大原のバス停から三千院まで歩き出して、その途中で見た歌碑。
一世を風靡した歌謡曲、女ひとり が刻まれています。
右下の白い塊は雪だるまがとけずに残ってた。
まだまだ、10分ほど歩きます。
なかなか人の出入りが切れなくて、おっちゃんも移動してくれなさそうなので、しゃ〜ないなとシャッター押した。
この御殿門をくぐると拝観料かかります。
客殿から中書院、宸殿内見学は靴脱いで上がるのでちょっと待機。
見上げると、木枝の雫が花のようでした。
気温が下がればこのまま凍るのかな。
建物内では撮影憚られたので、画像はありませんが、一枚だけこそっと
100円おさめておみくじ一枚選びました。
日本で御神籤最初の、元三大師御籤です。
ガ~ン
⤵ の 「第四十六凶」でした。
堂内見学と参拝終えて、
入口で上がる時にビニール袋に入れて持ち歩いた靴を履いて庭に出ます。
後ろの建物が往生極楽院、開扉されてたから阿弥陀三尊像を拝謁できました。
女一人で散策するつもりだったけど、バスツアーの最後尾席でお隣だった女性もキャンセル待ちで来られたそうで。
俳句をひねり出す刺激になればと吟行ですって。
どうりでインテリジェンスあふれてた。
苔がみごとに手入れされてます。
わらべ地蔵がほっこり、撮影する人がいっぱい。
ここから少し上に上がったところに金色不動堂があり、その前で大根焚きをふるまっていただけたのでした。
この時点で帰りのバス出発時間まで30分ぐらいは残っていました。
しかしまた参道を10分ほど歩かないとバス駐車場まで戻れません。
実は行きたいところがありましたが、時間がなくて断念。
大原の観光地図をみると、三千院の右、ずっと東に行くと来迎院と音無の滝と書かれてあります。
融通念仏宗の開祖である良念さん(1073-1132年)は、この大原の来迎院で念仏を唱えられ、それはそれは美しい声だったそうです。
平安時代末期、比叡山と三井寺の争いを嫌い、この大原に遁世。
来迎院で過ごし、音無の滝で声明の習礼をされてたとか。
天台声明を大成し聖応大師と呼ばれます。
やがて大阪は平野の大念仏寺で融通念仏宗を開かれます。
三千院を回り込むように、2本の川が流れていて、
お土産屋さんが並ぶ参道に沿って流れているのが「呂川」
もう一本が「律川」
「呂・律」とは、邦楽の音階で雅楽の音階です。
「呂律が回らない」というのは、「呂(りょ)」と「律(りつ)」という音階の別が難しくて、歌い分けることができないということからきてるそうです。
鎮守社である勝手神社も、良念さんが吉野から勧請されたとの説もあり行きたかったのです。
でも三千院で、場所を訪ねても知らないといわれ、今回はあきらめました。
この記事を書くにあたり、最初にあげた境内図を見つけて、
こんなとこにあったんだと再認識。
大原の観光図と北の方位が違ってるので、それを頭の中と実際を照合できなかったのでした。
拝観料がかかるエリアは塀で囲まれてるので、外からぐるっと大回りしないといけないのだと思い込んでました。
金色不動堂から観音堂までは上がったので、さらに左手に行けば勝手神社に行けそう。
暖かくなって、新緑の候とか、紅葉の季節に、どなたか一緒に行ってくださる方を探して再訪したいと思います。