久しぶりに、このシリーズを始めます。
日本には、最盛期に、25000もの城があったと言われていますが、現存する天守のある城は12城しかありません。
それでも、復元、復興、模擬天守と称して、地域興しの一端として再建されている天守もあります。
天守がなくとも、城郭として、公園として整備されている城跡も多数あります。
それらの城を、思いつくままに、お城の成り立ちや別名などの由来を、このシリーズで書いています。
再開、最初のお城は、今年4月に訪れた長浜城について書いてゆきます。
長浜城の別名は、”今浜城”または”出世城”と呼ばれています。
これは、羽柴秀吉が浅井長政攻めで功績ありということで、織田信長から浅井氏の旧領を拝領した際に、当時の地名 ”今浜”を、信長の一字をもらって、”長浜”と改名したことから、今の長浜城となりました。
今でも、その旧地名にちなんで”今浜城”とも云われています。
また、秀吉にちなんで”出世城”とも云われていたようです。
今も、秀吉の名残が多く残っており、この土地の人々にも、秀吉に親しみを感じている人が多いようです。
長浜城 天守跡 天守から琵琶湖を望む
現在の天守は、1983年に犬山城や伏見城をモデルにし、模擬復元されたもので、外観をお城とした市立長浜城歴史博物館として運営されています。
それでも、周りは、お城の雰囲気を十分感じられる公園となっています。
特に、琵琶湖の湖畔から、お城までの桜は見事な眺めでした。