JAZZ ARTせんがわ2020は初日こそ少し空きがあったら、2日目以降はほぼソールドアウトとなった。完全防止のため座席数を半分にしているので当然といえばそうだが、コロナ禍が続く中、コンサートやイベントに行くことを自粛している音楽ファンも少なくないことを考えると、「分かりやすくない音楽ばかり扱う(巻上公一談)」フェスとして根強い支持がある事を証明している。せんがわ劇場を訪れると、当日券を求めて来場したお客さんに、係員がソールドアウトであることを詫びているところだった。
9月18日(金)20:00-21:15
もっと電車よ、まじめに走れ・・・唯一無比、至高のリーディング・パフォーマンス。
『福島泰樹・短歌絶叫コンサート』
福島泰樹(短歌絶叫)、永畑雅人(pf)、石塚俊明(drs)、坂本弘道(cello)
38年前、大学1年生の頃にアルバイトしていた吉祥寺のライヴハウスGATTYのスケジュール表に福島泰樹の名前があった。短歌絶叫コンサートという印象的なタイトルと共に記憶に残っている。それ以来いろんな場所で名前を見ることはあったが、なぜか一度もライヴを観る機会はなかった。「絶叫」という言葉から連想して、勝手に体格のいいい筋肉質の人物をイメージしていたが、ステージに登場した詩人は面長で細身の、どちらかというと哀愁の漂う男性だった。しかし77歳という年齢を感じさせない朗々とした艶のある声と、ボクサーやアスリートを思わせるきびきびした動作は、35年前に絶叫バンドを結成して以来、海外を含め1200回を超えるコンサートを行ってきた不屈の表現者の証である。
拠点にしている吉祥寺のライヴハウス曼荼羅で35年間一度も休まず続けてきた短歌絶叫コンサートがコロナ禍で中止になり、予定していた35周年記念コンサートも開催できない状況の中、JAZZ ARTせんがわの出演はとてもうれしいと語る。長年のパートナーの永畑雅人(pf)と頭脳警察のドラマーでもあるトシ(石塚俊明)に加え、JAZZ ARTせんがわのプロデューサーでもある坂本弘道が参加した絶叫バンドは、ピアノの哀感たっぷりの旋律を、ドラムとチェロが時にメロディアスに、時に破壊的(こっちのほうが多い)に解釈(介錯)し、ノスタルジックでアヴァンギャルドな音世界を作り出す。
その中心にいるのは常に福島の身体であり言葉である。若くて世を去ったボクサーや、戦没した学生詩人や芸術家たちを主人公に、大正・昭和の時代模様を濃厚に描き出す詩と短歌は、音階やメロディがないにもかかわらず、音楽の核として楽器演奏を先導する。「絶叫」という言葉から想像しがちな怒鳴り声や金切り声は一切なし。あくまで冷静さを保ちながら、言葉の力を最大限に活かすための発声法を身に着けている。オペラや演劇に有りがちな大仰さはないが、明快な言葉のイントネーションの妙は、派手なフォルテッシモの数百倍、心の芯を揺さぶる。演技はないが頭の中に広がる妄想は極めて具体的な映像だった。
思い返してみると、筆者はポエトリー・リーディングのライヴをほとんど見たことはない。言葉を連射するラップも得意ではない。エクストリームな即興演奏は大好物だが、それとて楽器の演奏による音であり、音程という概念は常に纏わりついている。しかし会話や朗読は音程ではなく、スピードとリズムだけだといえる。1部2部あわせて2時間弱、音程のない言葉だけで演じられた福島のリーディング・パフォーマンスでは、普通の音楽ライヴでもめったに味わえない音楽の旅路(Musical Journey)にどっぷり浸ることが出来た。その旅路の果てに筆者が思い出したのは、どこへ行くにも中原中也の詩集をお守りのように持ち歩いていた”痛い”高校生時代の自分の姿だった。
38年前に出会うべきだったかもしれないこの素晴らしい音楽体験を与えてくれたJAZZ ARTせんがわに心から感謝したい。
短歌絶叫
昔の自分に
会える旅
福島泰樹 / 六月の雨