昨夜の灰野敬二のトークショーは、灰野のルーツとなるユニークな音楽が紹介されたいへん興味深かった。同時に印象的だったのは、灰野のレコードへの愛着である。それはLPの丁寧な扱い方に表れていたし、音楽の内容だけでは無く、そのレコードを聴いたり購入した時の状況を語る口ぶりから溢れ出ていた。
とりわけ渋谷ヤマハの「その他」のコーナーでジャケットに惹かれ600円で購入しキズや針トビにも関わらず愛聴したメシアン、神保町トニーレコードの300円コーナーで出会ったSilver ApplesやNightcrawlersの逸話には深く共感した。レコードとの出会いは、愛好家にとっては忘れられない想い出であり、内容の良さだけじゃ無く、どんなエピソードがあったか、ということがレコードへ愛情を注ぐ上での大きな要因なのである。
そんなわけで自分にとってのNightcrawlersは何だろうかと考えた。灰野が通っていた神保町トニーレコードにはかつて吉祥寺店もあった。何度か移転したが、30年前はサンロードの中程の絨毯屋の2階にあり高校の頃よく訪れた。比較的良心的な値付けの中古盤中心で、店の片隅に格安盤コーナーがあり、得体の知れないLPが300~700円で並んでいた。灰野の話に出たアメリカから箱単位で届くレコードだったのかもしれない。小遣いが限られているのでいくら安いからといって知らないレコードを買う余裕はなかったハズだが、ある日、何となく冒険したくなり格安コーナーで品定めをした。ヒット作の在庫処分のカット盤もあったが、折角買うなら未知のものにしようと思い手にしたのがこの森林ジャケLP。
なぜこれにしたかは明瞭に覚えている。発売元レーベル名のMGMはMetro Goldwyn Myerの略で、少し前に買って衝撃を受けたチェキスロバキアのプラスティック・ピープル・オブ・ザ・ユニバースのLPに「Metro Goldwyn Myer」という曲があったのだ。巨大企業名だとは知らずに、不思議な合致に縁を感じて購入した訳である。家で聴いてみたら、古色蒼然としたドロドロのブルースロック。しかし当時ニューウェイヴやレコメン系プログレを聴き漁っていたサブカル少年の耳には超新鮮に響き、別世界へワープする心地がした。ジャケットのクレジットでオレゴン州出身らしいとだけ判ったが、メンバー名を含め他に何の情報もないまま、密かな個人的愛聴盤になった。
筆者によるレヴュー:
オレゴン州ポートランド出身の4人組の唯一のアルバム。ウォーカー・ブラザーズの”孤独の太陽”を百倍泥臭くしたようなディープで哀感たっぷりのブルース・ロック(ドノヴァンのカヴァーもあり)。裏山の森で撮ったようなジャケットから想像すると、山奥で人知れず木々を相手に練習に励み、気がつけば時代に取り残されていた、という図が思い浮かぶ。歌もギターもオルガンもドラムもみんな一緒に泣き叫ぶ、この迫力は日本の山岳系演歌に通じるものがある。(Rock'n'Roll/シンコーミュージック1995年)
当時は、海外で出版されたサイケ本にもこのアルバムの紹介は無く、インターネットも普及していなかったので、殆ど妄想でレビューを書いた。その5年後にレア盤発掘ブームでこのアルバムも海外でCD再発される。ブックレットにはメンバーによる解説が掲載されていたと記憶する(現物行方不明のため確認出来ず)。AMG All Music Guideサイトに詳細な解説が掲載されている。
A FANTASTIC PSYCHEDELIC BLUES BY DOUGLAS FIR!!!
ダグラス・ファーのファンタスティックなサイケデリック・ブルース!!!
バイオグラフィー:
ダグラス・ファーは60年代後半、オレゴン州ポートランド出身のダグラス・A・スナイダー(ds,vo)、ティム・ドイル(Hammond B-3)、リッチー・ムーア(g)からなるトリオ。元々はサン・トリオと名乗り、太平洋岸北西部の「食肉市場バー」をツアーしスタジオ代を稼いだ。日中はスナイダーは木こり兼消防士、ドイルは建設作業員、ムーアは酒類配送トラック運転手として働いていた。彼らはいつの日かレコードをリリースし成功する夢を持っていた。
バンドを贔屓にした地元のレコーディング・エンジニアのマイク・カーターとラス・ゴースラインの協力のもとで、時にはスタジオ料金を工面してもらいながら、レコーディングを行った。2年間レコーディング・プロジェクトに従事して、ダグラス・ファーはいよいよレコード産業の濁水に飛び込むことにした。
スナイダーが愛車のホンダ305スクランブラーを売ってハリウッドへの片道切符を買い、LAのストリートで何時間も演奏しレコード会社にテープを売り込もうとした。幸運なのか事故なのか、スナイダーがサンセット・ヴァイン・タワーのエレベーターで出会った男性は、LAで最も注目されるアレンジャーのひとりだった。
何杯もビールを交わした後、その男はスナイダーを3階のMGM/Quadレコードの重役に紹介し、バンドのテープを聴かせると、即座に契約が決まった。レーベルはスタジオ代を肩代わりし、ブルース・バイがベースで加入しラインナップが完成した。MGM/Quadは「スモーキー・ジョー」をシングル発売。良好にエアプレイされ、バンドは短期のツアーを行った。
しかし、レーベルの閉鎖により、ツアーも突然終了した。唯一のレアLP『ハード・ハートシンギン』だけが残された。
『皆さん、これがショービズってものだよ。でもね...僕らは曲を作って、60年代のバーで演奏して、グルーヴィーな時間を過ごすことができたんだ。それに、ヒット曲はなかったけど、アルバムを売れたしね。聴いてくれてありがとう!』 ーーダグラス・A・スナイダー(テネシー州ヘンダーソンヴィル在住)
AMGレビュー:
『ハード・ハートシンギン』のサウンドを聴けば、ダグラス・ファーがラリッたブルース・ロック・コンボだったことが判る。バー・バンドとしても純粋にエキサイティングだったろうが、陰鬱で不吉でまったりとしたサイケデリック(そのジャンルをどう定義するかによるが)な彼らのロックンロールの性質からは、彼らがサウンドに磨きをかけた太平洋岸北西部のちょっと奇抜な土地柄が影響したに違いない。
音楽の全てに、まるでバンド演奏がが部屋ではなく、小さな箱から発せられるような、濃厚で窒息するような雰囲気が立ち込めている。ザ・ドアーズに通じる重厚で神秘的なロードハウス・ブルースのエッジがあると共に、ザ・バンドのオールドタイムな要素への興味を共有している。それは「スモーキー・ジョーズ」の素晴らしいレイ・チャールズ風ピアノや、「モラトリアム・ワルツ」の絶妙なソウル・ホーンに明らかだ。リッチー・ムーアのギターは、ロビー・ロバートソンのように華美な装飾を排した実直なもので、時にはランディ・カルフォルニアを思わせるサステイントーンを奏でる(両ギタリスト程突出した才能はないが)。
9曲のオリジナルにドノヴァンの「ジャージー・サーズデイ」のムーディ・ブルース風カヴァーからなり、作曲能力は全体的にしっかりしている。珍しいことにアルバムの過半数を占めるバラード・ナンバーは、アップテンポな曲以上に圧倒的にサイケな酩酊感を醸し出す。無名なバンドとしては、平均を遥かに超えており、特に狂信的なタイトル曲や「トムズ・ソング」には、聴き手を圧倒するパワーがある。現実的には突進するハードロックとプログレッシヴ・ブルースの間の何処かに位置する。
全曲ドラマーのダグ・スナイダーとトリオの突出した演奏による優れたバー・バンドのパワフルなプレイが満載。ダグの歌には感情表現に長けた魂の迸りがあり、ドラムもまた驚異的で、飛び抜けたリズムセンスでミスティカルでジャジーなバイブスを産み出す。「アイ・ディドゥント・トライ」や「21イヤーズ」に於けるハモンドはセンセーショナルと言うしかない。
無名のバンドに対してこういう表現は決まり文句かもしれないが、ダグラス・ファーは音楽業界でもっと認められても良い。「ハード・ハートシンギン」はその時代のトップクラスではないとしても、Bリストの筆頭に上げるべきハードロック・アルバムと言えよう。
(スタントン・スウィハート)
勘違いによる偶然の出会いから30年余。今でも聴くと心が別の世界に飛んで行きそうになる。他人にこの気持ちが理解出来るとは思えないが、音楽愛好家にとっての「極私的名盤」とは、このようにして産まれるのではないだろうか。
ボクだけの
名盤持って
隠遁しよう
douglas fir
【名詞】
1 北米西部産の樹高の高い常緑の材木用の木で、樹脂の多い木質と短い針葉を持つ
(tall evergreen timber tree of western North America having resinous wood and short needles)
2 アメリカトガサワラの強くて耐久性のある木材
(strong durable timber of a douglas fir)