秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

長府の壇具川は清く澄んで 住みよろし

2022-01-22 | 旅・中国&四国地方
1/22夜中1時過ぎ日向灘でM6.6 大分や宮城県で震度5強。
大きな被害出てませんように。

夜中の寝床で遭遇する地震は不安です。
阪神大震災は明け方5:46に起こされました。
大地震の後はおちおち寝てれてませんもの。

今書き綴ってる旅の記録、
1週間前の土曜夜に船で九州向けて旅立ったのでした。
あれが今日だったら行くの悩んだと思います。
さらにオミクロン爆増もあるし。


長府の壇具川で

青鷺いました。

鴨もいっぱい。


1/16(日)12時から長府でふぐづくし昼食後、14:40まで自由時間でした。

12:55 散策開始

昼食場所の長府観光会館横の
壇具川を遡り功山寺で折り返す予定。



川の両側は遊歩道として整備されて歩きやすい。
でも小雨降ってるので左手で傘さし右手にウォーキングステッキ。
雨は体力気力奪い、写真写すの面倒になる。
視野もせまくなり見落としも増えます。

そうした状況でも、この川の流れが清く澄んでるのに心惹かれました。




人馴れした鴨の群れ



鯉も見かけましたが画像無し。
夏には蛍だそうですよ。


この遊歩道から少し脇入ったとこに


御影の井戸
菅原道真公はこの地にも立ち寄られてました。

さらに上流へ行くと

13:16 功山寺
高杉晋作が挙兵した寺です。


もう膝限界、この山門で待ちました。
友だけ上の境内へ、


一瞥報告によれば本堂は閉じられてたそう。
馬上の高杉晋作像見たかどうか聞かなかった。

雨脚も強まり、すぐ前にある下関歴史博物館で休憩することに。
入館料210円と安い。
でも市立ならタダでもいいんちゃう。

館内で撮った写真たった一枚が



わずかな滞在時間でしたが雨上がりました。

ゆるい坂降ります。
13:48

途中のカフェでフルーツサンド買い船で食べました。
美味しかったけど画像無し。
疲れてたんですね。



壇具川の名称は神功皇后が三韓鎮治のとき 
この豊浦の地(長府)で祭壇を築き天神地祇を祭り
その祭壇に用いた道具を流した川ということから
その名が付いたと伝えられる 
昔は祭事が終わるとその都度祭具を川に流したという
又その祭壇を築いた場所(忌宮神社正面の惣社町一帯)を
「壇ノ上」といいその地名が伝えられている    
 平成五年三月 長府観光協会



この記事投稿で地図仔細点検
長府藩侍屋敷長屋横通るも入ってない。
敷地内で山頭火句碑も見れたのに残念。
「山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 
春 夏 秋 冬 あしたもよろし ゆふべもよろし」


なんか気品ある街で歴史を感じました。
水の綺麗なとこは住みたくなる。
またいつかじっくり散策したい長府だなと。


長府と防府、長門と長州、
この違いがよく分かってませんでした。
お昼のふぐ尽くしご飯を長府で食べた時点では、
下関の隣町で長府市だと思ってたぐらいだった。
食後の町歩きで、下関とはずいぶん趣き異なるなと気付く。
江戸時代の城下町が醸し出すなんか品があるんです。

調べてわかったこと
長府には、萩の毛利本家の分家を藩主とする「府中(長府)藩」が置かれた。
長府(長門府中)は下関(赤間関・馬関)とは独立した別個の市街を構成。
現在の長府は下関市の一部だが、歴史的にはお互いに別々の都市で独自の発展を遂げた。

ちなみに防府は、周防府中の略称


長府観光ですでに一万歩超えてた。
足痛いはず。

つづく







海響館しものせき水族館、裏から入ってた^ ^

2022-01-21 | 旅・中国&四国地方


遠くからだとオブジェが嘴長い鳥に見えました。
なんの鳥だろうと、近づいてやっと
「くじらさん ありがとう」
台座の文字レリーフ見てわかった。



ずーっと先に関門海峡大橋も見えます。



建物中に入ったのはすでに10:57



立派なクジラの骨がロビーいっぱいに飾られてました。


出発11:50までにバス駐車場戻らないといけない。
自由時間残り少ない。

周り見渡してもチケット売り場どこ?
入場料2090円払っても40分程では見切れないね。
休憩させてもらってトイレ借りて…


シロナガスクジラは実際の骨だと記されてます。


水族館の玄関口、今日調べててやっとわかりました。
うちらは海岸通の裏口から入ってたんです。

正面は反対側2階にあるのでした。


もうすでに疲れてたので、
唐戸市場を見ながら戻ることに

2014年下関来た時はココから門司まで船で渡りました。
もう7年以上過ぎてます、あっという間です。


11:31 唐戸市場入ると

仲卸競りは終了してて
鮮魚コーナーでは






皆さん買い食い楽しそうです。
どれもこれも美味しいそう〜
お腹空いてたけど、ふぐづくし昼食が待ってるので我慢。

なんでこんなに若者大勢いるんだろう。
聞こえる会話は日本語やし。
そう、日曜日だったのでした。
近隣から集まってたんでしょうか。

お昼を唐戸市場でお腹満たし、水族館ぶらぶら。
なかなかいいコース。
近くに住んでたらまた行きたいとこですね。






関の氏神 亀山八幡宮

2022-01-21 | 旅・中国&四国地方


私たちは傍から入ったので、真っ先に目に留まったのは

あめつちの神にぞいのる朝なぎの
海のごとくに波たたぬ世を

昭和天皇御製です。
伊勢の二見浦神社でもみましたよ。




本殿では祈祷中でした。
神職さんが手にされた幣の紙垂が白じゃなくて金色。
ゴージャス!
初めてみました。

なんかテンション上がって
節分の豆買いました。
実家ある産土さん余部神社も、今の氏神さん大枝神社も八幡宮ですしね。


「亀山」という名称は、当時島の形が亀に似ていたということから、
また、宇佐の八幡様がお祀りされている山が亀山だからとも。

平安時代の貞観元年(859)、宇佐神宮から石清水八幡宮に京の都の守護のため勧請された。
その途上島のふもとに停泊した夜、
「此の山清浄なり、我もっとも愛す。暫らく祭祀し奉り路を進むべし」というご神託があった。
勅使は国主に命じ仮殿を造営させてお祀りし、再び京に向かわれたと伝わる
ー享保年間「防長社寺由来」



関門海峡がよく見晴るかせます。
昔は赤間関、赤馬関、馬関と呼ばれてたようです。
前の道路は国道9号線、ちょっとびっくりです。
京都から下関までの山陰道なんですね。


次の国政選挙区が10増10減で、山口県も大わらわ。
元首相の安倍さんと、未来の首相を目指す現外務大臣林さんの熱き闘い。
昨秋の衆議院選挙で山口県副知事がどうたらとかで辞任に追い込まれてましたね。
どこにでもあることだろうに。
続いては広島でも調べろと息巻いてる陣営あるらしい。



急な階段参道気をつけて降りたら
ガイド案内付きグループが居ました。


小耳に挟んだ情報によれば、
昭和30年に前の土産物屋の人がキャッチボールとかしてて、
その球が鳥居石の扁額に当たった。
跳ね返らずに、運悪くかどうか、
亀山の山の字の左下隅にヒットし、65年以上そのまま経過。




前の国道9号信号渡って撮影。

さらに海側行くと


堂崎の渡し場跡、かつての船着場です。



フランシスコザビエルもこの地に上陸してたんですね。

赤間神宮から亀山八幡宮までの間に

後ろでこっそり聞き耳立ててたら睨まれた(*´꒳`*)

本陣伊藤邸跡。
下関を代表する旧家。
豪商だったので、江戸時代には下関の東の本陣を務めてたぐらい。
シーボルトや吉田松陰らとも親交あったそう。

1867年2月10日、坂本龍馬はお龍を連れて下関に入り、伊藤家の三畳板間の一室、自然堂(じねんどう)を借りた。
龍馬の生涯で、2ヵ月近くもお龍と共に一箇所に滞在した唯一の地でした。

龍馬が起こした亀山社中は日本で最初の商社。
名前の由来は拠点を構えた「亀山」の地名と仲間を意味する「社中」を組み合わせたものでした。
この亀山は長崎ですが、後に下関の伊藤家や京都にも事務所を設置し活動の場を広げていきます。

坂本龍馬は下関に行くとは言わず帰ると表現してたようです。
おりょうさんが待ってたのかな。
この下関の亀山八幡宮もお気に入りだったのかもしれません。




下関の観光は、まだ続きます…

今日は超寒いし、オミクロン感染爆発中だし、
忘れないうちに、もうひと記事アップするつもり。
お付き合いくださればうれしいです。



ふぐ老舗春帆楼と日清講和記念館

2022-01-21 | 旅・中国&四国地方


ふぐの碑は下関の有名な春帆楼で


下関へふぐ食べに行って来たと話したら、
春帆楼ですかといわれた。
お安いツアーですもん、ムリ(*^^*)

伊藤博文が春麗な海峡の船様子から春帆楼と名付け、
ふぐの旨さに感激して、秀吉以来のふぐ禁止を解禁に、
ふぐ料理公許第一号に指定したとのこと。

詳しくは


日清戦争が終わり講和条約結ぶのに
この春帆楼の二階を指定したのも伊藤博文だった。

その当時の部屋を再現し日清講和記念館として保存。





この記念館は春帆楼建物の右側に建ってました。

高台からは関門海峡よく見えます。
講和会議の終盤、増派された日本の軍艦が遼東半島目指して通過する。
その様を見た清国使節団はビビり、交渉は日本のペースで進んだそう。
下関を講和会議の地に選んだ作戦勝ちですね。









赤間神宮と耳なし芳一

2022-01-19 | 旅・中国&四国地方
日曜朝から小雨パラパラ、
下関に着いても止みそうもない。
9:54 唐戸市場の駐車場で降車
11:50まで約2時間のフリータイムです。

添乗員さんが赤間神宮まで案内してくれて

9:58
記念写真撮ってくれたけど、

上の方、ビニール傘写ってますよ。




平清盛の孫である安徳天皇を祀ります。

本殿左手に進むと、耳なし「芳一堂」ありました。





赤間神宮は明治維新まで阿弥陀寺と称し、
芳一はこの寺に仕える琵琶法師だったと書かれてます。

「夜毎に平家の亡霊来たり…」

私たち世代は幼少期に耳なし芳一聞いて
怖い思い出として記憶に残ります。
ここがあのお話の場だったとは知らなかった。

七盛の墓包み降る椎の露
         高浜虚子

壇ノ浦で敗れた平家一門の塚もありました。

長居は無用。


ただ今の発表では、
東京都は19日、新型コロナウイルスの新たな感染者7377人を確認したと発表した


当分お家でひっそりと旅の記録続けます。

ふぐ食べに、幸福招く「ふく」のまちへ

2022-01-19 | 旅・中国&四国地方

お昼にふぐ食べたお店の階段踊り場で見た記憶。
写真撮り損ねてネットで探したら
下関で毎年作成してる観光地市ポスター
記事日付は2017/1/28だった。


昨秋「ふぐづくし」「新造船」に惹かれて
11月下旬に申し込んだら最後の2人で滑り込み。
コロナ増え出してツアー中止になるかと心配しました

空き空きの展望ラウンジ


新造船で去年暮れ就航したばかり。
ちょうど乗船した1/15まで
レストラン夜のバイキングが1600円→1000円

おまけにエコバッグもらえた。
名門大洋フェリーオリジナルグッズ


19:50に大阪南港を出て、




翌朝8:30新門司港。
たまたまトンガで海底火山爆発による津波警報出てた。
しかし瀬戸内海は波静か、
圏外エリアも所々あり朝のニュースで驚きました。

船旅は飛行機と違って、着岸したらすぐ下船できます。
検査もないのがうれしい。
建物玄関前に横付けされた観光バスに乗車。
キャンセルでて27名までに減ってました。

9:15-40 めかりパーキング




関門海峡大橋渡って下関へ。
小雨の中いっぱい歩いてあちこち観光して
お昼には長府観光会館ふくの関へ。
そこの階段で最初のポスター見たのだった。

実際は

想像とだいぶちゃうやんか。

でも、てっさのトラフグとマフク食べ比べは初めて。
トラフグは歯応え強かった。
マフクてっさと唐揚げとお鮨は食べ放題。
私はてっさお代わりしたけど、連れは私以上に少食なもんで。

臨席のご夫婦はパクパク、
ここは美味しくて元取れたってニコニコ。
鳥取のカニツアーは最悪やったと話されてた。

しかし牛肉陶板焼はいらんな〜
この代わりにチリ鍋のふぐ2切を増やして欲しかった。
大阪でふぐといえば、やっぱりてっちり。
鍋と雑炊、そしててっさと湯引き。
下関=ふぐの思いが膨らみ過ぎてたわ。

お土産に

ふぐじゃなくて夏蜜柑加工品買った。

つづく

和牛のルーツ千屋牛と温泉

2021-11-18 | 旅・中国&四国地方


2日目昼食はすき焼きの他にコロッケ。
松茸釜飯も宿で食べたのより美味しかった。
初めて食した千屋牛、肉肉しいけど臭みはない。
霜降り高級牛肉のように胸やけもなかったです。
年間生産頭数800頭に満たず、
岡山県外で食べられることは少ない希少牛肉だそう。

ミステリーツアーから帰って1週間経ちました。
どんどん忘れて行くので、これが最後の記録です。

満奇洞を10:25に出たら雨降り出して、

小雨なとこも霧が立ち、山腹の枯れ気味紅葉も風情ありました。

11:30に到着した新見千屋温泉は



岡山県地図の左上に★記しました。
鳥取県との境界ギリギリです。
大山や蒜山は何度も行ってますが、この辺は初めて。

新見千屋温泉のいぶきの里には、たたらの森というオートキャンプ場もあります。

製鉄に関わる地で、そこで労役されてた牛を品種改良し千屋牛という特産品になったようです。

『新』は『丹』という赤土などを意味し、『見』という文字は場所を指す。
新見とは、赤土がある場所という意味だそうです。
赤土は鉄などを含んでおり、実際に新見市は明治時代の初期までは製鉄が盛んに行われていた。 
千屋(ちや)地区は、鉄山の仕事に関わる家がたくさん立ち並び、それを1,000 もの家々が並んでいると称し千屋になったそう。


中国道の北房IC左側の★が満奇洞です。
3億年前の珊瑚が育つ南の海が隆起してできたカルスト大地。
だから石灰岩地特有の鍾乳洞いっぱいあるんですね。

新見千屋温泉はアルカリ性単純泉でツルツル、サラサラ美人の湯。
近かったら月に一度は行きたい温泉でした。

ミステリーツアーで全く知らなかった地に行けて良かったです。







倉敷美観地区、たぶん5回目

2021-11-17 | 旅・中国&四国地方
ミステリーツアー朝8:40集合

トレッキング履いてステッキ持って、
膝痛抱えてどこまで踏ん張れるか不安もいっぱいで。

何処行くんだろな〜

梅田9時に出発してバスは中国道を西へ。
やっと12時過ぎに昼食場に到着。
ツアーの食事全部付いてたのも選んだ理由でした。


食べ始めてから天ぷら来たような気がする。
早くも忘却の彼方。
想像以上に美味しかったです。
穴子棒鮨が1000円程で売ってて帰る日なら買ってるね、
なんて同じツアー参加のおばさんと話したぐらい。

宣伝しといたげよっと

食事終えて13時出発。
倉敷のバス駐車場着いた時はガッカリでした。
過去に何度も来たことあったから。

観光バスが既に20台以上停まってました。
人多すぎるやろなぁ…
お土産物屋さんが旗持ってその店まで案内してくれるという。
店着いてから解散だって。
嫌やなぁ〜
しょうがないから付いていく。

大原美術館裏を通り抜けて


橋を渡った先の立派なお屋敷は大原家旧別邸有隣荘。
地元では「緑の館」と呼ばれるそう。
独特の製法で焼かれた瓦は緑色に光ってました。

知らんかったー
過去何観てたんだろうね。



川舟流し500円のチケットは観光案内所で先に購入します。
定員6名で滞在時間内は満員でした。


観光案内所二階は休憩所になってて景色がいい。

まだ時間あるけどあまり歩きたくなかった。



朝家から地下鉄守口駅まで歩き、さらに東梅田駅から茶屋町駐車場までも。
無理して旅先で迷惑かけれませんから。

ぼちぼち戻ろうと川対岸を引き返す。





この緑の館隣に本宅


トレッキング脱ぐのも面倒だったし、室内を杖つくのも憚られた。

大原美術館も巡回閲覧しなかったら高い入場料元取られへん。

結局、新渓園の庭前で座って時間つぶした。
13:20〜14:40までの滞在でした。


足が不自由だと行きたいとこ行けないね。

過去ログ検索して、
倉敷でヒットした画像はたった1枚

>今日は文化の日ですから、文化教養コースですが、
でも入り口のロダン「洗礼者ヨハネ」をみて、
やっぱり金的攻撃は効果的だと、拳法談義に花が咲きました。


2016年4月にも大原美術館入りましたが、町並みの写真すら残してなかった。
あの時は大枝神社地車隊の親睦旅行。
2002年は保護司会研修旅行で、ともに昼食時間としての滞在だった。
お土産見ててもあっという間に過ぎていく。
たいしてちゃんと観光もしてないのに、行った気になってた。

自分で行き先決める旅行なら倉敷選んでなかったと思います。
ミステリーツアーで連れて行かれて、
やっぱり歴史とか町の成り立ちとか、適当にぶらぶら歩きでは勿体無いなと。

やっぱり先達はあらまほしきかな。



日本人の名前で吉備津神社

2021-11-16 | 旅・中国&四国地方


11/11夜NHKの「日本人のおなまえ」は吉備さん。
たまたま付けたTVで登場してシンクロにビックリ‼️



15:25撮影

なんと「◯◯伝説ゆかりの文化遺産が残る神社」は吉備津神社だった。

桃太郎伝説なら◯3つやし、
鬼側の温羅伝説なら一般受けしないし、
なんて事前に妄想膨らませてました。

では画像貼り付けますね。




吉備津彦が矢を置いた岩だそう。
2回目となると知識も増え新たに目に留まるものも。
1回目は2010年4月で記録は






比翼入母屋造
お社二つ、神さま二柱やなって。
以前このアングルで撮影した時はオーブが写って興奮してた。


撮影場所後ろに銀杏大木

風月燈籠が下げられてます。
源頼政奉献の宝物模写オブジェだと記されてます。





長い廻廊の途中から御竈殿経由して境外へ。

バス駐車場までに宇賀神社

この神池にあの立派な松が枝を大きく広げてました。


聴こえないことにしている苦労人

最後の俳号読めず検索してもヒットせず…

30分ほどの参拝時間経て宿泊先
吉備高原リゾートホテルへ。

◯◯高原リゾートホテルでずいぶん思い巡らしたけど思いつかなかった。




松茸づくし会席で松茸好きちゃうのわかりました。
ほんの少し香り付け程度がいいわ。

部屋に戻りTV付けて吉備津神社が映ったのでした。







吉備真備もかなり調べて記録残してます。
今回の放映はかなり突っ込んだ取材してましたね。
放映後、過去記事の閲覧増えてました。






与謝野晶子が「奇に満ちた洞」と詠んだ天然造形

2021-11-14 | 旅・中国&四国地方
鍾乳洞中に入ろか入るまいか随分思案しました。
洞出入り口までの急坂に比べたら中は歩き易いと聞いて、
もう来ることまず無いだろなと意を決しました。

全長450m添乗員さんのすぐ後を、ほぼ足元見ながら。
それでも歩きながら17枚も写真撮ってた(^^)

どれから貼り付けるか悩んで選んだ最初は

千枚田と名づけられた珍しいリムストーン。

後で知ったことに、
八つ墓村ではここに死体浮かんでたシーン撮影されたそう。
そして何よりも、与謝野晶子歌で槇の穴を満奇洞と名付いたんですから。

水が長い時間かけて地球に刻んだ造形画廊、姿形からいろいろ名が付いてます。


象の足



鬼の居間


釣鐘



ナイアガラの滝


華厳の滝



白糸の滝

確かに微妙な違いをうまく捉えたネーミングではありますが。

足下見ながら低い天井で屈みながら、それでもヘルメットがぶつかる音
コンコンの合間に「痛っ!」

団体だからいいけど1人ならキミ悪いです。
もともと閉暗所苦手でなおさら。

五百羅漢


奥の院




恋人の聖地


恋人の泉で告白されたい人いるのかな?




あちこちでライトアップされてるLED光の色が
うーん微妙、
好き好きでしょうが…


江戸時代末期、猟師が狸を追っているとき発見したといわれ、
古くから槇の穴として知られてたそうです。

昭和4年に与謝野鉄幹と晶子夫妻が訪れ歌を残してます。

まきの洞 夢にわが見る世の如く 玉より成れる殿づくりかな   
 ー鉄幹ー

満奇の洞 千畳敷の蝋(ろう)の火の あかりに見たる顔を忘れじ  
 ー晶子ー


やっぱり蝋燭の火だからこそ幽玄の神秘性増したんじゃないのかな。

珍しい鍾乳洞、
ミステリーツアーだからこそ行けました。





現代なら車で高速降りてからも20分はかかるとこ。
JR伯備線井倉駅からならバスで50分はかかるそう。

伯備線はいつ開通してたんだろうかと調べたら、
1919(大正8)年伯備大山と溝口駅開通。
全通は1928(昭和3)年。
その翌年与謝野夫妻が乗車したとして、駅からは?



初めて知った満奇洞

2021-11-13 | 旅・中国&四国地方

 

今秋の10月初旬は真夏日もあったりで紅葉はイマイチ。
紅葉する前に枯れた葉っぱが多いようです。

昨日行った中国山地ドライブでもそう思いました。
岡山県新見市、今まで地名すら知らなかったとこ行ってきました。
中国道北房ICから車で20分、山中深くに満奇洞がありました。
さすがに高度あり紅葉美しかったです。

昨日書き始めたミステリーツアー。
参加した11-12日は23名募集が15名で超ゆったりでした。
私より若そうに見えたのは親子参加の娘さんぐらいかな。
ご夫婦3組、友人2人組が男女各1、1人参加は私だけ。
ほぼ70代で後期高齢者も多数。

多分ネットでもブログなどご覧になられなさそうです。

しかしあと7回催行確定出てるので、ちょっとバラすのまずいかなと。
ぼちぼち散らして書いていこうと思います。
ということで昨日の続きは後日。

旅の2日目何処か不明ですが鍾乳洞の記載ありました。
トレッキング履いて行ったぐらい。
9:38

大型バス駐車場から山腹の印したとこまで登るのは想定外でした。


場所は新見市豊永赤馬2276-2
赤馬という地名あるんですね〜


距離はたいしたことないけど急坂でした。

9:48

やっと入口が見えてきました。

八つ墓村の映画ロケ地ですって。
過去の4作品どれも観てないのでわからんけど。
オカルト系サスペンスは一切観ないことにしてます。



中に入るにはヘルメット着用で



つづく




国府巡って、徳島ラーメン

2020-11-25 | 旅・中国&四国地方



先週11/17お昼に徳島駅近くで食べました。
入口でサラリーマンが並んでたので入りました。
初めての徳島ラーメンだったので、一番最初にあるシンプルなの注文。
甘みある濃いめのスープが疲れた体に染みわたる。
トッピングは牛肉のようで珍しいなと思った。

調べてみたら

豚骨スープに濃口醤油やたまり醤油で味付けし中細麺の「茶系(黒系)」

あの17日の歩数は


お昼に座れた時はすでに12,000歩は歩いてた。

阿波国府街角博物館パンフより


ペアで自転車乗ってるイラスト辺りに八倉比売神社がありました。
ご覧の通り、徳島ではお寺メインなようで神社はスルー。

史跡公園も整備され、国府が古代の中心地とわかってて、
その時代の人々の暮らしの根源にあったであろう崇敬場所。
もっと注目されたらいいのにね。




バスの時間が迫ってて入館しなかった。



見ず知らずの地、ホントによく歩きました。

バス停前の和菓子屋さんで

徳島ういろうをお土産に買いました。

これにて「お得な徳島旅」終了。
長きにわたりお読みいただきありがとうございました。





天石門別八倉比売神社★阿波国一宮の一つ

2020-11-23 | 旅・中国&四国地方


杉尾山自体を神体として鎮座。
大日霊女命オオヒルメノミコト(天照大神の別名)が御祭神。
ご神紋は抱き柏。

八倉比売神社は、古代に国分寺が建立された国府エリアにあります。
徳島市内ではあっても行きにくいとこにありました。

今は、JR徳島線府中駅から徒歩40分、バス停八倉比売口からでも徒歩30分だって。


国分寺に約20分滞在し、いざ行かん!
周りはのどかな田園風景。

9:45

おそらく左の高い山が気延山(標高212.2m)で、最初はその山頂に、
のちに気延山南麓尾根の杉尾山(110m)に遷座された年代は、古文書より4世紀初めの古墳発生期と推察されるそう。
1185年に正一位の最高位神階が授けられ、江戸時代には蜂須賀の殿様が崇敬したようです。



杉尾山が何処で、どの辺に社殿あるのか全く予想つかない。
だいたいあっちと目指して歩き始める。

ところが、ちょっと道間違えたようなのがわかった。
引き返すのももったいなくて、農道でショートカットすることに。
もう蛇も蝮も出ないこと祈って。

これであってるんだろうか、不安は尽きない。



突然現れた黄色い蝶々。
八倉ひめが、これで合ってるよ、と励ましてくれたような気がした。

家に帰ってから3D地図確認したら、赤い線歩いたような

予定より早く左折してしまってた。


第一鳥居に最初に着いたのが9:49。
国分寺出てから5分ちょっとなのに、実際歩いてる時は不安で長く感じた。

予習では、この鳥居の手前10mほどの地に伊魔離神社があり、その前を通過するはずだった。
この機会逃したら、もう2度と来ることないかもしれんとご挨拶に伺う。





伊魔離神社は、葬儀で「先達」をつとめた神を祀る。

当八倉比賣大神御本記の古文書は、天照大神の葬儀執行の詳細な記録で、道案内の先導伊魔離神、葬儀委員長大地主神、木股神、松熊二神、神衣を縫った広浜神が記され、八百萬神のカグラは、「嘘楽」と表記、葬儀であることを示している。



9:52 仕切り直し、あらためて出発。
ここから参道ハンパないらしいから心引き締めて。

鳥居くぐってすぐのところ、右手に境内社あったようなかすかな記憶。

調べたら
摂社・箭執神社(やとりじんじゃ) 
祭神は櫛岩窓命と豊岩窓命で、天石門別神とも云う。


会釈しただけで通り過ぎた。

9:55

分かれ道の先、右奥に阿波史跡公園が見える。
ちょっと距離ありそう。



八倉比売神社まで465m
宮谷古墳もあるんだ。
誰もいない古墳ってちょっと気味悪いかも…

ここからは急坂続き息上がり、写真どころじゃない。

9:57

急階段の上に社見えるも社標がなく、しんどかったから会釈しただけ。
調べたら
松熊神社: 祭神は手力男命(たぢからお)と天宇受女命(あめのうずめ)


10:00


あと100mの看板に折れそうな心鼓舞される。
あと一踏ん張り。
しかし、坂の勾配は30度を超えてる。
こんなしんどい坂道あまりないと思う。
暗峠くらいかな。

ここで行き倒れたら、誰も通らず、気づいてもらえた時には息絶えてるとか。
いやいやそんなことは絶対ない。
木々が覆い被さらず空も見えてるので明るさが救い。

八倉比売神はきっと温かくやさしいと思う。
だって空気が清らかに澄んでてて淀んでない。
いい気が充満してるもの。
 

やっと第3の木の鳥居が見えた。

あとは石段参道200段ほど上がるだけ、って言ってもキツイ。
息も絶え絶え、汗かきまくり体熱ってた。

ピースして自撮り。
ここまでは生きてたという証、残しとこ。



つづく



四国遍路15番札所 国分寺

2020-11-21 | 旅・中国&四国地方


うすさま明王の護符です。
2003年5月に四国遍路巡礼で、先達さんが教えてくださり賜った。
トイレの壁に17年間貼りっぱなしでした。
それを剥がしお返しして新たに賜わりました。




徳島市東部の地図見てて、阿波国分寺が目に留まりました。
こんなとこにあったんだ(*_*)
以前は四国お遍路バスツアーに参加してたから、全く地図見てなかった。

こんなチャンスが巡ってくるなんて、
真っ先に行程に組み込んだ次第です。

国分寺前バス停で降りたのが9:15

この路線なら、徳島駅に戻れるのは
9:47 の次が、13:22 
どちらもアウトを再確認。





9:20 興禅寺前通過

標識通り進めばちゃんとたどり着けた。

コスモスが未だ盛りと群生してた。

9:22国分寺到着


本堂が工事中なのが見えますでしょう。
仮本堂と大師堂二カ所で、ろうそく1本、線香3本あげて、お札を納めます。
お賽銭入れて般若心経唱える。
めっちゃ忙しいので写真ないです。

私の他に同世代のおっちゃん一人、夫婦一組がお参りされてました。

簡易白衣朱印と、うすさま明王のお札賜わる。
烏枢沙摩明王祀るお堂が見当たらんと尋ねました。
なんと仮本堂は烏枢沙摩明王と一緒におられたのでした。


烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)より引用させてもらいます。
烏枢沙摩明王は古代インド神話において元の名を「ウッチュシュマ」、或いは「アグニ」と呼ばれた炎の神であり、この世の一切の汚れを焼き尽くす功徳を持ちます。
仏教に包括された後も「烈火で不浄を清浄と化す」神力を持つことから、心の浄化はもとより日々の生活のあらゆる現実的な不浄を清める功徳があるとします。
幅広い解釈によってあらゆる層の人々に信仰されてきた火の仏です。意訳から不浄潔金剛や火頭金剛とも呼ばれました。
烏枢沙摩明王は彫像や絵巻などに残る姿が一面六臂であったり三面八臂であるなど、主に右足を大きく上げて片足で立った姿であることが多いです。

特に有名な功徳は便所の清めです。
便所は古くから「怨霊や悪魔の出入口」と考える思想があったことから、現実的に不潔な場所であり怨霊の侵入箇所でもあった便所を、烏枢沙摩明王の炎の功徳によって清浄な場所に変えるという信仰が広まり今に伝わっています。
また、下の病気や婦人科の病気からも守護してくださいます。日本では出産にあたって血の穢れを取り除く守護神として祀られていたそうです。なかなか子宝に恵まれない人を救うともされます。更には相思相愛にまでご利益があるという説もあります。
この明王は胎内にいる女児を男児に変化させる超能力を持っていると言われ、男児を求めた戦国時代の武将に広く信仰されてきました。これが「烏枢沙摩明王変化男児法」という祈願法として今に伝わっています。






路線バスで巡る徳島二日目

2020-11-20 | 旅・中国&四国地方

旅の2日目朝8:25 徳島駅前のポスト上のオブジェ。
さすがに徳島は、阿波踊りと四国遍路のまちですね。


バス背後に写る徳島駅のクレメントホテルに宿泊してました。


お連れ3人は9時発の列車で大歩危小歩危とかずら橋へ。
徳島駅に戻るのが夕方6時過ぎるので連泊となる。
そのため私だけ別行動で14時発の高速バスで帰ります。

帰りのバスまでどこ行こうかずいぶん地図と睨めっこし、路線バス旅しようと思いつく。
しかし地元の人はマイカーで移動するし、
今どきの路線バスは便数減ってるんですよね〜

きっかけは、9月初めの台風10号で

あの時に佐那河内村を知った。
近隣の神山には大粟神社、あのあたりへ行ってみようかと思いつく。
しかし車でないと無理だしお昼下がりまでに戻って来れない。
ここら辺はいずれまた、レンタカーとかで行くことにしよう。

阿波国一の宮は、初日参拝した大麻比古神社(鳴門市)のほかに
・上一宮大粟神社(名西郡神山町)
・一宮神社(徳島市一宮町)
・八倉比売神社(徳島市国府町) 

ネットでマップ見てるとGoogleよりも、
マピオンの方がバス停とかが表示されて見やすいのに気づいた。





路線図や時刻表見て、練りに練ったプランは
朝8:45発の「天の原西線」に乗り、国分寺前に 9:10着。
そこから歩いて歩いてのトレッキング開始。
帰りはJR徳島線に並行するR192の「鴨島線」を利用、
鳥坂(とっさか)北バス停12:19に乗れば、徳島駅12:44に戻れる。

ところが、朝イチに案内所で確かめたら
11:19の次 12:19がなくなってる。
よかった~
知らずにバス待ってたらエライ目に遭うとこだった。

つづく