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政治と金

2007年06月12日 20時44分05秒 | 江戸時代とは・・・・・

「政治と金」は、現在いや過去においてもこの二つは、切っても切れない関係にあるようです。
この醜い関係は、人間の物欲を益々エスカレートする魔物なのです。

江戸時代という一つの政権が長く続いたのは、政治の基本的な方向が正しかったからという考えがあります。
どんな政治が良い政治というのでしょうか?

  
    今日の絵は”会津若松、松平家の墓所” F8号

ある人にとっては都合の良い政治であっても、必ずしも別の人にとって都合が良いとは限りません。
つまり、良い政治の意味は人によって違っています。
だが、良い政治とは、大部分の人が大筋で認めるのは、公平さではないでしょうか?

この点、徳川幕府の政治は、極めて独創的な形で公平さを維持するような構造になっていました。
それは、権力と財力を分離するようにしたことでした。

放任しておれば、力のある者のもとへは富も集まるのが普通です。
かの北京の故宮博物館(紫禁城)フランスのベルサイユ宮殿などの主には強力な権力と莫大な富が集まっており、豪華絢爛な生活をしていたことが伺われます。
ロシア帝政も含めて、これらの国には、革命が起こっていますが、ここまで権力者が贅沢をすれば、革命の一つも起こさないとやりきれなかったのでしょう。

それに比べれば徳川政権ははるかに質素だったようです。
権力と財力の分離がシステムとして機能したのが、老中の決め方です。

当然のことながら老中は極めて高い権威があり、一国を支配する太守にも「その方」と目下のものに対する呼び方をしました。
その老中になれる人は、原則として10万石以下の譜代大名で、十万石以上の大大名でさえ、呼び捨てにされ平身低頭して命令を承ったとされています。

幕府は、譜代大名に大きな権力を与える一方で、公平の原則を維持するために身内には相応の犠牲を払わせていました。