢を引きずり下ろそうとするスキャンダルの方はどうなった?」と訊ね返した。必ずそのような動きが出るに違いないことは、最初からわかっていたのだ。
 
日本の官僚機構に備わった防御機能は、まるで人体の免疫システムのように作用するからだ。



あらゆる国々は表向きの、理論的なシステムとは別個に、現実の中で機能する実質的な権力システムというべきものを有している。政治の本音と建前の差は日本に限らずどんな国にもある。



実質的な権力システムは、公式の政治システムの内部に存在している。
 
軍産複合体や巨大金融・保険企業の利益に権力が手を貸し、彼らの利害を有権者の要求に優先させた、この10年間のアメリカの政治など、その典型例だといえよう。
 
いまから19年前、日本で起きた有名なスキャンダル事件について研究をした私は『中央公論』に寄稿した。



その中で、日本のシステム内部には、普通は許容されても、過剰となるや、たちまち作用する免疫システムが備わっており、この免疫システムの一角を担うのが、メディアと二人三脚で動く日本の検察である、と結論づけた。
 
検察とメディアにとって、改革を志す政治家たちは格好の標的である。彼らは険しく目を光らせながら、問題になりそうなごく些細な犯罪行為を探し、場合によっては架空の事件を作り出す。



薬害エイズ事件で、厚生官僚に真実を明らかにするよう強く迫り、日本の国民から絶大な支持を得た菅直人は、それからわずか数年後、その名声を傷つけるようなスキャンダルに見舞われた。
 
さて、この日本の非公式な権力システムにとり、いまだかつて遭遇したことのないほどの手強い脅威こそが、現在の民主党政権なのである。



実際の権力システムを本来かくあるべしという状態に近づけようとする動きほど恐ろしいことは、彼らにとって他にない。



そこで検察とメディアは、鳩山由紀夫が首相になるや直ちに手を組み、彼らの地位を脅かしかねないスキャンダルを叩いたのである。

 
日本の超法規的な政治システムが山県有朋の遺産だとすれば、検察というイメージ、そしてその実質的な役割を確立した人物もまた、日本の歴史に存在する。平沼騏一郎である。



彼は「天皇の意思」を実行する官僚が道徳的に卓越する存在であることを、狂信的とも言える熱意をもって信じて疑わなかった。山県のように彼もまた、国体思想が説く神秘的で道徳的に汚れなき国家の擁護者を自任していた。
 
1945年以降も、平沼を信奉する人々の影響力によって、日本の司法制度の改革は阻止された。



ある意味では現在の検察官たちの動きを見ていると、そこにいまなお司法制度を政府という存在を超えた至高なる神聖な存在とする価値観が残っているのではないか、と思わせるものがある。



オランダにおける日本学の第一人者ウィム・ボートは、日本の検察は古代中国の検閲(秦代の焚書坑儒など)を彷彿させると述べている。
 
 日本の検察官が行使する自由裁量権は、これまで多くの海外の法律専門家たちを驚かせてきた。



誰を起訴の標的にするかを決定するに際しての彼らの権力は、けたはずれの自由裁量によって生じたものである。
 
 ある特定人物に対して厳しい扱いをすると決めた場合、容疑者を参らせるために、策略を用い、心理的な重圧をかけ、さらには審理前に長く拘禁して自白を迫る。



検察官たちは法のグレーゾーンを利用して、改革に意欲的な政治家たちを阻もうとする。どんなことなら許容され、逆にどのようなことが決定的に違法とされるのかという区分はかなりあいまいである。たとえば、合法的な節税と違法な脱税の境界がさほど明確でない国もある。



ところで日本にはさまざまな税に関する法律に加えて、きわめてあいまいな政治資金規正法がある。検察はこの法律を好んで武器として利用する。


検察官たちの取り調べがいかに恣意的であるかを理解している日本人は大勢いる。それでもなお、たとえば小沢の支持者も含めて多くの人々が、彼が少なくとも「誠意ある態度」を示して、謝罪すべきだと、感じていることは確かだ。
 
 これなどまさに、非公式な権力システムと折り合いをつけるために要請される儀礼行為とも言えるだろう。儀礼の舞台は国会であり、また民主党内部でもあり、国民全般でもある。



新聞各紙は「世論が求めている」などと盛んに騒ぎ立てているが、本当のところはわからない。しかも詫びて頭を下げ、あるいは「自ら」辞任するとでもいうことになれば、そのような儀礼行為は、実際には非公式のシステムに対して行われるのである。
 
 体制に備わった免疫システムは、メディアの協力なくしては作用しない。なぜなら政治家たちを打ちのめすのは、彼らがかかわったとされる不正行為などではなく、メディアが煽り立てるスキャンダルに他ならないからだ。



検察官たちは絶えず自分たちが狙いをつけた件について、メディアに情報を流し続ける。そうやっていざ標的となった人物の事務所に襲いかかる際に、現場で待機しているようにと、あらかじめジャーナリストや編集者たちに注意を促すのだ。



捜査が進行中の事件について情報を漏らすという行為は、もちろん法的手続きを遵守するシステムにはそぐわない。しかし検察はあたかも自分たちが超法規的な存在であるかのように振る舞うものだ。

 

日本の新聞は、筆者の知る世界のいかなるメディアにも増して、現在何が起こりつつあるかについて、きわめて均質な解釈を行う。



そしてその論評内容は各紙互いに非常によく似通っている。かくして、こうした新聞を購読する人々に、比較的大きな影響を及ぼすことになり、それが人々の心理に植えつけられるという形で、政治的現実が生まれるのである。



このように、日本の新聞は、国内権力というダイナミクスを監視する立場にあるのではなく、むしろその中に参加する当事者となっている。



有力新聞なら、いともたやすく現在の政権を倒すことができる。彼らが所属する世界の既存の秩序を維持することが、あたかも神聖なる最優先課題ででもあるかのように扱う、そうした新聞社の幹部編集者の思考は、高級官僚のそれとほとんど変わらない。
 
 いまという我々の時代においてもっとも悲しむべきは、先進世界と呼ばれるあらゆる地域で新聞界が大きな問題を抱えていることであろう。



商業的な利益に依存する度合いを強めた新聞は、もはや政治の成り行きを監視する信頼に足る存在ではなくなってしまった。日本の新聞はその点、まだましだ。



とはいえ、日本の政治がきわめて重要な変化の時を迎えたいま、新聞が信頼できる監視者の立場に就こうとしないのは、非常に残念なことだ。



これまで日本のメディアが新しい政府について何を報道してきたかといえば、誰の役にも立ちはせぬありふれたスキャンダルばかりで、日本人すべての未来にとって何が重要か、という肝心な視点が欠落していたのではないか。
 
 なぜ日本の新聞がこうなってしまったのか、原因はやはり長年の間に染みついた習性にあるのかもしれない。



普通、記者や編集者たちは長年手がけてきたことを得意分野とする。日本の政治記者たちは、長い間、自民党の派閥争いについて、また近年になってからは連立政権の浮沈について、正確な詳細を伝えようと鎬を削ってきた。
 
鳩山政権が成立後、連立を組んだ政党との間に生じた、現実の、あるいは架空の軋轢に、ジャーナリストたちの関心が注がれたのは不思議ではなかった。



だからこそ、日本のメディアは民主党の閣僚たちの間に、きわめてわずかな齟齬が生じたといっては、盛んに書き立てるのだろう。



自民党内部での論争や派閥抗争がジャーナリストたちにとって格好の取材ネタであったことは、筆者にもよく理解できる。なぜなら日本のいわゆる与党は、これまで話題にする価値のあるような政策を生み出してこなかったからだ。
 
 小泉は政治改革を求める国民の気運があったために、ずいぶん得をしたものの、現実にはその方面では実効を生まなかった。



彼はただ、財務省官僚の要請に従い、改革を行ったかのように振る舞ったにすぎない。だがその高い支持率に眼がくらんだのか、メディアは、それが単に新自由主義的な流儀にすぎず、国民の求めた政治改革などではなかったことを見抜けなかった。
 
 彼が政権を去った後、新しい自民党内閣が次々と誕生しては退陣を繰り返した。自民党は大きく変化した国内情勢や世界情勢に対処可能な政策を打ち出すことができなかった。



なぜなら、彼らには政治的な舵取りができなかったからだ。自民党の政治家たちは、単にさまざまな省庁の官僚たちが行う行政上の決定に頼ってきたにすぎない。



ところが官僚たちによる行政上の決定とは、過去において定められた路線を維持するために、必要な調整を行うためのものである。



つまり行政上の決定は、新しい路線を打ち出し、新しい出発、抜本的な構造改革をなすための政治的な決断、あるいは政治判断とは完全に区別して考えるべきものなのである。こうしてポスト小泉時代、新聞各紙が内閣をこき下ろすという役割を楽しむ一方で、毎年のように首相は代わった。
 
 このような展開が続いたことで、日本ではそれが習慣化してしまったらしい。実際、鳩山政権がもつかどうか、退陣すべきなのではないか、という噂が絶えないではないか。



たとえば小沢が権力を掌握している、鳩山が小沢に依存していると論じるものは多い。だがそれは当然ではないのか。政治家ひとりの力で成し遂げられるはずがあろうか。しかし論説執筆者たちは民主党に関して、多くのことを忘れているように思える。
 
 そして山県有朋以降、連綿と受け継がれてきた伝統を打破し、政治的な舵取りを掌握した真の政権を打ち立てるチャンスをもたらしたのは、小沢の功績なのである。



小沢がいなかったら、一九九三年の政治変革は起きなかっただろう。あれは彼が始めたことだ。小沢の存在なくして、信頼に足る野党民主党は誕生し得なかっただろう。そして昨年八月の衆議院選挙で、民主党が圧勝することはおろか、過半数を得ることもできなかったに違いない。
 
 小沢は今日の国際社会において、もっとも卓越した手腕を持つ政治家のひとりであることは疑いない。ヨーロッパには彼に比肩し得るような政権リーダーは存在しない。政治的手腕において、そして権力というダイナミクスをよく理解しているという点で、アメリカのオバマ大統領は小沢には及ばない。
 
 小沢はその独裁的な姿勢も含め、これまで批判され続けてきた。しかし幅広く読まれているメディアのコラムニストたちの中で、彼がなぜ現在のような政治家になったのか、という点に関心を持っている者はほとんどいないように思える。小沢がいなかったら、果たして民主党は成功し得ただろうか?
 
 民主党のメンバーたちもまた、メディアがしだいに作り上げる政治的現実に多少影響されているようだが、決断力の点で、また日本の非公式な権力システムを熟知しているという点で、小沢ほどの手腕を持つ政治家は他には存在しないという事実を、小沢のような非凡なリーダーの辞任を求める前によくよく考えるべきである。
 
 もし非公式な権力システムの流儀に影響されて、民主党の結束が失われでもすれば、その後の展開が日本にとって望ましいものだとは到底思えない。確固たる民主党という存在がなければ、さまざまな連立政権があらわれては消えていく、というあわただしい変化を繰り返すだけのことになる。



すると官僚たちの権力はさらに強化され、恐らくは自民党政権下で存在していたものよりもっとたちの悪い行政支配という、よどんだ状況が現出することになろう。



 民主党の行く手に立ち塞がる、もうひとつの重要な障害、日米関係に対しても、メディアはしかるべき関心を寄せてはいない。



これまで誰もが両国の関係を当然のものと見なしてきたが、そこには問題があった。それはアメリカ政府がこれまで日本を完全な独立国家として扱ってはこなかったことである。



ところが鳩山政権は、この古い状況を根本的に変えてしまい、いまやこの問題について公然と議論できるようになった。
 
 しかしオバマ政権はいまだに非自民党政権を受け入れることができずにいる。そのような姿勢を雄弁に物語るのが、選挙前後に発表されたヒラリー・クリントン国務長官やロバート・ゲーツ国防長官らの厳しいメッセージであろう。



沖縄にあるアメリカ海兵隊の基地移設問題は、アメリカ政府によって、誰がボスであるか新しい政権が理解しているかどうかを試す、テストケースにされてしまった。
 
 アメリカ政府を含め、世界各国は長い間、日本が国際社会の中でより積極的な役割を果たすよう望んできた。日本の経済力はアメリカやヨーロッパの産業界の運命を変えてしまい、またその他の地域に対しても多大な影響を及ぼした。



ところが、地政学的な観点からして、あるいは外交面において、日本は実に影が薄かった。「経済大国であっても政治小国」という、かつて日本に与えられたラベルに諸外国は慣れてしまった。



そして、そのような偏った国際社会でのあり方は望ましくなく、是正しなければいけないと新政府が声を上げ始めたいまになって、アメリカ人たちは軍事基地のことでひたすら愚痴をこぼす始末なのだ。
 
 日本の検察が、法に違反したとして小沢を執拗に追及する一方、アメリカは2006年に自民党に承諾させたことを実行せよと迫り続けている。このふたつの事柄からは、ある共通点が浮かび上がる。両者には平衡感覚とでもいうものが欠落しているのである。
 
 長い間留守にした後で、日本に戻ってきた昨年の十二月から今年の二月まで、大新聞の見出しを追っていると、各紙の論調はまるで、小沢が人殺しでもしたあげく、有罪判決を逃れようとしてでもいるかのように責め立てていると、筆者には感じられる。



小沢の秘書が資金管理団体の土地購入を巡って、虚偽記載をしたというこの手の事件は、他の民主主義国家であれば、その取り調べを行うのに、これほど騒ぎ立てることはない。



まして我々がいま目撃しているような、小沢をさらし者にし、それを正当化するほどの重要性など全くない。しかも検察は嫌疑不十分で小沢に対して起訴することを断念せざるを得なかったのである。



なぜそれをこれほどまでに極端に騒ぎ立てるのか、全く理解に苦しむ。検察はバランス感覚を著しく欠いているのではないか、と考えざるを得なくなる。
 
 しかもこのような比較的些細なことを理由に民主党の最初の内閣が退陣するのではないか、という憶測が生まれ、ほぼ連日にわたって小沢は辞任すべきだという世論なるものが新聞の第一面に掲載されている様子を見ていると、たまに日本に戻ってきた筆者のような人間には、まるで風邪をひいて発熱した患者の体温が、昨日は上がった、今日は下がったと、新聞がそのつど大騒ぎを繰り広げているようにしか思えず、一体、日本の政治はどうなってしまったのかと、愕然とさせられるのである。



つい最近、筆者が目にした日本の主だった新聞の社説も、たとえ証拠が不十分だったとしても小沢が無実であるという意味ではない、と言わんばかりの論調で書かれていた。



これを読むとまるで個人的な恨みでもあるのだろうかと首を傾げたくなる。日本の未来に弊害をもたらしかねぬ論議を繰り広げるメディアは、ヒステリックと称すべき様相を呈している。
 
 普天間基地の問題を巡る対応からして、アメリカの新大統領は日本で起こりつつある事態の重要性に全く気づいていないのがわかる。



オバマとその側近たちは、安定した新しい日米の協力的な関係を築くチャンスを目の前にしておきながら、それをみすみすつぶそうとしている。それと引き換えに彼らが追求するのは、アメリカのグローバル戦略の中での、ごくちっぽけなものにすぎない。
 
 当初は、世界に対する外交姿勢を是正すると表明したのとは裏腹に、オバマ政権の態度は一貫性を欠いている。



昨年、日本では、1950年代以来、最大規模の権力の移転が起きた。そして民主党は、いくつかの事柄に関して、もはや二度と後戻りすることができないほどに、それらを決定的に変えた。



しかしながら、だからといって民主党の権力が強化されたわけではない。民主党はこれからもたび重なる試練に立ち向かわねばならぬだろう。
 
 もし鳩山内閣が道半ばにして退陣するようなことがあれば、それは日本にとって非常に不幸である。



自民党が政権を握り、毎年のように首相が交代していた時期、一体何がなされたというのか? もし、またしても「椅子取りゲーム」よろしく、首相の顔ぶれが次々と意味もなく代わるような状況に後退することがあっては、日本の政治の未来に有益であるはずがない。
 
 民主党の力を確立するためには、当然、何をもって重要事項とするかをはき違えた検察に対処しなければならず、また検察がリークする情報に飢えた獣のごとく群がるジャーナリストたちにも対応しなければなるまい。

 

いま我々が日本で目撃しつつあり、今後も続くであろうこととは、まさに権力闘争である。これは真の改革を望む政治家たちと、旧態依然とした体制こそ神聖なものであると信じるキャリア官僚たちとの戦いである。



しかしキャリア官僚たちの権力など、ひとたび新聞の論説委員やテレビに登場する評論家たちが、いま日本の目の前に開かれた素晴らしい政治の可能性に対して好意を示すや否や、氷や雪のようにたちまち溶けてなくなってしまう。



世の中のことに関心がある人間ならば、そして多少なりとも日本に対して愛国心のある日本人であるならば、新しい可能性に関心を向けることは、さほど難しいことではあるまい。

 

日米関係に目を転じるならば、そこにもまたきわめて興味深い権力のダイナミクスが存在しており、日本に有利に事態の解決を図ることができると筆者は考えている。



世界の二大先進パワーは、きわめてユニークな形で連携している。日米関係に類似したものは、世界のどこにも存在しないだろう。
 
 鳩山が対米外交において失策を重ねていると批判する人々は、ことアメリカとの関係においては正常な外交というものが存在しない事実を見過ごしにしている。



なぜならアメリカはこれまでも日本を、外交には不可欠な前提条件であるはずの真の主権国家だとは見なしてこなかったからである。



そして日本は最後にはアメリカの望み通りに従うと、当然視されるようになってしまったのだ。鳩山政権は、これまで自民党が一度として直視しようとはしなかったこの現実に取り組む必要がある。
 
 誰もがアメリカと日本は同盟関係にあると、当然のように口にする。しかし同盟関係の概念が正しく理解されているかどうかは疑わしい。



同盟関係とは、二国もしくはそれ以上の独立国家が自主的に手を結ぶ関係である。ところがアメリカとの同盟関係なるものが生じた当時の日本には、それ以外の選択肢はなかった。



第二次世界大戦後の占領期、アメリカは日本を実質的な保護国(注:他国の主権によって保護を受ける、国際法上の半主権国)とし、以後、一貫して日本をそのように扱い続けた。



また最近ではアメリカは日本に他国での軍事支援活動に加わるよう要請している。実質的な保護国であることで、日本が多大な恩恵を被ったことは事実だ。日本が急速に貿易大国へと成長することができたのも、アメリカの戦略や外交上の保護下にあったからだ。
 
 しかしこれまで日本が国際社会で果たしてきた主な役割が、アメリカの代理人としての行動であった事実は重い意味を持つ。



つまり日本は、基本的な政治決定を行う能力を備えた強力な政府であることを他国に対して示す必要はなかった、ということだ。



これについては、日本の病的と呼びたくなるほどの対米依存症と、日本には治的な舵取りが欠如しているという観点から熟考する必要がある。



民主党の主立った議員も、そしてもちろん小沢もそのことに気づいていると筆者には思われる。だからこそ政権を握った後、民主党は当然のごとく、真なる政治的中枢を打ち立て、従来のアメリカに依存する関係を刷新しようとしているのだ。
 
だが問題は厄介さを増しつつある。なぜなら今日のアメリカは戦闘的な国家主義者たちによって牛耳られるようになってしまったからだ。



アメリカが、中国を封じ込めるための軍事包囲網の増強を含め、新しい世界の現実に対処するための計画を推進していることは、歴然としている。そしてその計画の一翼を担う存在として、アメリカは日本をあてにしているのである。
 
 かくしてアメリカにとって沖縄に米軍基地があることは重要であり、そのことにアメリカ政府はこだわるのである。



しかしアメリカという軍事帝国を維持するために、それほどの土地と金を提供しなければならない理由が日本側にあるだろうか? 日本の人々の心に染み付いた、アメリカが日本を守ってくれなくなったらどうなる、という恐怖心は、1989年以来、一変してしまった世界の状況から考えて、ナイーブな思考だとしか評しようがない。
 
 筆者は、日本がアメリカを必要としている以上に、アメリカが日本を必要としているという事実に気づいている日本人がほとんどいないことに常に驚かされる。



とりわけ日本がどれほど米ドルの価値を支えるのに重要な役割を果たしてきたかを考えれば、そう思わざるを得ない。しかもヨーロッパの状況からも明らかなように、アメリカが本当に日本を保護してくれるのかどうかは、きわめて疑わしい。
 
 まったく取るに足らない些細な出来事が、何か強大なものを動揺させるとすれば、それはそこに脅しという権力がからんでいるからだ。



アメリカが日本に対して権力を振るうことができるとすれば、それは多くの日本人がアメリカに脅されているからだ。彼らは日本が身ぐるみはがれて、将来、敵対国に対してなすすべもなく見捨てられるのではないか、と恐れているのだ。
 
 そして日本の検察は、メディアを使って野心的な政治家に脅しをかけることで、よりよい民主国家を目指す日本の歩みを頓挫させかねない力を持っている。
 
 この両者は、日本の利益を考えれば、大いなる不幸と称するよりない方向性を目指し、結託している。



なぜなら日本を、官僚ではなく、あるいは正当な権力を強奪する者でもない、国民の、国民による、そして国民のための完全なる主権国家にすべく、あらゆる政党の良識ある政治家たちが力を合わせなければならない、いまというこの重大な時に、検察はただ利己的な、自己中心的な利益のみを追求しているからである。



そしてその利益とは、健全な国家政治はどうあるべきか、などということについては一顧だにせず、ただ旧態依然とした体制を厳格に維持することに他ならないのである。
 
 日本のメディアはどうかと言えば、無意識のうちに(あるいは故意に?)、現政権が失敗すれば、沖縄の米軍基地問題に関して自国の主張を押し通せると望むアメリカ政府の意向に協力する形で、小沢のみならず鳩山をもあげつらい(やったこと、やらなかったことなど、不品行と思われることであれば何でも)、彼らの辞任を促すような状況に与する一方である。



しかし彼らが辞任するようなことがあれば、国民のための主権国家を目指す日本の取り組みは、大きな後退を余儀なくされることは言うまでもない。
 
 日本の新政権が牽制しようとしている非公式の政治システムには、さまざまな脅しの機能が埋め込まれている。何か事が起きれば、ほぼ自動的に作動するその機能とは超法規的権力の行使である。このような歴史的な経緯があったからこそ、有権者によって選ばれた政治家たちは簡単に脅しに屈してきた。
 
鳩山政権にとっては、アメリカの脅しに屈しないことが、きわめて重要である。日本に有利に問題を解決するには、しばらくの間は問題を放置してあえて何もせず、それよりも将来の日米関係という基本的な論議を重ねていくことを優先させるべきである。
 
 アメリカがこの問題について、相当の譲歩をせず、また日米両国が共に問題について真剣に熟考しないうちは、たとえ日本が五月と定められた期限内に決着をつけることができなかったとしても、日本に不利なことは何ひとつ起こりはしない。
 
 それより鳩山政権にとっては、国内的な脅しに対処することの方が困難である。普通、このような脅しに対しては、脅す側の動機や戦略、戦法を暴くことで、応戦するしかない。



心ある政治家が検察を批判することはたやすいことではない。すぐに「検察の捜査への介入」だと批判されるのがおちだからだ。つまり検察の権力の悪用に対抗し得るのは、独立した、社会の監視者として目を光らせるメディアしかないということになる。
 
 日本のメディアは自由な立場にある。しかし真の主権国家の中に、より健全な民主主義をはぐくもうとするならば、日本のメディアは現在のようにスキャンダルを追いかけ、果てはそれを生み出すことに血道を上げるのを止め、国内と国際政治の良識ある観察者とならなければならない。



そして自らに備わる力の正しい用い方を習得すべきである。さらに政治改革を求め、選挙で一票を投じた日本の市民は、一歩退いて、いま起こりつつあることは一体何であるのかをよく理解し、メディアにも正しい認識に基づいた報道をするよう求めるべきなのである。

 
【転載終了】  





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石川知裕さんを救え! (「日本人」の研究!)

2011-07-31 08:29:58 | 阿修羅


石川知裕さんを救え! (「日本人」の研究!)
http://www.asyura2.com/11/senkyo117/msg/321.html
投稿者 七転八起 日時 2011 年 7 月 29 日 13:04:58: FjY83HydhgNT2


http://cpt-hide-cook.seesaa.net/article/217189533.html


 振り返ってみれば、
この「陸山会事件」というのは、
杜撰極まりない。

まったくデタラメな作られた
ストーリーであり、お粗末そのモノ。

今回の原発の管理でも
分かるように、緩みきった
官僚体質そのものを顕わしている
ようだ。

もし、ちゃんとした会計士さんが、
この陸山会の収支報告書を
2004年から2007まで、
順を追って見れば、
「何でこれが虚偽記載なのか?」
と、困惑するであろう。

その陸山会の収支報告書が、
絶対無実の証拠であり、
検察だろうと、裁判所だろうと
誰にも動かすことができない。

実際に、石川さんも
「会計士の先生の指示にそって
収支報告書を作成した」
と語っておられ、
大変優秀な会計士さんであると
推測できる。

また、選挙を管理する
総務省でも「問題ない」
と、言っているとのこと。

さらに石川さんの録音により、
検察のデタラメをさらけ出してしまった。

こんなにも真っ白なのに、
どうも石川さんは有罪にされる
可能性があるという。

さらに小沢さんについても、
いつになったら裁判が終わり、
自由の身になるというのか?

9月から裁判が始まり、
たとえ「無罪」であろうとも、
地裁、最高裁へと進むであろう。

インターネット上では
「小沢側の勝利」のようなことが
多く書かれているが、
現状を冷静に見つめれば、
裁判を止めさせない限り、
既得権益側の勝利になるのでは
なかろうか。

無駄に費やした時間は
取り返しが付かない。

この時期、一年、二年
無駄に浪費することが
どれほど、日本に損害を
与えることか。

この大変な国難に対して、
有能な政治家をこんなくだらない裁判で、
手枷足枷をかけ続けたこと、
後生の歴史において、
なんと語られるのだろうか。

もう検察のデタラメが知れ渡って
しまった以上、一刻も早く、
こんな茶番な裁判も止めさせ
なくてはならない。

そして、本当に実力のある政治家を
しっかりとした地位につけ、
この国難にあたらせる。

石川さんが「有罪」なんて
とんでもない話だ。

決死の覚悟で、
検察に立ち向かった
勇敢な若い政治家を
葬り去るのか。

あのレコダーでの録音が
どれほど、小沢さんを救い、
そして日本の未来に希望を
つないだことか。

もし、日本が小沢さんの手によって
うまくこの難局を乗り越えられれば、
石川さんの行為は
歴史の教科書に載ってもよいくらいだ。

石川さんが小沢さんに仕えた時期というのは、
小沢さんが政治家として、
大変な谷底の時代。

与党でもない。

落ち目の小党党首か、
はたまた野党の一兵卒の時代だ。

その時代、多くの側近が
小沢さんの元から去った。

マスコミには、リンチのように
叩かれ続け、
「もう小沢はおしまいだ」
と言われ続けた時代に
石川さんは仕えつづけた。

ある元秘書などは、この時期に
小沢さんの元から離れ、
小沢さんの選挙区から
対抗馬として立候補した。

また、ある元秘書の国会議員も、
小沢さんが一番落ち目だった
自由党分裂の時に、
保守党に移っていった。

誰もが自分の身はかわいいモノだ。

そんな人たちを責めるつもりはないが、
そんな環境の中で、
しっかりと信念がなければ、
小沢さんに仕え続けるというのは、
並大抵のことではない。

今回の検察の仕打ちに関して、
普通の人なら気が狂うであろう。

石川さん自身、自殺をも考えたそうだ。

時には、検察から甘い誘惑も
あっただろう。

しかし、根を上げない。

そして、裁判も
最後までやり続けた。

これがどれほど大変なことか。

こんな政治家を見殺しにしても
よいのだろうか。

我々国民は、国民のため
勇敢に戦い続けている人間を
救わなくてはならないのでは
なかろうか。

そして、石川さんを救うことが
世間に対して
「国民はしっかりと見ている」
という
我々の意思表示につながる。

欺瞞に満ちた世の中で、
少しでも正しさを取り戻すには、
ちゃんとした政治家を守ること。

そして、石川さんを支援することによって、
石川さん自身に
「しっかり国民がついている」
ということを、強く理解させたい。

さらに信念を通して生き続ければ、
お天道さんも見放さないし
強い絆で結ばれた支持者を得ることができることを、
肌で感じてもらいたい。

石川さんも裁判費用捻出にも
大変苦しいるらしい。

石川さんのホームページを見ると
裁判費用のカンパの募集していた。

小銭であるが、さっそく
カンパしてみることにした。

さらに、大変な恐怖に
勇敢に立ち向かった
石川知裕という政治家を、
いろんなところで
語り継ぎたいと思う。

どうか、皆さん
石川さんを救って下さい。  






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