秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

マーマレードとスコットランド女王メアリー

2014-09-22 | 旅 イギリス
マーマレードはスコットランド発祥で、その名の由来はいろいろあるけれど、
フランス語の Marie malade マリ・マラード (病気のマリー)に綴りが近いからといういう民間伝承があるそうです。

スコットランドのメアリー女王が腹痛の時に食べたから、あるいは仮病を使ってでも食べたかったから。

メアリー女王ってどんな方だったんだろうと興味を持ちました。

その波乱万丈で悲劇的な生涯が、数多くの文学作品や映画などで描かれていますが
私はどれも見たことも読んだこともありません。


『メアリー・オブ・スコットランド』1936年
『クィン・メアリー 愛と悲しみの生涯』1971年公開イギリス映画
『エリザベス:ゴールデンエイジ』2007年のイギリス映画




メアリー・ステュアート Mary Stuart
1542年12月8日 年生まれ  1587年2月8日 断頭台で没
スコットランド女王としての在位は
1542年12月14日 - 1567年7月24日


16世紀半ば、スコットランドは隣国イングランドの侵略に脅かされていました。
イングランドとの戦いに大敗した父の急死によって、
メアリーは生後6日目にしてスコットランド女王に!

5歳のとき、フランスのフランソワ王子の婚約者としてフランスに渡り、フランス宮廷で少女時代を過ごす。
彼女は17歳になって、フランソワ王子はフランス国王に即位した翌年、病弱だった夫フランソワはあっけなく病死。
メアリーは、故国スコットランドに帰らざるをえなくなりました。



イングランドのエリザベス1世(1533-1603)在位は1558年
メアリー・ステュアートと同時代を生きたライバルでした。


スコットランドのメアリー女王は紆余曲折を経て、19年間もの長きに渡り獄中で過ごし、
1587年2月8日、44歳にして処刑されました。

女王メアリーが処刑に追い込まれた背景には
16世紀後半の新旧両教徒の対立、イングランドにのしかかってきたスペインの影といった時代の状況が横たわっていました。

メアリーは死の数年前に「わが終わりにわが始まりあり」
との謎の言葉を手のこんだ刺繍細工の中に縫いこんでいたそうです。

そうした晩年の長い幽閉に耐えるなかで食した、マーマレード。
ほろ苦くもあり、オレンジのかんきつ類独特のさわやかな風味はきっと心癒す味だったのでしょう。


詳しい歴史は以下でご覧ください

悲劇の女王メアリー・スチュアート

エリザベス1世 ~大英帝国の基礎を築いた栄光と繁栄の女王~

エリザベスもまた稀有な人生を送っています。
ロンドン塔から生還した数少ない一人ですし、あのスペインの無敵艦隊を破った女王でもあります。


1603年エリザベスの死とともにエリザベスの遺言によって、
メアリーの息子ジェームス6世がジェームス1世として王位を継ぎ、
イングランドとスコットランドを一つに連合王国が出現しました。

メアリー・スチュアートの血筋は現代のイギリス王家に引き継がれ
あの刺繍に縫いこんだ予言は実現されたのです。
連合王国は子を遺さずして世を去ったエリザベス1世の国民への贈り物でした。

現在ロンドンのウエストミンスター寺院の地下墓地に
メアリー・スチュアートとエリザベス一世は眠っています。

4 コメント

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TMさんへ (ulala)
2014-09-23 10:01:10
エリザベス一世の父であるヘンリー8世は
男の子を産まない王妃と離婚できないので
わざと破門になりイギリス国教会をつくったそうです。
エリザベスは侍女の庶子でした。
ロンドン塔幽閉とか女王になるまで辛い時期をおくられてます。

日本も世継ぎを生むためにどの時代もいろいろありますが、
学校で習う歴史はこうした生々しい経緯を語ってくれないから面白くないのでしょうね。
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mari さんへ (ulala)
2014-09-23 09:54:08
確かに子供の頃塔とお姫様の絵よく描きました。
漫画の影響なんでしょうね。

現在のエリザベス二世から遡る400年前にエリザベス一世。
スコットランドが併合された時代。
日本でいえば戦国時代、安土桃山の動乱期ですね。
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Unknown (TM)
2014-09-22 21:50:54
中世のヨーロッパには、怖いお話がたくさんありますね。王妃や王女といっても、その運命は過酷です。
庶民も生きるのに大変だったでしょうが、王や貴族も楽じゃない。今の時代に生まれた幸運に感謝です。
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女王メアリー (mari)
2014-09-22 19:19:29
波乱の人生ですネ。
なぜ処刑されたのか、時代の犠牲者だったのね。

女王に子どものころはあこがれていました。
リボンの騎士の影響かな?
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