※ ヌクレオシド二リン酸キナーゼ(NDK)
昨年、東京薬科大の研究グループが、古代生物が持っていたタンパク質の復元に成功
し、これにより地球の全生物共通の祖先生物が高い温度環境に生息していたことを推
定できたことが公表された。このことから、この研究手法により、将来、生命の起源の
解明に向けた有力な手掛かりが得られることになった。今夜はこの成果を俯瞰し、今
後の生物工学とその関連産業の展開を予測してみる。
生物が持つ遺伝子を解析して系統樹を作成することから、今から38億年前に地球
上に生きていた全生物の共通祖先の遺伝子を再生することに成功した。再生した
遺伝 子から作成したタンパク質は90℃以上でも安定であった。
出典:
1)全生物の共通祖先遺伝子の復元 Reconstruction of the gene possessed by the last com-
monancestor of al l extant organisms 、バイオサイエンスとインダストリー、2014 vol.72 No.1
2)全生物共通祖先生物の生育温度の実験による推定に成功~生命の起源の解明に期
待、2013.06.18、東京医科大学 プレスリリース
さて、人類に至る生命がどのように誕生し進化してきたのかは、ギリシャ時代以来続
く人類永遠の疑問と言われているが、近年、様々な生物の持つゲノム(遺伝子)情報
の解読とその蓄積から、分子系統解析という方法により、生命の進化の様子を解明す
ることが可能になってきた。さらに、古代生物が持っていたと思われる遺伝子を復元
し、その遺伝子から古代タンパク質を合成することも可能となった。復元した古代タ
ンパク質の性質を調べることは、古代生物の生育環境を知るための強力な手段ともな
る。このような分子系統解析と遺伝子工学技術を用いて、全生物の共通祖先生物が好
熱菌、あるいは、超好熱菌であったことを実験的に示す。また、祖先生物のタンパク
質が高い耐熱性を有していたとすると、この方法は超好熱性タンパク質を設計する有
効な手段ともなる。
図1
●全生物共通祖先コモノート
現在地球上に生存する生物は、我々人類を含む真核生物と、大腸菌などを含む真正細
菌、それにメタン菌などを含む古細菌の3つのドメインに分けられている(上図)。こ
れらすべての生物を進化的に遡ると、たった1つの細胞あるいは生物にたどりつくが、
この生物は全生物の共通祖先と呼ばれる。全生物の共通祖先生物には、プロゲノート、
LUCA(Lastuniversa1 Common Ancestor)、LUA(Last universal Ancestor)等、様々な呼び名
が用いられている。このうちプロゲノートという呼称は、はっきりとした遺伝機構が
確立される前の前生物的な段階を想定、いわば生命誕生前の状態を想定した名称であ
る。同様に、全余生物の共通祖先生物の存在そのものに懐疑的な研究者もいるが、地
球上のすべての生物は共通の遺伝装置、すなわち、4つの塩基からなるDNAを持ち、
タンパク質には共通の20種類のアミノ酸を使い、しかも、すべてL体のアミノ酸が使
われている。さらに、転写、翻訳による遺伝情報の発現機構も共通しており、一部の
例外を除いて基本的には同じ遺伝暗号を用いている。このことから、現存する生物は
1つの祖先細胞の子孫であるか、あるいは、少なくとも遺伝装置やタンパク質合成な
ど生命活動に必須の遺伝子については、同一のものを共有した1つの種から進化して
きたと考える方が妥当性があると考え、この研究では、この遺伝子プールを共有する
「種」を「コモノート」と名付け、全生物の共通祖先生物に対し「コモノート」の名称を採
用している。
●コモノートの生育温度に関する理論
コモノートはどのような特徴を持った生物であったのだろうか?コモノートは今から
38億年前頃に存在し、DNAをゲノムとし、すでに現代の生物が有する遺伝の仕組み
やタンパク質合成装置を持ち、少なくとも従属栄養で自律的に生育するための遺伝子
は一通り備えていたと考えている。しかし、生体膜を構成する極性脂質等、多くのこ
とが不明で、特に、コモノートの生息していた環境温度については多くの提案があり、
これまで活発な議論が行われてきたという。
生物種の系統関係を表すのに最も広く引用されてきた小サブユニットリボソーマルR
NAの配列に基づいた進化系統樹では、根元付近に超好熱菌が集まっている(上図)。
このことは、コモノートもまた超好熱菌であったことを想像させる几しかし、コモノ
ートはもう少し低い温度で生育していたが、古細菌共通祖先、真正細菌共通祖先に至
る過程で高温環境に適応した可能性も排除できない。そこで、根先生物が持っていた
小サブユニットリボソーマルRNAの塩基組成、あるいは、祖先生物が持っていたタ
ンパク質のアミノ酸組成を計算し、根先生物の生育温度を推定する研究が行われてき
た。しかし、塩基組成やアミノ酸組成を計算する方法、あるいは、計算に用いたデー
タセットの違いによって、全生物共通祖先は常(低)温菌であったとする説と好熱菌で
あったとする説の両方の結論が得られており、統一的な結論は出されなかった。
●祖先配列の復元によるコモノートの生育温度の推定
コモノートの生育温度を調べるための研究材料として、ヌクレオシドニリン酸キナー
ゼ(NDK)という酵素を選定した。 NDKは、真正細菌、古細菌、真核生物のほと
んどが持つタンパク質であり、コモノートも有していたと考えられる。さらに、ND
Kの変性温度と宿主生物の至適生育温度との間には正の相関関係が見られる(下図)。
したがって、祖先生物が持っていたNDKを復元し、その変性温度を調べることによ
って、祖先生物の生育温度を実験的に推定できる。
図2
まず、現存生物種が持つNDKのアミノ酸配列を比較することによって3種類の進化
系統樹を作成し(図3)、それぞれの進化系統樹の2つの枝の根本に存在する古細菌祖
先のNDK(Arc3~5)と真正細菌祖先のNDK(Bac3~5)のアミノ酸配列を推定した。遺伝子
配列から系統樹を作成する場合、その方法によって微妙に異なる系統樹となる場合が
多い。そこで、これらのアミノ酸配列をコードする遺伝子を遺伝子工学的手法により
合成し、大腸菌内で発現させ、祖先型NDKを精製した。変性温度を解析したところ、
これらの祖先型NDKはいずれも100℃以上まで変性しない高い耐熱性を持つタンパク
質であった。さらに、上図の検量線を用いて、真正細菌祖先生物と古細菌祖先生物の
生育温度を推定したところ、古細菌祖先生物は92~97℃、真正細菌祖先は84~94℃で
生育していたと推定。
次に、コモノートが持っていたNDKの耐熱性を解析する方法を検討した。よく目に
する系統樹(例えば、図1)では、系統樹の1番下には根(幹に見えるが普通、祖と称
する)が付いている。しかし、全生物の系統樹を作成すると系統樹に祖を付けること
は必ずしもできない。こういう場合には系統樹には祖がない、無根系統樹であるとい
う言い方がされるが、ここで用いた系統樹は無根系統樹である。一般的に系統樹が作
成されると系統樹上の枝の分岐点に対応する点の遺伝子の配列を推定することが可能
である。前述の真正細菌共通祖先NDKおよび古細菌共通祖先NDKの配列は、こう
して推定した配列である。しかし、無根系統樹上ではコモノートの位置は分岐点には
ならないためNDK配列を直接推定することはできない。しかし、コモノートは真正
細菌共通祖先と古細菌共通祖先をつなぐ線上にいることは推定できる。また、古細菌
祖先NDKと真正細菌祖先NDKのアミノ酸配列を比較したところ、全 139アミノ酸
残基部位のうち、115部位は共通のアミノ酸種であるため、この115部位に関しては、
コモノートのNDK配列も同じアミノ酸種を持っていたと予想でき、残りの24部位に
関しても、コモノートのNDKは古細菌祖先か真正細菌祖先のどちらかが持つアミノ
酸を持っていたと予想できる。そこで、あり得るコモノートのアミノ酸配列の中から
最も耐熱性を低下させる配列を探す。
復元した祖先型NDKの中で最も耐熱性の低かったBac4の24部位に、他の祖先型配列
で見られるアミノ酸を1つずつ導入した29変異体を作製し、変性温度を調べ(図4A)、
1アミノ酸置換によりBac4の変性温度を低下させたアミノ酸置換を同時にすべて導入
したBac4mut4-Nも作製。また、単独では耐熱性を向上させる、あるいは、耐熱性に影
響しないアミノ酸置換も、別のアミノ酸置換と同時に導入すると変性温度を低下させ
る可能性があるため、Bac4に導入した29アミノ酸置換のうち、立体構造上比較的近距
離にある複数のアミノ酸置換を同時にBac4mut4-Nに導入し、アミノ酸置換を組み合わ
せた場合の変性温度に与える影響も調べた(図4B)。そして、変性温度を低下させ
たアミノ酸置換の組み合わせを同時にBac4mut4-Nに導入したBac4mut7を作製。この
Bac4mut7はコモノートのNDKのあり得るアミノ酸配列の中で最も変性温度が低い配
列であると推定できる。そして、このBac4mut7の変性温度は94cCであり、図2の検量
線を用いるとコモノートは75℃以上で生育していた高度好熱菌、または超好熱菌であ
ったと推定。このように、祖先配列の復元と解析から、古細菌共通祖先、真正細菌共
通祖先、さらにコモノートのいずれもが好熱菌または超好熱菌であり、現存の常温生
物、好冷生物は、地球の表面温度の低下に伴い、低い温度に適応した生物へと進化し
たことを連想する結果をえる。
●超好熱酵素設計法の応用
さて、こうして作成された酵素の中には、祖先型配列を推定する材料とした超好熱菌
の酵素よりも10℃以上耐熱性の高い酵素がある(表1)。また、作成した祖先型酵素
はいずれも現存する超好熱菌の持つ酵素と同じかあるいはさらに高い酵素活性を保持
していた。したがって、この方法は超好熱性酵素を設計する方法を与えているとも言
える。すでに、こうして推定した祖先配列を既存の酵素に変異導入することによって、
既存の酵素の耐熱性を改善することにも成功しており、超好熱酵素設計の大変有効な
方法が開発できるかもしれないという。