明治4年当時は、大阪、堺が分離されていましたが、明治14年には、奈良、堺を合併したものでした。
明治20年に奈良県を分離し堺を含まれたものが、現在の大阪府の姿となりました。
さて、大阪人気質とは、どんなものなのでしょうか?
10年前には、大阪には、億ションがありませんでした。
と言うことは、大阪の経済人のほとんどは芦屋や西宮などの兵庫県に住んでいました。
大阪は、昔から庶民のエネルギーの街であるが、都市の指導的な人達のほとんどが府内、市内に住んでいなかったいうのは、この大阪の実情を表しているのではないでしょうか?
大阪の位置は、地理的に大阪城が中心として語られているようです。
かって、この位置は、仁徳天皇らの都のあとで、奈良時代にも皇居が営まれていました。
そのころは、高麗橋あたりが港だったと言われていますので、この地は、海に近い台地の上に宮殿があったものと推察されます。
石山本願寺の伽藍
しかし、平安時代には、遣唐使が廃止され、海外からの玄関口としての機能がなくなり、再び脚光を浴びだしたのは、この地に石山本願寺が営まれてからです。
そして、1583年に豊臣秀吉が大阪城を築いたことで近代の大阪の歴史が始まったのです。
明治になって大坂は名称を大阪と変え、昭和天皇の即位のご大典を祝って多くの市民の寄付で大阪城が再建されました。
ここに、この大阪の姿があるようです。
大阪を語るには、多くの大阪独特の風潮は、色んなところに現れています。
カラオケも大阪から始まりました。
「かに道楽」の動くカニの看板にしてもあんなに分かりやすい広告はありません。
この雑然としたパワーは少なくともアジアではユニバーサルな感覚です。
人情を大切にするのも大阪人気質です。
弱い人間が色んな人に助けられながら成功するのを作っていくのが大阪の人は好きなようです。
最下位になっても、お家騒動があっても、それでも、変わらずに応援している阪神タイガースは、大阪人気質そのもののようです。