翁長知事が検証委員会報告を検証する不可思議
沖縄県による名護市辺野古沿岸部の埋め立て承認に「法律的瑕疵(かし)」があったとする検証結果を、県の第三者委員会が報告した。
沖縄県の翁長雄志知事は、5月25日の共同通信のインタビューで、
「米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先、名護市辺野古沿岸部の前知事による埋め立て承認に関し、有識者委員会から7月上旬に承認取り消しが提言されれば「取り消すことになる」と明言した」
と報道されている。
「辺野古に基地を造らせない」
というのが知事選における翁長雄志氏の選挙公約である。
「辺野古に基地を造らせない」
という選挙公約を実現するには、仲井真弘多前知事による
「辺野古海岸埋め立て申請の承認」
を
「取り消す」
ことが必要不可欠である。
このことは、昨年9月10日の菅義偉官房長官の記者会見で明確になっている。
菅義偉官房長官は昨年9月10日の記者会見でこう述べた。
「最大の関心は沖縄県が(辺野古沿岸部の)埋め立てを承認するかどうかだった。知事が承認し粛々と工事しており、もう過去の問題だ。争点にはならない」
「過去18年間で、県知事も市長も移設賛成の方がいた。そうした経緯の中で、仲井真知事が埋め立て承認を決定した。そのことで一つの区切りがついている」
沖縄県知事が埋め立て申請を承認したことで、辺野古米軍基地建設問題は「過去の問題」になったとの認識を示したものである。
人気ブログランキングへ
したがって、
「辺野古に基地を造らせない」
という公約を実現するには、
1.知事就任後、埋め立て承認を直ちに撤回し、
さらに
2.法的な瑕疵を精査して、埋め立て承認を取り消す
ことが必要である。
安倍政権は辺野古米軍基地建設を強行推進しており、
「辺野古に基地を造らせない」
という公約を守る行動は、
「時間との勝負」
ということになる。
人気ブログランキングへ
この視点に立つと、翁長雄志氏の「行動の遅さ」は異様である。
昨年の知事選から8ヵ月の時間が経過した。
しかし、いまだに、埋め立て承認の取消はおろか、埋め立て承認の撤回すら実行されていない。
知事選の過程で、翁長雄志氏はこう述べている。
「まずはこの知事選に勝ち、承認そのものを私たち県民の力で取り消す」(2014年9月24日付沖縄タイムス)
「法的な瑕疵がなくても、その後の新たな事象で撤回する。県民がノーという意思を強く示すことが、新たな事象になる」(10月21日政策発表記者会見=同22日付「しんぶん赤旗」)
つまり、
「埋め立て承認の撤回」
については、知事選の結果を受けて行うことができるとの認識を示したのである。
そして、検証委員会の報告を受けてからの対応については、上記のように5月25日のインタビューで、
「有識者委員会から7月上旬に承認取り消しが提言されれば「取り消すことになる」と明言した
のである。
人気ブログランキングへ
有識者委員会から
「法的に瑕疵がある」
との報告を受けた以上、直ちに
「埋め立て承認の取消」
を知事権限で行うべきである。
ところが、翁長雄志氏は、7月16日の記者会見で驚くべき発言を示した。
「顧問弁護士の意見を聞くなど、内容についてしっかりと精査し、今後、埋め立て承認の取り消しを含めてどのように対応することが効果的なのか、慎重に検討したい」
この発言に対して、翁長氏の「辺野古に基地を造らせない」という公約を信用して清き一票を投じた沖縄県民は、強い憤りを一気に爆発させるのが普通であろう。
沖縄の各種メディアが、なぜか、こうした当然の県民感情を封じ込めている感が強い。
翁長雄志氏は、知事選に際して、「埋め立て承認の撤回および取消」を公約として明示することを頑強に拒絶した。
2014年10月9日付ブログ記事
「沖縄の主権者必見「翁長雄志氏出馬表明会見」」
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-004e.html
に掲載した、翁長氏の知事選出馬会見の模様を再度、しっかりとご確認いただきたい。
https://www.youtube.com/watch?v=aZEIXJRXFiY#t=421
の4分45秒~6分45秒の部分を確認いただきたい。
核心部分である、「埋め立て承認の撤回および取消」を明示しないことを問われて、翁長氏が「逆ギレ」している場面である。
有識者委員会の報告が7月下旬まで先送りされたのは、安保法制の強行可決の日程を踏まえて、安倍政権に協力したものと推察される。
7月7日付記事で紹介したように、翁長氏の後援会長は、翁長氏の公約を、
「辺野古に基地を造らせない」
ではなく、
「移設反対」
に大幅格下げしている。
翁長雄志知事が沖縄県民を裏切らないことを期待するが、残念ながら、これまでの翁長氏の行動は、
「辺野古に基地を造らせない」
公約を全身全霊で実現するという気迫を感じさせるものにはなっていない。