今日は死生観について書くことにします。
ここ10年、近親者がたくさんあの世へ旅立ってしまいました。
数多くの死と向き合ってきたために、
妹ともども、「死ぬときは癌がいいな」という結論に達しました。
事故や天変地異による死や、ある種の病気の突然死、
脳卒中による麻痺を経てからの死、
パーキンソン病など筋肉が動かなくなってから訪れる死、
認知症を長く患ってからの老死、などなどいろんな死があります。
これらに比べて、癌は痛くて苦しいかもしれないけれど、
癌と告知を受けてから、死ぬまでの猶予期間があります。
今までの人生をふり返り死に行く準備が出来るような気がします。
普段から身辺を片付けようと思ってもなかなかできないけれど、
お尻に火がついたら、トットと整理できるような気がします。
この10年間で考え方が変わったことは、
死への準備、死生観だけではありません。
若いころまだ見ぬ未来を、あーでもない、こーでもないと
先のことを取り越し苦労するタイプでした。
その代わりに過ぎしことを悔やんだり、過去の栄光に酔いしれることもない。
未来でもなく、過去でもない、今を生きるようになったと思います。
「メメント・モリ」とは、ラテン語でMemento mori
「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句で
日本語訳では「死を想え」「死を忘れるな」など。
「自分が死すべきものである」
ということを人々に思い起こさせるために芸術作品のモチーフとして、
美術、音楽、文学に、最近は映画の作品のタイトルにも使われています。
古代ローマでは、将軍が凱旋のパレードを行なった際に使われたと伝えられています。
ただし、当時「メメント・モリ」の趣旨はcarpe diem(今を楽しめ)ということで、
「食べ、飲め、そして陽気になろう。我々は明日死ぬから」
というアドバイスと一般的に受けとめられていたようです。
これの起源は聖書にあり、
イザヤ書「食べ、飲もう。我々は明日死ぬのだから」
その後のキリスト教世界で天国、地獄、魂の救済が重要視されることにより、
死が意識の前面に出てきたため、キリスト教的な芸術作品において、
「メメント・モリ」は現在のような警句となったとのことです。