藤田亮/Ryo Fujita presents DEAT DEAT DEAT(クールの激情)
2017年8月30日発売
CD-R : FJR002 1,080円(税込)
Ryo Fujita : drums
1. No Title
不穏極まりない打撃音の心拍数
ジャケット写真を見てニヤリとした方には説明の必要はあるまいが、80年代ニューウェイヴから派生し一部でセンセーショナルに語られていたインダストリアル・ミュージックを嘲笑うかの如くシーンに現れ、ショボいシンセと発情期の猿の睦言でそれ以上の衝撃を生み出したウィリアム・ベネットによるホワイトハウスの1stアルバム『Birthdeath Experience』のパクリのジャケット上にはアルバム・タイトルらしき「Ryo Fujita presents DEAT DEAT DEAT」という英文が記されるのみ。もしやと思って裏を返してぐうの音も出なくなった方は、この先を読む必要はない。今すぐメールやメッセージを作者である藤田亮氏に送り、福音を賜るよう懇願すべきである。そこに記された『クールの激情』とは、サブ・タイトルか曲名か、はたまたキャッチコピーのような宣伝文句なのか。疑問が疑問を呼び、神にすがる気持ちで手がかりを求めて盤面を見ると、レコード盤を模した気取ったデザインはあにはからんや、市販のCD-Rをそのまま収めただけのレディメイド作品ではないか。贋作と捏造とマルセル・デュシャン面目丸潰れ既成品アート主義。果たしてコンテンツたる音源はいかなる奇抜なカラクリワールドを抱合しておるのか。半分心此処に非ず状態で脳内CD再生マシンにDLした音源を忘れた頃に聴き直してみた。
生死の狭間に静止した精子の精神力
このCD-Rに収録された16分は「音楽」でもなければ「音響」でもなく、「楽音」でも「雑音」でもない。モノクロームの薄暗がりから沸き起こる「気配」とでも喩えればいいだろうか。それも喜怒哀楽の情感を喚起するのではなく、ただそこに存在する「空気の澱み」のようなもの。存在自体に色はないが、何処か灰色のスモッグの如き不穏な気分に浸される。藤田亮が実戦しているのは自分の心音を他人の耳で聴くことが出来るか?という不可能な願いを実現するための試行錯誤というより実行覚悟の悪足掻きに見えなくもない。ジャケパクリ模様も第一弾『Pursuit of isolation(孤立の追求)』はニューディレクションとキング・クリムゾン、第2弾『HITO.RI.GOTO』はChaos UKとINU+浦邊雅祥、そしてこの第3弾『DEAT DEAT DEAT』はWHITEHOSEと愛欲人民十時劇場と、殊更巧妙に地下へ潜行中である。盲いた土竜のように盲滅法叩き回るのではなく、狙い定めた中心地をヒットしたらそれで事足りる。想いは然程深くないに違いない。深読みは精神力の無駄遣い。感覚こそ我が性感帯、Gスポットをヒットされたら喘ぎ声すら漏らすことなく起昇天血、呆然自慰とは狂なる物であることよ。
残響の波が引いた後に私自身の残骸
使用機材はバスドラム 一個/タム 一個/フロアタム 一個/スネアドラム 一個/シンバル 3枚。ドラマーじゃなくても決して豪華絢爛なキットではなく、寧ろ慎ましやかなお淑やかな人柄が有と無の間に滲み込んでいく。冷徹な厳格さを塵ひとつもないが、何でもOKの愛情に餓えた欠食児童でもない。オイラはドラマー的なべらんめえ江戸っ子でもない。演奏家の心構えと覚悟のほどは、ピエール・シェフェール&ピエール・アンリの『ひとりの男のための交響曲」(Symphonie pour un homme seul)』に近いのではないだろうか?アンリがオーケストラの打楽器奏者だった偶然もまた善き哉。
Symphonie pour un homme seul (Béjart)
我が生命は風前の灯火なのでありました。愛でたし愛でたし。
欠落した
オレの急所を
愛撫さり
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