昨日、とうとう中日にマジック40を点灯させてしまいました。
それも、無残な、無常な、絶望的な内容で負けてしまいました。
しかし、これで終わったわけではありませんが、先行きに不安材料ばかりです。
連覇の2文字が重く圧し掛かり、遠くなってしまいそうですが、最後まで頑張って欲しいものです。
今日の絵は名古屋・徳川園 F8号
日本人の品格とか、日本人のDNAについて欠しい知識を述べてきましたが、その日本人の生活、風土や文化が完成されたのが、江戸時代にあったのではと思っています。
そして、東南アジアが列強国に侵略されたにも係わらず、日本は、明治維新という革命をすんなりと行い、諸外国に犯されることがなかったのは、江戸時代が育てた日本人の文化や生活様式、考え方が案外と意義あるもののように思われ、その生活を覗いて見ようと思います。
今日は、その1回目です。
言わずと知れたことですが、江戸時代は徳川家が江戸に幕府を開き始まったのですが、この徳川家も天皇から征夷大将軍を勅命され、天皇に代わって全国を治める権力者となったわけです。
この征夷大将軍は、本来は東国地方の夷(えびす)を制圧する軍団の大将のことで、要は武家社会の頭領のことです。
江戸時代には、初代の家康から15代の慶喜までの260年余りを言いますが、この将軍を呼ぶときは、一般では「公方さま」といい、幕臣や大名は「上さま」と言いました。
ちなみに、江戸幕府と称する時の、幕府とは本来は将軍の住居を指す言葉です。
次回は、その将軍の住居について述べます。