秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

三島と藤原氏、そして百済

2013-08-27 | 古代史のミステリー
この玉枕と冠は、復元されたもので、2年前のブログで紹介しました。
2010-12-16 「ジャパン」といえば「漆」

茨木市にある阿武山古墳の貴人用夾紵棺から遺体とともに見つかったものです。

その画像のものに、今城塚古代歴史館で出会いました。




棺の形がゆがんでいるのはなぜかと、ガイドさんにお尋ねしました。
興福寺の阿修羅像と同じく布に漆で固めた夾紵棺(きょうちょかん)ゆえ、
棺の蓋を開けたとたん、空気に触れたためか突然ゆがんだそうです。



ネットで玉枕とみたので、緑色の玉は上等の翡翠なのかと思い込んでました。
しかしガラス製品だったようです。


「藤氏家伝」には、藤原鎌足は645年大化の改新(乙巳の変)の前年に三島の地に隠棲しており、669年山科精舎に埋葬後、阿武山、そして多武峯へと改葬されたと伝えられているそうです。
ではなぜ、阿武山でみつかった遺体を鎌足と見なすのかは、以下サイトをご参照ください。

真説日本古代史 特別編の七 摂津阿武山古墳調査報告書



2010年秋、牽牛子塚(けごしづか)古墳がニュースになりました。
その関連から、中臣鎌足や藤原不比等に興味をもちました。


舒明3年(631年)の春正月1日、中臣(藤原)鎌足が神祇伯に拝さらるが、再三これを固持し、病と称して三嶋に侍った

なんで三島の地と関係あったんだろう?


鎌足の長男である定恵はわずか11歳にして遣唐使として中国に渡ります。
不比等は鎌足の次男で、天智天皇の子供という説も。
一方定恵は、先の孝徳天皇から賜った采女が既に孕んでたので父親は孝徳天皇とか。

10年が過ぎて帰国するにあたり、まだ帰国できない事情があり百済にしばらく停留。
やっと帰国できて3ヶ月後に暗殺されたとなってます。
ところがこの定恵が開創したというお寺があちこちいっぱいあるのです。

この定恵さんは 鞍馬天狗 2010-05-04 で記事にしたときに出てきたので記憶してました。

「定恵は帰国後、父・藤原鎌足の供養のため多武峰妙楽寺(後の談山神社=奈良県)を建立。ここで長安で学んだ仏法や拳法を教授した。その拳法の流祖を父・鎌足に仮託したものと思われる。」

遣唐使として長年中国で普通人以上に身辺に気を配り暮らしてきて、
さらに拳法の達人だとしたらいとも簡単に暗殺されるのだろうか…

なぜ藤原氏という名前を賜り、なぜ藤原京だったのか?
「藤原」とは「ホ・ゼ・ワ・ラ」の当て字であったとか…


三島と百済、そして藤原氏。
なんかつながってますね~


興味おありのかたは、以下サイトでお楽しみ下さい。

今、日本に住んでいる人は日本人でないの? … 藤原鎌足

真説日本古代史 特別編の五 藤原鎌足を考える

藤原氏は百済王族だった!

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (TM)
2013-08-27 23:01:27
リンクして下さったサイトもちょっと拝見したんですが、奥が深くて、私の理解力では追いつけませんわ。
ちょっとずつ、つまみ食い的に読ませていただきながら、学習していきたいと思います。
返信する
TMさんへ (ulala)
2013-08-28 21:06:03
私もそう思います。
あちこち飛ばしてよんでるうちによくわからなくなったりします。
それでもこの数年間、ちょくちょくアクセスしてるうちにだんだん読めるようになってきました。

以前翡翠の記事で書いたと思いますが、
糸魚川の翡翠は朝鮮半島や中国本土でも出土しています。
あちらでは採れませんから。
しかし日本でも奈良時代からつい最近の大正時代まで、糸魚川で採掘されることが忘れられてたと。
確かに縄文時代とかはネックレスなど首に掛けてます。
平安時代も江戸時代もアクセサリーは身につけてないような。
かんざしや根付はあってもネックレスはしてませんね。
翡翠の勾玉や珠が繋がったような飾りは封印されたのでしょうか。
鎌足や不比等の時代から葬送や宝飾品かわったとしたら、民族や宗教が変わったということになりませんか。
返信する
2013年ですかあ。 (りひと)
2017-04-06 19:44:13
私のその頃たぶん阿武山の本をたまたま借りてきてはまりました。そしてまた最近私も鎌足はまってます。今は磐に関わる東北の方の方だと考えてます。歴史では百済の王族だと思っていた時期ももちろんありますけど。

きたきた、お友達の記事で阿修羅の作りが同じ作りかもしれないですね。漆と布。で布はどうやら東北が先端のようでして東北詳しい方もそこを教えてくれました。この前福島でも桑の地名や神社が結構ありましたので葛城襲津彦の頃の桑の地がひょっとしたら福島かと思ってます。

つまり外国百済や新羅や伽耶などはひょっとしたら海を股がない日本の歴史に出てこない地の可能性がありそうです。歴史の専門家さんも講演会で古墳や集落がなかった場所に人がいなかったかどうかは分からないとおっしゃってましたので歴史に出てこない空白の地はあえて書いてないだけでそこにフィクションがあるのかもしれませんよ。
因みに福島の鎌足神社も気になりますし、どうやら行かなきゃなあと思っていた田町辺りの神社と同じ藤原さんが関わっていそうで鳥肌ものでした。この藤原さんは何か知っていたはずです。

また仏具を寺のために作っていた地も青森にありそうですし、これ、吉野と法隆寺と同じ工房付きのお寺の可能性ありますよ。尼系なのかも?

伝説としては南朝や長慶天皇として残っているところは同じ伏線持っていそうです。

たぶんこっちは白か青のカテゴリーに入るかな?大だとは思います。うららさまも大の方にも関係ありそうに思いますよ。

そうそう、阿武山のこと福島で思いついたんだよなあ。安達太良だったかなあ。そうだ阿武隈洞だあ。こっちは深い谷好きで渓谷とか鍾乳洞と関係ある海神でもあると思います。

ただ見事な必殺仕事人のおかげかうまく見えなくされていそうです。ただ東北の中央の山脈を谷ごとに動いていた方々はおそらく凄い前からいたはずです。

鎌足も渡来系との解釈もありますけど大昔からいたのは確かだと思います。その証拠に奈良茨城福島と鎌倉とお水と縁がありそうな場所で形跡はありますね。長野河内辺りにも和歌山にもいそう感じです。どうもナガスネヒコと同じイメージ持っています。河内の付く所に形跡がないのか?
キーワードは足ですね、わらじ奉納の辺りにはいそうに思います。三嶋ミゾクイさんでもいいかも娘はことごとくその血をハンターに取られてますし、そう息子は消されてますし。定慧も東北に行っただけなのでは?子孫はどこかで生きてるでしょうね。

漆での仏像や工芸品でいえば櫛もありましたね?
結局あの技術は日本独自で彼らが消されたら消えてしまったのでしょう。ただ引き継いでいる方々やその地での恩恵は今後もっと出てくるはず、自然由来である材料があっての技術ですので材料がない場所には現れない一族だと思います。硝子なら腕輪みたいに違う国由来の技術も背負って立っていたかもしれませんね。青い腕輪でしたっけ?
火も関わるはずですね。
鎌足奥が深いです。名誉や役職を辞退出来るって一言主神的でないと出来ない事でしょうから三嶋っていうのも間違いなく関係しそうですね。奥様系も大事でこっちは三保(穂じゃなく)で鴨系が入っているようにも鴨も悪い方々ではなく大事でピンチヒッターであったはず。どちら消えてしまっているので。今後鎌足がどう変わってくるか楽しみですね。歴史も生物なのかもしれませんよ。
9984、2649、26のうちの因縁消えるかな?49はミワさんですね。大の神。
返信する
りひとさんへ (ulala)
2017-04-07 15:03:32
中臣鎌足の出生地といわれる明日香の大原、今は小原という地名ですけど。
そのすぐ南に岡寺ありました。
地図とかは保存できて記事にしようと思いつつどんどん月日は流れ、何を書きたかったんだか、だんだん忘れていくの常です。

奈良の興福寺のの放生池である猿沢の池に身を投げたのは福島は郡山の采女。
http://blog.goo.ne.jp/goo3820/s/%E7%8C%BF%E6%B2%A2%E3%81%AE%E6%B1%A0

聖徳太子のおじにあたる崇峻天皇の妃・小手姫は、蜂子皇子を追って入植し機織を伝えた地が福島の川俣。

飛鳥から奈良時代にかけて、現代人が想像する以上に福島と繋がりがあったのでしょう。
福島は茨城のすぐ北ですし、茨城には藤原氏ゆかりの鹿島神宮ですものね。
返信する
今さっき気付きました! (りひと)
2017-04-17 13:50:44
大変ですよ、鎌足のかまって漆関係の工具の掻き鎌かもしれませんよ。ネットで鎌足と漆で検索かけましたけど直の繋がりを書いている方はいなさそうですけど検索に上がる方の内容がまた鎌倉の方向にも行きますね。

昨日だったか大津じゃなく小津神社(近江)と三上山のルート検索で出た場所の源内塚っていうのを知って頼朝が源内さん殺して13歳で逃げたという伝説があるんですけど塚が今でもあるならばきっと地元では人気あったと思ってました。頼朝は鎌倉に行くような知識なりネットワークそして源内さんを斬ったという刀を手に入れたのは三上山あたりだとムカデの関係でも理解できます。
また時代を遡っても天智天皇の妃を鎌足が嫁しているのもあれ〜この法則って最初の夫が託した可能性ありそうですよね。おまけに天智天皇と鎌足は仲良しだったみたいで和歌でいけば額田大王系です。三上山の近くは鏡の里ですし額田部関わっていそうですよね。

全て理解できました。

鎌足は岩手で平安時代にお寺へ漆器を納めていた関係のトップでしょう。時代はもっと遡りますけど。そして福島では麻布は古くから権力者が魅力を感じるほどのメッカだったろうと思います。
そこに鎌足神社です。

漆と布のセットでは思い出す場所うらら様はいっぱいあるでしょうね。

どうやら、奈良の葛城、吉野と近江そして福島と岩手(浄法寺)は繋がってきそうですね。
鎌足なのか葛城襲津彦なのか時代はもう少し見た方が頭の整理した方がよさそうですけど関係ありそうですね。

鎌足(漆)は百足(銅)と一緒に外国由来にされてますね。少なくても弥生よりはもっと昔の原住民です。当時そっちの方が支配領域は水運使って物々交換なら大きかったはずです。

なので漆は相当ヒントになりますよ。

鎌も戦いや草を刈る道具ではなく、木の成長を年数かけて計画し、資源もまた木の生命も全く奪う事を考えず平和的な鎌の利用を考えられる自然密着の一族だと思います。

岩手の漆器は日光へも行っているようなのでそれはある意味深読みもできますよ。

櫛ももしかしたら?
父はとにかく漆器好きでまた飛騨や春慶塗りとかも好きで木の素材も大好きでした。岐阜あたりもかなり関わってきそうですね。

鎌足の血にこだわった一族がいたのもそういう関係だったのですね。全国的な交流のルートを持ってしての長は間違った資源の破壊は相当怒るはずですね。貪り取る事はまずない器の大きな一族。
今でもその関連の方はいるはずです。

かぐや姫も木地職人さんと結ばれたかったのでしょう。どうにか今からでも幸せになってもらいたいですね。

日本の精神性のある一族の名誉挽回が出来たらとってもいい国に自然のなるでしょうね。
最近本当悔しい事件が多いですけど、その被害を決して無駄にする事なく善良な方が痛めつけられたり被害にあったり亡くなったりする事が自然になくなる事を祈ります。

失敗の対してもとても寛容な一族だったはずです、何しろ技術の向上には失敗こそ必要なので。ただ日本人もあまりに寛容や忖度はいけない、物事ごとの良し悪しを人種の関係なくしていかないといけませんね。1600 16の閻魔のスタートかな?嘘ついたら舌抜かれるからしないって。クガカタみたいにあくまでも怪我させる事を目的ではなく、間違った事をさせないための防御の方法考えないといけませんね。

日本は宗教にも人種にもとても寛容で温かいはず、そもそもそれをアピールしているのは日本人の心の土壌がない方なのでそんな方々のために日本を誤解されないよう注意したいですね。

1600関ヶ原?天下分けめの闘いですね。
人間の行動も目的は何なのか?それで全て日本人ならすぐに理解しちゃいます、口に出さずとも。内部テロを目的としているパターンも考えないといけませんね。油の事件も日本の宝を元に戻せないようのしているのが日本人じゃなくてよかったのではなく、日本ではそんな事をする人もいない、だからこそ木造建築も残っている。犯人がどこの国とかはどうでもよくてその事自体日本では言わずともその行動が良くない事。

たいてい火事もそうだけど、そんな事をしそうだと生活できないようにしていかないと絶えず目を光らせていきたいですね。

9097 添付記事みてみますね。
返信する
Unknown (りひと)
2019-08-20 10:23:46
懐かしいですね。
当時は内部テロなんて言われなかったですけど、あった書類はなきものに出来るしバイトが雇い主を苦しめるし単純に組織に入れる人間の質を見極めて一般論での基準での報酬よりも独自でもっといい人財にお金かけていいのでは?と思います。昔高校の時時給765円で頑張って(楽しかった)ましたけど、今入ればどこでも時給1000円っておかしくないですか?そんな事してたら良い人財はむくわれない。一律じゃあおかしいわけで。安価でも楽しい職場なら働きますし勉強も出来るいい先輩で学べる。けどどこも高価な時給ならもっと楽にと思って質下がりますよね。大学時代にマックにハマってしまった子いましたけど、ちゃんと仕事ぶりで評価してくれたから大学そっちのけでハマったんだと思います。今の大学生はおそらく穴埋めさせられて評価もなくいなければもっと雇えばいいと愛情ない会社もいっぱいあるはずです。両方経験しているから理解出来自分はどっちがいいか判断も出来るんですよね。
大学名で同じでも相当経験で違うはず、それも会社入ると変化していいし大学良くなくても評価していく企業のが伸びるでしょうね。そういう所は大学名あえて伏せる採用もあるんじゃないかな?これからちょっと面白くなりますよ。そして日本の来ている外国の方の努力と今の若者の努力も雲泥の差で日本負けてますもん。
今後どうなりますかね?

これからは周りの一般人の役割って物凄くなりそうですよ。あの人努力しているとか苦労されているとかまた素敵な行動したとか物凄く人間的に良くない事したとか?

東京湾の件でニュースやっていた中で小耳に挟んだ話ですけど、港区の区議さんが独自で調べているとか?お名前がまたいい一族そうだったんでのち調べてみます。
問題意識がなければコツコツ調べてないでしょうしそうした方の意見をオリンピックの計画の段階でちゃんと聞いていたら何か今変化起こっていたはずですよね。その方がどこの党にいるのか?どんな背景があるか?はその後で、まず独自でコツコツ専門性もってやってくれている方にエール贈りたいですね。

少なくてもひがんでいたり妬んでいる人には出来ない事が出来る状態の方がいっぱい増えるといいですね。

古墳の副葬品は少なくても本人への本来の気持ちですよね、亡くなった後なので怖くて高価な物入れる必要がないので。そう思うと手間かけてまた凄い技術が必要な物があったなら鎌足じゃないかもしれませんがちゃんと調べるべきでしょうし、部類が違うからと先入観で少ないと思わないで各地で同じような技術の古墳や遺跡を探すだけですよね。

極端に言えば、同じような古墳はまだ全国で眠っているならそれが大多数にもなる可能性もあります。あと調べる前に博物館なり地元に作って宝が他の地域に移動しないようにもじっくり各地で住民と話してから発掘して欲しいですね。天皇系と思われる八角墳もガラスも東京でも出ているんですけど、ほぼ開拓されてしまってます。ただ大阪から一気に飛んでくるわけではないはずなので移動した先に痕跡は足跡のように連鎖するはず。今後楽しみですね。

定恵は孝徳の子供って説、父のワークではかなり納得出来ちゃいますね。とすると鎌足は若干怪しいんですよね。ただ鎌足の女系は確実に孝徳の女系とも江戸時代もどうも気配あるんですよ。つまり鎌足と孝徳が男系でルーツが違ってもその両方が闘ったら終わるシステムになっているようにも、そうされているようにも思うんですよ。

で孝徳はカモ系に思いますし、また鎌足も奈良の産湯井戸であの辺り(大原だっけ?)で考えるとカモ系でしょう。鎌足は養子に行ってそうなので同じカモでも背負ってるルーツが違うはず。私が各時代で探している双子の龍の要素かもしれませんね。

もぐとギズモも関わってきそうに思うんですよね。
難波宮行きたくなりますよ。鎌足怪しい部分もありますので孝徳と定恵ラインで東北と繋がると面白いですね。絹と織姫系も紛らわしいので一旦置いておきます、これが三毛ちゃんたちかもしれませんね。
返信する
Unknown (木方)
2020-06-14 10:52:30
面白い、大化改新の影響でのランキングですかね。
で孝徳さんも出ていたんですけど、貞慧のお父様候補にはドラマでは思えませんでしたね。ちょっと修正してみないとなあ。ただまだ幅広く考えて置いた方がいいのですがドラマからでは入鹿も父候補で気になる所。ただ本来は額田の姫さんも鎌足と中大兄との三角に思ってたんで入鹿と車持よしこさんで二つの三角がどうなるのか?幼なじみってのがまたもっと色々と解明されてくると見えてくるのでしょうね。鎌足と孝徳は接点無さそうなんですけどイメージがおんなじ。お母さんが一緒なんて事はないでしょうね。二人の大昔も接点で貞慧がどんな方に育てられたか?見えて来ないかな?産湯井戸だと子育てうまい家系の方が関わっていそうに思ってしまいます。多治比氏絡んでいないか?も気になりますね。昨日のドラマで初めて三島に鎌足が行かされたのも知ったんですよね。三島で多治比氏の痕跡も探してみます。
大昔過ぎてポイントをどこに置くかで色々とブレてきますが、あんな埋葬品が出てくる理由は何かあるんでしょうね。
返信する
木方さんへ (ulala)
2020-06-15 08:47:05
2013年の記事でもう7年。
未だに藤原鎌足も、定慧も、不比等もよくわかりません。
不思議やわからないこと次々出てくるので、深く追求してる間ない(ー ー;)

断片的知識繋げても、やはり定慧さんはかなり上位の情報得るためのスパイだったと思えます。
日本帰国後事情あって死んだことにしたんだろうと。

Wikiの定恵ページのリンクから西山温泉に飛ぶと

慶雲2年(705年)、藤原真人[注 1]が当地へ流れ、狩猟を行なった際に川の岩の間より盛んに噴き出している温泉を発見したと言われている
注1:藤原真人は中臣真人

定慧の字が彗星の漢字で、
古来、彗星の出現は凶事の前兆とされた、の関係や如何に?

返信する

コメントを投稿