今日は大阪質屋組合のウォーキングで、四天王寺から新世界界隈を歩いてきました。
ボランティアガイドさんの案内付きだったので、初めて知った場所がありました。
どこから記事書こうかと画像見てたら、
またまた光の帯が目に留まりました。
四天王寺中央伽藍には西重門から入りますが、ずーっと後ろに屋根の上の水煙のような飾りが見えます。
それは太子殿に繋がる夢殿の屋根でした。
あちこち探したけど、そのアングルの画像は見つけられなかった。
唯一、
JR西日本のサイトで、猫の門ごしに写っていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/aa/ae648dbfb71ee71e3800013c9a32f629.jpg)
「聖徳太子を祀る四天王寺・聖霊院。正面に見えるのは太子奥殿で、法隆寺の夢殿と同じ八角形の屋根を持つ。四天王寺の中で最も神聖な場所。」
中央伽藍の東側にある聖霊院
西南角の虎の門には虎の彫りと指摘されて撮影したのが最初の画像です。
太子殿に猫の彫りあります。
聖徳太子二歳の木像が奥に祀られてるのが見えます。
この太子殿右手、東側に行くと、塀で囲われた部分、毎月22日だけ中に自由に入れるそうです。
樹々の奥に赤い
鳥居が見えます。
物部守屋の祠(画像ネットより拝借)
守屋が祀られるに至った経緯→
こちらとか、わかりやすい
聖霊院を出て、こちらが猫の門です、と聞いてまた撮影。
昔は左甚五郎作の猫で夜な夜な抜け出して難波界隈ウロウロするので網を被せてあったらしい。
今の猫は消失した後に彫られたもの。
よくよく見たらまたもやうっすら光の帯写ってました。
この年になって初めて知った一角だったので、光とともに記憶に残るでしょう。
★11/13 記事書いてるうちに不思議に思えたので地図画像追加します。
猫の門について
四天王寺は大坂の陣で焼失し徳川幕府によって再建された。
再建された「猫之門」の猫は名匠・左甚五郎の作であったと伝わわるも第二次大戦の空襲でまたも焼失。
日光東照宮の「眠り猫」と一対となって、大晦日と元旦に鳴きあったといわれている。
また鼠の番をせずミナミの花街へ夜遊びに出るとの噂がたち、金網をかけられたために空襲の際に逃げられなかったとんだとか。
現在の猫の門は戦後1979年に再建されたもの。
南大門が正門ですが、ほとんどの方は石の鳥居ある西門から入ります。
今回初めて南大門のとこ行ったぐらいです。