世界遺産ドゥッガ、ローマ・ビザンチン複合遺跡です。
ローマはカルタゴを滅ぼしてから100年ほど経過して、カエサルがカルタゴに植民市を築くことを決定。
ローマ帝国のアフリカ属州都市として、カルタゴは4世紀頃まで再び栄えました。
現在チュニジア各地で見られる遺跡もほとんどがその4世紀頃までのローマ帝国の建物です。
産経新聞の記事、後半です。
③ローマ文化(2/12の産経新聞記事より)
「アントニヌスの公共浴場、ローマ帝国で3番目に大きいこの公共浴場は今、カルタゴの海岸に巨大な遺構を横たえる。
かつて、数多くの浴室が大理石、モザイクなどで華麗に彩られ、地中海を眺めながら人々は社交を楽しんだはずだ」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/97/b6f42efff576e0aa0fb8fcf8ed52937a.jpg)
この浴場跡左手に大統領官邸があり、そちらにカメラを向け撮影は禁止されています。
「開発はすさまじい。
南郊の水源地ザグーアンとカルタゴを結んで、水道橋が造られた。
水は高低差を使って約130キロの距離を運ばれ、公共浴場などにも水を届けた」
「チュニジア中部、エル・ジェムにある円形闘技場。
ローマ帝国で第3の大きさを誇り、楕円形の闘技場の長径が140mほど。
3万5,000人の観客を収容した」
アリーナ地下を歩くと、映画グラディエーターの数々のシーンが蘇ってきました。
ある人の旅行記にはこう書かれてました。
このコロセウムは2世紀に建設が始められたが、政治的、経済的な要因によって全体が完成することはなかった。
ガイドさんの説明、聞き流してしまった…
④モザイク(2/15の新聞記事より)
「北アフリカ各地に残るローマ遺跡。
チュニジアのドゥッガは、中でも保存の良さで屈指だ。
首都チュニスから南西へ約100キロ。見晴らしの良い丘の上に、3世紀末に最盛期を迎えたローマ都市が広がっている」
よいお天気に恵まれましたが風が冷たかった。
丘からの眺望はとても気持ちよかったです。
本家のローマより立派な都市遺跡がチュニジアで見られることもおもしろい。
「神殿、劇場、公共広場などの巨大建築を中心にしたローマの都市文化は、アフリカの内陸部にも伝播した。
そして現地の風土と溶け合い大きく発展したのが、建築を飾る”石の絵画”モザイクだった。
ドゥッガではタイムマシーンに乗ったみたいに、モザイクをほぼ往時の姿で見られた」
「アフリカでモザイクが人気だった理由はいくつかある。
素材のカラフルな石があったこと。
そして、穀物、オリーブなど農産物が豊かで経済が潤い、高級品であるモザイクをたくさん作れる力があった」