天皇の御袍
天皇が着用する袍(束帯の上着)の色や文様は、他の官位の袍と異なって、律令できちんとした定めはありませんでした。しかし皇太子の色「黄丹」より上位に「白」と記載されているところから、白が天皇の袍の色だったと想像されています。
平安時代初期の弘仁11(820)年、今に伝わる
黄櫨染(こうろぜん)という黄土色のような色が天皇の色と定められました。ただし天然素材で染めているため、各時代によって黄色が強かったり茶色に近かったり、かなり幅があるようです。
文様も特に定めが無かったのですが、平安中期頃から帝王を表す鳳凰や竹の文様が描かれはじめましたが、この頃は袍全体に唐草模様のように広がる地紋であったようです。鎌倉時代頃から桐や麒麟も加わり、ひとつの四角い文様「筥形文(はこがたもん)」となって、今日のような文様となりました。
青色(うぐいす色のような色)も黄櫨染と並んで天皇の色とされましたが、どちらかと言えば公式が黄櫨染、日常が青色であったようです。ところが室町時代末期に黄櫨染の製法が途絶え、一時天皇の御袍色は青色だけになりましたが、江戸時代に黄櫨染が復興し、明治以降は青色は御着用ではありませ ん。青色は天皇の秘書官である蔵人(くろうど)のベテランに御下賜になることがあり、また平安時代は親王や公卿も着用していたようです。この場合、天皇の「青色」と違う「麹塵色(きくじんいろ)」と称し、文様も「尾長鳥牡丹唐草」(大柄地紋のページで紹介)を用いたようです。
この建物は、京都の広隆寺にある太子堂です。
お堂は上から見ると下が正面の凸形になっていて、後方の飛び出した部分に宮殿が設えられており、聖徳太子像が安置されているそうです。
御本尊の太子像は、33歳のほぼ等身大とされる立像で毎年11/22「
聖徳太子御火焚祭」の日に開扉され拝むことができる。
11/22に聖徳太子の日だと、りひとさんがコメント下さって、確かに四天王寺の番匠堂で忌日法要執り行われるけどと、検索してたら見つけました。
コメント返しでは長くなるので、一つの記事にし記録残します。
広隆寺の太子像は黄櫨染御袍を身に纏われてる
何箇所かでヒットしますが、
こちらのブログでは
「歴代天皇が即位礼などで着した黄櫨染(こうろぜん)の袍(ほう=上衣)を賜るのだといいます。ということは、いま着ておられるのは今上天皇のものだということになります」
ということは次の改元、平成の次が話題になってますが、こちらの太子像も着替えられるということですね。
来週の12/1の会議でいつか決まるのでしょうが、もし4月から始まった年度がわずか1ヶ月先の5/1で改元となったら、超めんどう。
改元はどうでも良いという認識かも。
確かに平成になってから今平成の何年かよく分からなくて、西暦一本にすればいいのにと思ってる国民も多いことでしょう。
高齢でしんどいからと退位されるはずが上天皇上皇后で予算も人ももっといる、なんてわけわからん状況で、皇室への関心や畏れ敬う気持ちが急激に冷めましたから。
ご参考までに
5月1日改元案の怪
ところで、広隆寺の太子像は、嵯峨天皇時代に黄櫨染御袍を贈られることが決まったようでそれ以来ずっと?
この不思議は何故そう決まったのかとか、いわれとかは、わかりませんでした。
秦氏との関係大ありなよう思えますね。
ちなみにこのブログのカテゴリー「古代史のミステリー」でこの記事は157番目です。
2008年10/16 に秦くんについて書きました。
私の古代史のミステリー原点でもあります。
もっとちゃんと、探求深めたい方は、
日本に秘められた謎を解く とかで