神社って拝観無料がほとんどですけど、琵琶湖西岸の日吉大社で¥300、
厳島神社も必要でした。
海の中に建てられた神殿ですもん、維持費かかりますわね。
説明受けながら巡ると感動もので記録残しておきます。
修理中の高舞台の向こうが本殿です。
御祭神は
御祭神は
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)
「物ごとすべておそく成就する
理あれば心ながく退屈すべからず
観音神明をたふとみ弁財天をしんじてよし」
理あれば心ながく退屈すべからず
観音神明をたふとみ弁財天をしんじてよし」
なんか珍しい内容で心に残りまして、
あれ以来、弁財天の市杵島姫命に心よせてます❤️
海に浮かぶ寝殿造の説明を先達さんから受けて感動しました。
日本人すごすぎる。
うろ覚えで書くとまずいので、ネットで情報確認。
詳細は以下で
一部引用>
満潮時には海面が床板のギリギリまでくるように設計されており、
瀬戸内海の潮の満ち引きによってその姿は刻々と変わる。
社殿群を繋ぐ舞台や回廊の床の板と板の間は、わざと隙間をあけるように敷かれている。
これも重要なポイントで、高波などの際はこの板の間を水が通ることで水圧が弱まり、社殿に浮力がかかるのを防いでいる。
本殿の前にある平舞台。ここだけは石の柱が支えているのだが、床板は柱の上に置かれているだけ。
水面が上がると床板が筏(いかだ)のように浮き、高波の衝撃をたくみに受け流しているなど、
本殿に荒波が押し寄せない工夫が施されている。
厳島神社へはもともと、船を使って鳥居を通って参詣していた。
なので、船底を砂にこすらないように、参道は周囲よりも掘り下げられている。
この船の参道は、干潟時に見ることができる。
厳島神社の創建は推古元年(593年)、
安芸守(あきのかみ)に任ぜられた平清盛によって
仁安3年(1168年) 寝殿造り様式(平安時代貴族の邸宅建築様式)を取り入れ現存の規模に造営された。
その後、2度にわたる火災で建物は全て焼失。
現在の社殿は仁治年間(1240年-1243年)以降に再建されたもの。
厳島神社の略年表
コピペして貼り付けると冗長になるので、以下サイトでご確認ください。
北西の丘の上に見えるのが「五重塔」と、
左の大きな屋根建物が「豊国神社」
秀吉が建てた大経堂(千畳閣)が明治の神仏分離令による変更。
江戸時代1680年毛利によって造立された能舞台。
他に画像はないけど反橋とかも、一方通行で神殿を通り抜けます。
御守り賜りたくてもう一度入口に戻るのかと、先達さんに尋ねると、
逆行してそれだけ買いに戻ればいいと言ってくださった。
授与所では御朱印賜る長ーい行列できてました。
1時間以上並ぶそうですよ。
この夏7月25日真如堂の虫干しに行き、漢方薬のような体に良さそうなお茶もいただきましたが、
融通念仏のお面がありました。
その時に、ulalaさまのお母様の菩提寺のことが思い浮かびました。
融通念仏寺総本山です。
大原三千院の魚山声明ですね。
いつか、そのことをお伝えしたいなぁと思っていました。