晩御飯食べて一段落したので続き書こうとしたら、あずきさんがコメント書いてくださってました。話が前後してしまってややこしくなるから、新たに書くことにします。
今日は乱捕り大会ではなく演武大会でした。
まぁいわば映画で見られる格闘シーン、立ち回りみたいに、1分半から2分の間で、習得した技を繋げたものを評価してもらいます。
大阪府民大会で二人の年齢合わせて80歳以上シニアの部にノミネートする予定。
相方は白髪ですが、先生ではなくて、ともに稽古する同士です。
年齢を足すとなんと100歳以上。
足して80と100ではえらい違いなんですよ。
80歳なら二人が40歳でOKなんだもん。
やはり50歳を超えるとがくんと体力も落ちてきますから、こんな部門があればいい線いくのにね。
お互い体の切れが悪いだけでなく、膝に故障を抱えてます。
相方は頚椎も痛めてますので、整形外科でリハビリ受けながらの稽古です。
さらに悲しいことに、お互い頭もぼけだしてるから技の順番がなかなか覚えられない。
そこまでしてようやるわ、と思われる方がほとんどでしょうね。
前置きが長くなりましたが、「拳禅一如」に見事繋げてみせますからね。
読んで字のごとく、拳と禅は一つの如し、いわゆる心身一如というように、表裏一体切り離せないものだということです。
拳は体を使った動禅、禅は心の修業で静禅ともいいます。
達磨さんのように足が腐るまで座禅を組んで悟りを開くのに対し、体を動かすことで修行を積む。
これらはどちらも切り離して考えるのではなく、バランスよく行うことが正しい修行のあり方であるという、少林寺拳法の修行のあり方を示した言葉です。
「病は気から」ということはよく言われることです。
すべての病気が強い気持ちだけで治るものではないでしょうが、精神状態が大きく影響を与えるのも事実です。
相方も私も50歳前後は、もうでけへん、と体の不調を理由に、少林寺拳法を卒業しようと思っていました。
相方は2年前の春には首にギブスを巻いて暗い日々を送っていたぐらいです。
それでも縁あってまた修行再開、今度はぼちぼちとシニアにしか出せない味を身につけようと頑張っています。
そう思うとまたできるもんなんですね。
ほんとに心身一如を実感します。