菅浦の西の入口に四足門があったけど、写真撮り忘れた。
右手に須賀神社。
ちょうどその前でバス降りて、パンフレットと惣の焼印入った木札もらった。
うちのメルキィも興味津々、
猫レベルの好奇心で私もタネがたいそう気になった。
まず最初に見学した郷土資料館入口に
へぇ~そうなん?
油桐って初めて聞いたよ。
資料館建物外にその木が植わってて、下にいっぱい実が落ちてた。
油桐 あぶらぎり というそうだ。
このタネから絞る油を灯明用に使ってた。
迫り来る急峻な山で農地はないから、年貢はお米では無理。
30%がこの油桐で、江戸時代に盛んに栽培されたようです。
郷土資料館出てすぐに撮影してるロケ隊に遭遇。
三宅さんがレポーターで写真撮影しないでと制止された。
そんなこんなで、資料館全景も万葉歌碑も撮り忘れた。
高島の 阿渡(あど)の湊(みなと)を 漕ぎ過ぎて
塩津菅浦 今か漕ぐらむ
昭和46年まで陸路ではなく船に頼ってた菅浦集落。
かつては東西南北に四足門があったが、今残るのは西と東の二箇所。
村の右端の東門
現在少し移築されたが、元は説明してくださるガイド男性が立ってるところ。
昔はそこが道で東の四足門が境界だったという。
茅葺で補修費用も莫大らしい。
あえて不均等な造りにしてあって、
前に置いた大きな石をどけると境界外に倒れる仕組み。
でもこの先、山が湖に迫り道はなさそう。
道がないなら敵もやって来ないはず。
岬の先には葛籠尾崎の湖底遺跡があるという。
村の結界みたいな感じでしょうか。
他のものを寄せ付けない強靭な思いがありそう。
地図見てると、集落の上、山間部に奥琵琶湖パークウェイが走ってて、端に展望レストランがあるようです。
そこからの眺めは
つづく