今、中東では、紛争(戦争)が起こっています。
以前にも、中東の政治・宗教の複雑性について述べました。
この中東は、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教が複雑に入り組んだ地域です。
キリスト教がユダヤ教(イスラエルは、ユダヤ教の人のみ)の一つの分派として始まりましたが、イスラム教は、その双方の影響のもとに生まれました。
今日の絵は”カサブランカ” F8
イスラム教の開祖であるムハンマド(マホメット)が暮らしていた7世紀のアラビア半島は、ユダヤ教徒もキリスト教徒もたくさんいて、商人であるムハンマドは、彼らとも交友がありました。
キリスト教がイエスを「神の子」として信仰の対象にしているのに対して、イスラム教では、イエスはあくまで預言者の一人で神の子ではないとしていることです。
またユダヤ教は、律法を遵守すれば、自分たちだけが救われるとしています。
イスラム教がなぜ、スンニ派とシーア派に分かれたのでしょうか?
前には、スンニ派とシーア派については、述べました。
分かれた理由は、後継者争いです。
ムハンマドが亡くなると、教団をまとめていく指導者には「カリフ」と言う称号が与えられました。
これは「神の使途の代理」という意味ですが、初代の「カリフ」にはムハンドの妻の父、2代目も二人目の妻の父、3代目は、娘の夫、この間にイスラム教は一気に勢力を拡大してゆきます。
4代目は、ムハンマドの従兄弟で、ここまでを「正統四カリフ時代」と呼びます。
ところが、4代目のアリーが3代目の実家と対立し、これが内部分裂の始まりです。
つまり、そのカリフの座を巡って後継者争いで分裂してしまったのです。