秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

平らに成って最後に35億!

2017-12-23 | 世情雑感




今日は天皇誕生日、朝のTV画面です。
平らに成るって、
なんとなく想像するに、徒競走で全員並んで決勝テープ切らせる日教組の指導的な感じ。
山を崩し海を埋めて平らな土地は増え、
経済成長も止まりフラットに、低いレベルで横並び。
自然の脅威はあちこちで牙を剥き大きな災害続いた平成だったような。



昨日の新聞見た時も、


なんと❗️で新聞撮影したのだった。

夏に京都御所の一角に仙洞御所の庭を見学しました。
あそこ空いてますから、京都で暮らされたらいいのに。
そしたらあちこち改修しなくとも、新たに京都御所に仙洞御所建物建設だけで済むのに。
京都で退任即位式挙行したら、高御座の東京への移動費も節約できるのに。
と庶民は思うわけです。


相撲界の‼️も、皇室の❓も、おおっぴらに口には出さなくても拡散してますね。
不可解に思う人は着実に増えていると感じます。


★12/24追記
昨日天皇誕生日で事前に撮影された会見ビデオを何度かニュースで見た時に、背景の絵が気になってました。
天皇陛下のアップシーンがほとんどで、背景は一瞬しか映らないながら、いつものお誕生日会見会場と違うような気がした。
今朝知ったところによれば、石橋の間で、前田青邨画伯の絵だった。
あえてその前で会見されたのには意味があのかなとググってみた。


日経新聞2015/8/16付
 皇居の宮殿に「石橋(しゃっきょう)の間」がある。広さ245平方メートル。中央の壁に前田青邨が同名の能をモチーフに描いた絵が3枚掛かることから名をとった。ここで、1975年10月31日、昭和天皇が記者会見に臨まれた。初めての米国へのご訪問を終えて、感想を述べられたのだ。

▼関連で、長い在位中うれしかったことを聞かれ「終戦後、国民が努力して日本の復興ができたこと」を挙げられた。このときから、さらに40年続いてきたこの国の「戦後」。天災や大事故、経済的ショックに阻まれながら、平和を追い求めずして豊かさや幸せは来ない、という価値観を、世界へ証し続けた歴史でもあろう。

▼能「石橋」は後半の獅子の乱舞が歌舞伎などの材としても有名だが、前半では、理想へと踏み出す選択や決断のあり方をも問うている気がする。寂昭法師が、文殊菩薩(ぼさつ)の住む浄土へかかる橋のたもとに至る。現れたのは謎の童子。悟りを前に気がせく法師に童子は「橋は幅一尺。下は地獄ほど深い」と何度も危うさを説く。

▼昨日、全国戦没者追悼式で天皇陛下は、我が国の平和と繁栄は「平和の存続を切望する国民の意識に支えられた」との趣旨のお言葉を述べられた。大きな犠牲の上に、悲壮な思いで踏み出した70年前の一歩。重い選択、苦い決断を積んでたどり着いた今の足元を見定め、「戦後」の灯を絶やさずに未来への橋を目指したい。



お能「石橋」の一人獅子は→ こちら


考察途中ですが、忘れないために記録残しておきます。

★12/25追記


画像を拝借したブログは→こちら
軽妙な語り口で面白いのでいつも見てます。
愛子さんがさらに太った画像とかも見れますよ。