ゾルタン・イェネイ Zoltan Jeney『OM』×剛田武 Reed-Flute Improvisation
筆者が偏愛するハンガリーの作曲家ゾルタン・イェネイのレコードやCDが少しずつ集まってきた。1943年3月4日に生まれ、60年代末から音楽活動を始めて2019年10月28日に亡くなるまで、ずっと作曲家・演奏家・音楽指導者として精力的に活動を続けていた割に、録音作品は多くはない。Discogsによれば単独作品はレコードで5作、CDで3作しかリリースされていない。それ以外は他の作曲家とのオムニバス作品である。しかし考えてみると、日本の現代音楽家も武満徹のような有名作家以外は単独作品集は決して多数発表されている訳ではない。コダーイやバルトークを生んだハンガリーに於いても、現代音楽家の作品の愛好者は少ないのかもしれない。そんな状況の中で79~89年にイェネイのレコードが5枚もリリースされたことは、この作曲家が如何に大きな影響力を持っていたかの証明であろう。
⇒【クラシックの嗜好錯誤】第七回:ハンガリーのハングリーな新前衛主義者、ゾルタン・イェネイ Zoltán Jeney への遅すぎる追悼
音楽以外の様々な素材(テキストの引用、チェスのマッチの動き、ソリティアのゲームの動き、テレックスのテキストのリズムなど)を形式、旋律、リズム、音色の要素として導入し、因習的な楽器編成や楽曲構成を超越したスタイルの作風は、単なる前衛・実験「音学」に陥ることなく、「音響」として楽しめる、つまり「音楽」として成立している。その中でもミニマリズムの極北を体現した怪作『OM』のストイックな美しさは際立っている。2台のオルガンが短いフレーズをひたすら繰り返す52分32秒。アンビエントやミニマル・ミュージックの慎ましさと静謐さは微塵もなく、姦しいほど明快に同じ行為の反復することだけに命を賭けている。どこにもつけ入る隙のない頑強さは、まさに音の壁である。
この壁を突き崩してゾルタン・イェネイの強靭な意思に固められた胸の内側に隠された生暖かい部分に触れることが出来ないかと考えて、このレコードとの対話を試みることにした。筆者の「武器」は今年から本格的に即興演奏に使い始めたリードフルート。つまりフルートにサックスのマウスピースを付けた自家製の楽器である。やり方は単純明快、自室のレコードプレイヤーに『OM』をセットしてプレイボタンを押すだけ。あとは録音しながらリードフルート(もしくは他の楽器)で思う存分インプロヴィゼーションするのだ。それによってオルガンを弾くイェネイとアンドラーシュ・ウィルヘイムと心の触れ合いが生まれれば最高である。
それにしてもLP片面25分を休みなく吹き続けるのは至難の業だ。どんなに激しく吹いても、懐柔するために撫でるようなモデラートを奏でたりしても、回転するレコードから流れ出す演奏の強度は変わらない。まるで風車に挑むドンキホーテのように、決して勝ち目はなさそうだ。いや、本当にそうだろうか。まだ一回の挑戦だけで諦めるわけにはいかない。『OM』対『オレ』のコラボレーションはまだまだ続くだろう。
ゾルタンの
心の殻を
突き破れ