秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

平成最後のつつじ花見酒

2019-04-30 | 日々是好日

元号かわるまでに、取り急ぎ。

大久保の妙楽寺さんで、今年も大つつじがほぼ満開。
 
おかげさまで今年も花見酒宴席に参列させていただけました。
今年の和尚さんのお話は、
私は、私と私の環境であるーby オルテガ
スペインの思想家・哲学者の言葉です。
 
もしこの環境を救わないなら、私をも救えない、と続きます。
 
うーん難しい。
噛み砕いていえば?
 
有名な哲学的文でググって知り得たことを貼りつけときます。  

 「私」という一個人には、縦糸である血縁と横糸である地縁、
その血縁地縁から派生する血縁地縁と、はてしなく続く「縁」による五蘊がつまっている。  
そしてそれは、おそらく、突き詰めればひとつにつながっているはずだ。 
だから、一人であって、一人じゃない。 
「私」を知りたけれは、「私」の環境を見ればいい。
「私」を救いたければ、「私」の周辺を整えればいい。 
「私」が「いま、ここ」にいるのは、ご縁によって導かれた証。 
「私」を生きるためにも、縁によって与えられた役割をまっとうしよう。



薬師寺 追加情報

2019-04-30 | おでかけ・近畿
国宝東塔の修理作業所最終公開の記事を、多くの方にご覧いただいてます。
5/6までですから 今のうちに知ってる情報追記しておきます。
デジカメ撮影画像を確認できたので画像とともに。

入口で整理券もらったら順番来るまで並んで待つ必要はありません。
その間に金堂の薬師三尊像参拝とか。
ちょうど行った時は、お坊さんが右手の方で解説されてて、椅子もたくさん用意されてるので多くの方が拝聴されてました。
堂内は撮影不可です。
しっかり目に焼き付けて心のシャッター切ってご覧ください。

薬師如来の背後に回ると一部くり抜かれた部分から、台座を見ることができます。
とても珍しいものですので、お忘れなく。
説明文読んで、また引き返して、正面や四方の台座を確認したぐらいです。
2010年秋にも説明聞いたのに、すっかり忘れてて新鮮に拝観できました。
下の画像は出口から遠景でズームして撮影しました。


いよいよ11時になって東塔修理現場内見学開始。

1階から入場し6,7階が見学場所です。


塔の周りにずいぶんスペースあるのに気づかれると思います。
大工の棟梁にお伺いしたところ、
解体した部品すべてその階ごとに、周りに整理整頓して保管し、
心柱の修復終えてのち、また元の通りに復元されるのです。


覆いのメッシュ隙間から境内が見下ろせます。
大講堂の前の広場に多くの椅子が設置され、なにかの準備中。
これでした⤵





水煙の飛天は素晴らしいものでした。



出口のところで販売されてました。
製作は、すぐご近所の海洋堂さん
見てただけ。
友人は3Dの絵葉書一枚200円を記念に買ってました。



透かし彫りの飛天は24体、上の図案が四方に表裏二枚づつで8枚。
いままで飛天はすべて天女とされてきました。
でも、笛を吹いてるのが天男、下向きに飛んでるのが天女と天童。
というのが、中国美術の研究家・小杉一雄(1908~98)さんの説です。

インドで生まれ、中国を経由して日本に飛来した天人一族。
彼らは奈良の西ノ京に舞い降り、親子団欒を楽しみながら、空にそびえたつ塔の安全を見守ってきたのだ。



西の京ぶらぶら歩いて薬師寺へ

2019-04-30 | おでかけ・近畿
お寺の屋根瓦にのる獅子らしきオブジェが、
右前足あげてアイーンしてるような姿。
珍しいなと、でもお寺名は撮影しなかったので忘れました。

JR郡山駅9時に着いて30分ちょっと北上すれば薬師寺。
そのつもりが、目に留まるものいっぱいあって1時間もかかってしまった。
平成最後のぶらぶら歩きレポートです。
 
郡山といえば金魚で有名ですよね。

できるだけ車の通る広い道を避けて、昔からの街道筋のような道を歩きました。

かつての商家のようで、板戸を降ろせば売り物を並べることができるのでしょう。
飛騨高山の陣屋で説明受けたような、日本家屋の木造建築の粋を見た思いです。

 
住吉神社があるということは、古代は川を使ってここまで来てたんだろうなと。

秋篠川に突き当たり土手沿いの道を歩くことにしました。
平城京西市船着場跡

一緒に行った友人は歴女です。
郡山の駅降りてすぐに見た、大和郡山城の外堀緑地北門のところで、平城京羅城門の説明見たと言うのです。
私は見落とした。
それで家に帰ってから調べてみると

この地図みてると、西市がある秋篠川は、西堀川と書かれてます。
掘った川だったのですね。
平城宮の朱雀門に対し、平城京の羅城門は現在佐保川にあり、看板が立ってるそうです。

それが気になって調べてみると、ヤフー知恵袋に
奈良平城京の羅城門跡は現在佐保川の土手か河原みたいです。
平城京の羅城門は川に接して建てられたのですか?

その答えは
平城京内には、左京の東堀河、右京の西堀河という
二つの人工河川が南北に直線状に流れていたと考えられています。

このうち東堀河は、現在の佐保川にあたる川を造作したものです。
東堀河跡は左京三坊をまっすぐに南へ流れていました。
近年発掘調査が進み、
九条大路を越えて南にさらにまっすぐ流れていたことがわかっています。

西堀河は、現在の秋篠川の流路と重なっていると考えられています。
まだ発掘調査が行われていないのですが、
東堀河がまっすぐ京外まで流れていたとすれば、
西堀河=秋篠川も、まっすぐ流れていたはずです。
現在、九条公園のところで秋篠川がぐいっと東に屈曲しているのは、
後の世、大和郡山城築城にあたって、
川を防衛線として利用するために人為的に曲げられたものです。

現在の佐保川・秋篠川合流点から、大和郡山市稗田町あたりまでの
佐保川のまっすぐな流路は、
かつての平城京朱雀大路~「下つ道」の道路敷にあたります。
道路敷は、誰の耕作地でもなかったので、
後に河川敷に転用されやすかったのでしょう。




秋篠川土手を歩いていると
薬師寺の東塔の工事覆いが見えてきました。
もうちょっとや、頑張ろう!

さらに進むと、なんということでしょう!
先日来、あいたいなぁ~と思ってた榎が!
 
木に夏と書いて榎。
エノキは、夏になると葉っぱが生い茂り日陰を作る大木になる木なんですね。



葉を裏返し葉脈確かめても、間違いなく榎だと思います。

念ずれば通ず。