表題のガイド講習が行われてのは約2カ月前の3月10日でした。

この日の参加者は49名。
「伊豆大島の製塩業」の講師は、海の精(株)社長の寺田牧人氏。

この日のためにパワーポイントを購入し、資料を作成したとのこと。
(スバラシイです!)
大島での塩作りの歴史は、江戸時代の塩年貢から始まります。

1971年に施行された塩業近代化臨時措置法によって、日本の伝統的な塩作りが廃止されイオン交換膜式製法の塩化ナトリウム99%以上の塩のみが販売されるようになり…

その後、自然塩の大切さを考える人達の情熱で…
自然塩復活運動が始まりました。

そして今の“海の精(株)”の母体となった(NPO)日本食用塩研究会が発足。
何度も提案型の陳情をしながら「体に良い塩」を作り続けたそうです。

寺田氏はいつも「塩作りは運動の歴史である」と、おっしゃっています。
1997年に塩の製造販売が自由にできるような法律に変わるまで、信念を持って地道な活動を続けてきた人々の歴史がある…ということに感動します。
…で、「行くぜ!ナチェラル塩パーク!!」

海を越えてくる強い風、本土より汚れのない海水など、海に浮かぶ火山島ならではの特徴が塩作りに向いていて、塩が専売の時代からずっと伊豆大島で「体に良い塩」が作られ続けられて来た…まさにジオ物語だなぁと感じました。
ちなみに寺田氏は明日葉研究所も運営しているので、そちらの紹介もありました。

明日葉も水はけの良い土地を好む、大島を代表する植物なのです(^_^)
続いて「伊豆大島の酪農」の講師は(株)大島牛乳社長 白井義則氏。

白井氏は「ジオパーク研究会」会長でもあります。
大島への牛の導入は江戸時代初期。
塩年貢に係わる燃料(薪)や海水の運搬に牛が導入されていたそうです。
それが明治に入って肉牛が盛んになり、明治30年代から乳牛(酪農)へ転換。

大正時代には「ホルスタイン島」と呼ばれ、昭和元年には島内に1200頭の牛がいたそうです。
(ちなみに現在の大島の人口は8000人弱)
酪農黄金時代が終わったきっかけは、昭和19~20年の戦況の激変。
その後も様々な歴史を経て、今は(株)大島牛乳が町と協力しながら、乳牛の飼育や牛乳の製造販売、加工を継続しているそうです。
白井氏は「大島で酪農が栄えた理由」として
「牛の好むアシタボ(明日葉)、スゲ、タガヤ(ハチジョウススキ)など、1年を通して食べられる青い葉ものがあること(写真はオオシマカンスゲ)」
「海辺に牛を連れて行けば、熱さに弱い牛を涼ませることができたこと」を挙げていました。
海風で運ばれた塩のついた青草は、塩を必要とする動物に好まれたそう。
普通のススキは冬に枯れるけれど…

海岸にはえるタガヤ(ハチジョウススキ)は枯れないとのことで、実物も回ってきました。

(なんで枯れないんでしょう??不思議です)
白井氏が用意してくれた配布資料は、A4に7枚ビッシリ、酪農の歴史が書かれていました。
かなり調べなおして資料を作ってくださったそうです。
こうやって自分たちが暮らす島のことを、皆で学びあえる…ジオパークって面白いなあと、シミジミ思います。
あ、ところで話は変わりますが、4月26日と28日にガイド認定試験が行われ、全30問の中から80%以上の正解率の人が合格となりました。(私も試験を受け、合格しました~)
これから新たなジオガイド組織を作り、みんなで何をどう伝えて行くのか考え続けていくことになると思います。
楽しみながら、みんなで、続けていきたいです。
(カナ)

この日の参加者は49名。
「伊豆大島の製塩業」の講師は、海の精(株)社長の寺田牧人氏。

この日のためにパワーポイントを購入し、資料を作成したとのこと。
(スバラシイです!)
大島での塩作りの歴史は、江戸時代の塩年貢から始まります。

1971年に施行された塩業近代化臨時措置法によって、日本の伝統的な塩作りが廃止されイオン交換膜式製法の塩化ナトリウム99%以上の塩のみが販売されるようになり…

その後、自然塩の大切さを考える人達の情熱で…
自然塩復活運動が始まりました。

そして今の“海の精(株)”の母体となった(NPO)日本食用塩研究会が発足。
何度も提案型の陳情をしながら「体に良い塩」を作り続けたそうです。

寺田氏はいつも「塩作りは運動の歴史である」と、おっしゃっています。
1997年に塩の製造販売が自由にできるような法律に変わるまで、信念を持って地道な活動を続けてきた人々の歴史がある…ということに感動します。
…で、「行くぜ!ナチェラル塩パーク!!」

海を越えてくる強い風、本土より汚れのない海水など、海に浮かぶ火山島ならではの特徴が塩作りに向いていて、塩が専売の時代からずっと伊豆大島で「体に良い塩」が作られ続けられて来た…まさにジオ物語だなぁと感じました。
ちなみに寺田氏は明日葉研究所も運営しているので、そちらの紹介もありました。

明日葉も水はけの良い土地を好む、大島を代表する植物なのです(^_^)
続いて「伊豆大島の酪農」の講師は(株)大島牛乳社長 白井義則氏。

白井氏は「ジオパーク研究会」会長でもあります。
大島への牛の導入は江戸時代初期。
塩年貢に係わる燃料(薪)や海水の運搬に牛が導入されていたそうです。
それが明治に入って肉牛が盛んになり、明治30年代から乳牛(酪農)へ転換。

大正時代には「ホルスタイン島」と呼ばれ、昭和元年には島内に1200頭の牛がいたそうです。
(ちなみに現在の大島の人口は8000人弱)
酪農黄金時代が終わったきっかけは、昭和19~20年の戦況の激変。
その後も様々な歴史を経て、今は(株)大島牛乳が町と協力しながら、乳牛の飼育や牛乳の製造販売、加工を継続しているそうです。
白井氏は「大島で酪農が栄えた理由」として
「牛の好むアシタボ(明日葉)、スゲ、タガヤ(ハチジョウススキ)など、1年を通して食べられる青い葉ものがあること(写真はオオシマカンスゲ)」

「海辺に牛を連れて行けば、熱さに弱い牛を涼ませることができたこと」を挙げていました。
海風で運ばれた塩のついた青草は、塩を必要とする動物に好まれたそう。
普通のススキは冬に枯れるけれど…

海岸にはえるタガヤ(ハチジョウススキ)は枯れないとのことで、実物も回ってきました。

(なんで枯れないんでしょう??不思議です)
白井氏が用意してくれた配布資料は、A4に7枚ビッシリ、酪農の歴史が書かれていました。
かなり調べなおして資料を作ってくださったそうです。
こうやって自分たちが暮らす島のことを、皆で学びあえる…ジオパークって面白いなあと、シミジミ思います。
あ、ところで話は変わりますが、4月26日と28日にガイド認定試験が行われ、全30問の中から80%以上の正解率の人が合格となりました。(私も試験を受け、合格しました~)
これから新たなジオガイド組織を作り、みんなで何をどう伝えて行くのか考え続けていくことになると思います。
楽しみながら、みんなで、続けていきたいです。
(カナ)