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江戸時代の生活ー2-

2006年08月17日 21時36分49秒 | 江戸時代とは・・・・・

征夷大将軍の居城である江戸城の建物は、本丸、西の丸、二の丸、三の丸、北の丸などに分かれていました。
本丸は将軍の居住する所、西の丸は隠居した前将軍、あるいは次期将軍を約束された世子などの住むところ、その他は前将軍の未亡人や将軍の子女などの住居に利用されました。

  

本丸は、表(おもて)、中奥、奥の三つに分かれて、表は、将軍の公的な用事を執り行い、中奥は、言わば将軍の公邸といった所で、奥は、大奥(大奥は江戸城のみの呼称で、他の大名は、奥と呼ぶ)と言われ、将軍の私邸にあたり、ここは将軍以外は女性専用となっています。
江戸城以外の大名における居城もだいたい同じようになっていますが、所帯が小さくなるほどこの区分はあまり厳密ではなかったようです。

江戸城本丸の「表」には、それぞれ大名の詰める部屋が決まっています。
例えば「大廊下」という所には上の部屋と下の部屋があり、上の部屋には御三家下の部屋には水戸の嫡子と加賀の前田家が詰めます。

  
   現在の江戸城の天守台           松の廊下跡にある碑

「大広間」は、国持大名の詰め所、「帝鑑之間」は譜代大名が、「溜之間」には将軍の親戚の内でも上の部に入る大名と彦根の井伊家が詰めます。
その他には、菊之間、雁之間、柳之間などが大名、旗本の格式や職分によって詰める所が違います。

兎に角、封建制度が確立した江戸時代にあっては、生まれながらの身分や家格によって取り扱いが違うのは当然のことでしたが、江戸時代の中期から末期にかけては、この身分制度も大きく変革してゆきます。
つまり、下級武士であっても、能力や技量を重宝して、重職に就かせていきます。