グローバルネイチャークラブのガイド日記

グローバルネイチャークラブ(旧グローバルスポーツクラブ)のガイド仲間が観察した伊豆大島の自然の情報を中心にお届けします。

2つの火山島

2014年02月28日 | 火山・ジオパーク
今日は天皇皇后両陛下が大島にお見えになり、災害現場の視察や仮設住宅にお見舞いをされた日でした。「曇り」の天気予報がなぜか1日中青空で …

「歓迎!」の気持ちを感じました。

さて、昨日お伝えしたとおり、今日は三宅島ジオツアーの様子を報告します。

今から2週間ほど前の2月13日「有事は防災、平常時は観光で、異なる地域が協力しあえる関係を作る」ことを目的とした事業の一環で、三宅島を訪ねました。

勉強会の後の、フィールドワークは午後の2時間ほど。
三宅村のバスに乗ってツアーに出発です。

ガイドさんはバスの中でわかりやすく、島の様子を語ってくれました。

2000年噴火後、高濃度の火山ガスで木が次第に枯れていき、森の様子は激変したけれど、今はガス濃度が下がったことで新しい枝が伸びはじめているとのこと。

この景色も春には緑に変わるのだそうです。

噴火後雨で地面が削られてできた深い溝は、今では植林ツアーが行われているのだそう。

ハチジョウイヌツゲ、ヤブツバキ、ヒサカキなど、島に自生する木が植林されているそうです。

「二男山」と呼ばれる山の頂上が「七島展望台」。古い時代の溶岩が降り積もってできた山ですが、地表は1983年噴火の溶岩の粒で覆われているそう。

大島では重なって見える伊豆諸島が、ここでは水平線上に並んで見えるのが、なんとも贅沢な感じです。

ガイドさん達が遠景を眺めながら、釣り、鳥の繁殖、噴火前の山の様子など、親しみやすい話をしてくれるので,楽しさ倍増です。

三宅島は合計25個のジオ看板があり、さらに増やす予定とのこと。

写真、イラスト、赤色立体地図を使ったわかりやすい看板です。

そして、ここでガイドさんが「雄山の火口は、利島(目の前に見える)を逆さにすると、スッポリ入る大きさなんですよ」と説明。

なんてわかりやすい!

よく大きさを例えるのに使われる「東京ドーム」や「山手線」は、知らない人にとってはまったく実感のわかないものですが、目の前に見える景色なら一度で頭に入って来ます。(感心)

帰路、阿古集落をのみこんだ1983年溶岩流を見下ろしました。

阿古では溶岩流の上に遊歩道をつくり、埋まってしまった学校も災害遺構として残しています。

七島展望台の近くにあった牛舎も、そのままです。

この「そのままにしておく」のが三宅島での常識なのだそう。壊すのにもお金がかかるので「見せてしまおう」という方針なのだそうです。たくましい!

下山して新澪池跡と新鼻新山へ。
ここでガイドが交代しました。

講習を継続して行うことで、少しずつガイドが育っているとのこと。
三宅島の地道な努力、素晴らしいです。

噴火前後の写真を比べられるのも、頻繁に噴火がある三宅島ならではだと思います。

また三宅島は、ほぼ20年ごとに噴火している島なので、黒々とした溶岩が地表を覆う風景があちこちで見られます。


まるで大島の「裏砂漠」みたい…。

たった20時間でできたという「新鼻新山」。

明日目が覚めたら目の前に、数10mの丘ができているって信じられますか?
でも、これは現実。

1日で景色が変わる場所に、三宅島の人たちも私たちも生きているんですよね。


こちらは、海水と高温のマグマが接触することで起こった激しい爆発で、飛んで来たと言われる大きな石。

当時の様子を考えただけで、溜息がでます。

大島の火山が中央の火口から噴火する傾向があるのに比べ、三宅島はほとんどが側噴火なのだそうです。海岸に火口がいっぱいあり、民家のある場所が噴火にあいやすい火山でもあります。

大島と似ているけれども違う火山。
目に見える距離にある火山島同士でも、その個性は様々です。

共通するところを見つけて物語を広げ、違いを見つけて不思議を楽しみ、次の災害に備えて助け合う…この交流をきっかけに、一歩前に進みたいものです。

(カナ)
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2日間

2014年02月27日 | ツアー
昨日、私の火山仲間の“鈴木みき”さん(漫画家)が、日帰りで大島にやって来ました。
「火山は日本の宝だから、ネパールのシェルパさんに見せたい!」ということで…。

一緒に山に行きたいところでしたが、仕上げなければいけない書き物がいっぱい…
で、みんなが山に行っている間、私は室内仕事をしていました。

「山はどんなだったんだろう?」と思ったら、こんなだったようです。
http://ameblo.jp/suzukimiki/entry-11782037633.htm
こりゃ白い。
いつまで白いままなのでしょう?

午後は、ネパールにはない海を見てもらいに“砂の浜”へ。

そういえば彼に「年間何日ぐらい山に行くんですか?」と聞いたら、不思議そうに「3ヶ月から6ヶ月」と答えてくれました。ヒマラヤでは高所に体を慣らすために1回で3ヶ月ぐらいかけて歩くのだそうです。

三原山は半日で歩けるのに!
「山」という名称は同じでも、全然違う世界ですねぇ。

ところで、いつも素敵な感性を発揮して、私を楽しませてくれる“みき”さん、
昨日も…

「海の水に触ってみよう!」と波打ち際へ。

そして…
「気持ちいい~!」

おお~!
ここで寝るとは!!

確かに裏砂漠でいつも大の字になって空を見上げているのだから、砂浜で寝転がったっていいはずですが、今まで服着たまま寝転がると言う発想は無かったなぁ~。

そして「砂浜で大の字」の人の横では、貝がらや小石をあつめる友だちの姿。


「こんなにあったよ」

…と、見せあううちに“みきさんのお友達”が「これ、カルデラに見える!」と発言。

なるほど。

島とカルデラの大きさのバランスが、けっこう似ているかもです。

「これも、火山!」byお友達。

なるほど~。
…火山好き女子がまた1人、増えたようです。

さて、今日です。
今日は、自転車を持って島に来たお“父さん&息子さん”をガイドしました。

長靴をお貸しして三原山に登りましたが、雪に足を取られていつもの倍、疲れます。
坂道の途中で休憩。

「ここはどこ?」と思うぐらい、雪があります。

フラットな雪の表面を踏むと固い所とズブズブ足が沈む所があって、まるでロシアンルーレットをしている気分になります。でもやっと理由(というより構造?)がわかりました。

雪面の下には「雪の柱」と空洞が混在しているのですね。
「ふむふむ、この空洞を踏み抜いているわけね。」と、妙に納得。

でも、なんで、こういう溶け方するんでしょう?
(どなたか教えて下さい~)

そしてついに火口に到着。
雨になる前に、火口の姿を見ることができました。

頑張って登って良かった…お疲れ様でした!

ところで、昨日“書き物”をしていたら、三宅島でのジオツアーのことを報告していないことに気がつきました。明日はそれをまとめる予定です!


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大島高校椿園

2014年02月26日 | 植物
今日は午前中に大島高校の椿園を見学してきました。
だいぶ前から一般公開されていて気になっていたのです。

入り口には↑の看板や、



このような案内図がありました。


とにかくたくさんあります!














このようにきちんと名札が付いているのがありがたいです。


園内にはメジロがたくさんいました。

やっぱり蜜がお目当てですね。


他には

地面をガザゴゾしているシロハラ。



顔をツバキの花粉で黄色く染めたヒヨドリなど(ピン甘ゴメン!)
アオジの声も聴こえました。




原種ツバキは高いところに咲いていてこんな写真しか撮れませんでした。
葉っぱがツバキっぽくないですね。













これはまだまだつぼみでした。












ツバキの品種はこの他にもまだまだたくさんありました。
ぜひ、ご自分の目でお楽しみください。


校内にはツバキ以外にもこんな花が咲いていました。

菜の花系のナニカ。


河津桜でしょうか?
思いっきり満開でした。

                              がんま
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ツアーとお知らせ

2014年02月25日 | ツアー
春のように暖かかった大島…今日は「椿を見たい」というリクエストのお客様達と歩きました。

島の南部(波浮)の椿は、最盛期は過ぎた感がありますが、
頭上の椿を楽しみながら緑のトンネルを歩くのは良い気分です。


火山の作った景色を巡ったあと、椿の森も散策しました。

元気に咲いてますね~!

椿のカーテンごしに風景を見る、という贅沢も楽しめました。


さらに満開の椿の下でティータイム。

みんなで食べているのは…

桜の香りがするバウムクーヘンです!
(先日、お客様にいただいたもの)

椿を見ながら桜を味わう…とても幸せな気分でした!

ツアーの最後に、三原山を見に行ってみました。
1週間前に真っ白だった三原山は、今日の暖かさでどう変わったでしょうか?

こちらが1週間前の三原山です。


そして、今日の三原山。

う~ん、なんだか黒と白の比率は、あまり変わっていないような…。
でも三原山の周辺は今日の暖かさで少しぼんやり霞んでいて、「春だなぁ」と思いました。

さて今日はツアー報告はこれぐらいにして、お知らせ2つです。

お知らせ・その1
先日義援金を持って大島を訪ねてくれたお2人が作られているWEBマガジン、コラージ2月号が公開されました。とても素敵な写真と文章で、大島の魅力を伝えてくれています。
http://collaj.jp/data/magazine/2014-02/
特に38ページの「空に浮かぶ大島」に「おお~!」と思いました。
私も頭上の大島を見つけたいです。

お知らせ・その2
2月22日(土)「第2回・被災者の声を聞く会」が開催されたので、聞いてきました。
内容については、やがて会のホームページに掲載されるとのことです。
http://izuoshima-26hisai.org

会の中では、生活支援、義援金、罹災証明、避難その他、さまざまなことが話し合われていました。

この会に関して参加された方達は、それぞれの感想を持たれていると思いますが、私は「こういう話し合いがもたれること自体に価値がある」と思います。

町長は「被災者の会の方達が全ての被災者だとは思っていない。だがこういう状態で活動していることには評価したい。」と語っていました。復興会議にも被災者の会からも、他の団体から、広く募集をし、話し合っていく方針のようです。

みんなで悩みながら、考えながら、補いあいながら、進んでいけたらいいなぁと思います。

(カナ)





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雪のある三原山(2月20日)

2014年02月24日 | 今日の大島
なかなか溶けない雪。三原山の内輪雪がまだこんなに有りました。


ほらこんなに


雪で良い事は

キョンの足跡めっけ!結構たくさん見つける事が出来ます
今回もイタチの足跡も見る事が出来たのですが、なぜ写真撮らなかったかな?

何回も歩いた道はまるで別世界




イヌツゲも重い雪に枝先が曲がってしまったので雪から出してあげようと思ったのですが重くて脱出させて上げられませんでした。あと何日このままなのでしょう?



この下に草や石が有るのですがこの日は堅い雪ノ下に埋まってしまい平らな雪の原になりました。
もし、前回の噴火後火山灰が沢山降ってきたら雪でなく火山灰の砂に埋まってこのような広場になっているのではないかと思います。



ほらね いつもより溶岩少ないでしょ?歩きやすいよね

でもこの後、西谷さん雪の穴にハマってしまいました。それは、、、


遊歩道から外れ

湯気の出ている所に入りこんだため
暖かさで雪の中は溶けて空洞になった所が有ったのでした


こんな感じ




これは落ちたのではなく ちゃんと入ったのです
あながたくさんあるでしょ?モグラたたきではありません


『今度は足だして』


すっかり雪の三原で遊んでしまいました。(しま)


※今日(24日)行った三原はまだまだ雪が残っていました。明日から気温が上がるそうですがいつになったら無くなるのでしょうか?三原山ハイク予定の方々が大事を取って登山を中止する数が多いそうです。

三原山に登る道は通行できます。馬も元気です
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不思議を感じた「雪山ツアー」

2014年02月23日 | ツアー
昨日マンツーマンツアーで、雪の三原山に登りました。
雪が降ってから数日経つのに、遊歩道はまだ全く見えません。

真っ白です!

看板も…


神社も…

 
ロープも所々、埋もれていました。


でも、雪が溶けている場所もあります。
それは暖かい場所が多いようでした。

火口の中は、ほとんど雪がありません。

お客様は「休暇で大島に行く」と言ったら、会社から「写真を撮ってくるように」と、三脚と一眼レフカメラを渡されたそうで、雪の坂道を荷物を抱えてここまで登って来ました。(お疲れさまです!)

火口以外に雪が溶けていたのは、モクモク立ちのぼる噴気の周辺。


そして、時々モクモクしている黒い山…63年前の噴火で降り積もった三原新山です。

(どうやって撮ったか?は、ご想像にお任せします・笑)

西側斜面の下は、まだらになっていました。

台風26号の大雨で、えぐれた所に雪が詰まっているようです。

昨日は、この斜面を下りるというミニ冒険を試みました。「雪国で育って雪の歩き方は身に付いている」というお客様は、雪の坂道でも全然OK だったからです。

危ないのは断然、私の方でした(汗)。降ってから数日たった雪は固くなっていてけっこう滑るので、溶岩から溶岩を渡り歩いたのですが、時々…

「う~む、どこに渡ろう?」と立ち止まることも…。

でも結局のところ、お客様は上手に、私はヨロヨロ歩きながら、無事下り終えたのでした。
いや~、ミニ冒険、楽しかったです。

斜面の途中で、生き物風溶岩にも出会いました。

…コレ、何でしょう?
イタチ??

下った先にある通称「幻の湖」。
雨の後だけ現れる水たまりですが、なぜかここだけ雪が溶けていました。

粘土っぽい平地なのに、なぜ?
もしかしたら、ここは地温が高いのでしょうか??

外輪山沿いの帰り道。

一面のススキ野原も雪の中。

木のトンネルの下も真っ白です。

そんな中で…

葉っぱについたダニの「虫こぶ」を観察していたら、雪の上に1~2mmの緑色の粒がポロリと落ちました。

「?」
「あ~!」

「ハナグモ!!」←花や葉に隠れて餌を待つ小さなクモです。
「大変、凍っちゃう!」

慌てて葉っぱに戻してから撮影。

この寒さの中で、数mmの小さなクモが生きぬいていることをスゴイと思いました。
(頑張れ~)

全行程歩き終わった後の三原山の風景です。

お客様は仕事で糸魚川に行ってからジオパークに興味をもち、銚子ジオパークにもお友達がいるとのこと。ジオパークは地質だけではないこと、楽しみながら「わかる」ものであること、“防災”にも“観光”にも“教育”にも関わるものであることを、とても良く理解してくれていました。

「火山と共にある人の暮らし」にも興味をもってくれ、夜に行われた「被災者の声を聞く会」にも一緒に参加しました。(こういう話し合いが持たれるということを、とても評価してくれていました。)

お客様は10年前に必要を感じて、医療従事者向けの災害対応の本を作ったこともあるそうです。
また1人「仲間」と出会いました。

「様々なものが少しずつ繋がっていく不思議」を感じた、雪山ツアーでした。

(カナ)

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ルリビタキ

2014年02月22日 | 
今季も立派な瑠璃色のオス成鳥に会うことができました。
一昨日の朝、大島公園です。
ここは2012年2月11日に記事にしたのと同じ場所です。
そのときと同じ子だったりして。


↑のポーズからくるっと後ろを向きました。

とってもプリチーなお尻。
真ん丸い体からちょこんと出た足がたまりませんね。


ぱっと地面に降りて食べ物を探します。

こんなに青いのに地面にいてじっとしているとどこにいるのかわかりません。
見事なものです。


苔むした階段を上っていきます。

私に気付いているはずですがこの子はあまり気にしないタイプのようでした。

                         がんま
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この島で生きるために・ジオパークと防災IN大島

2014年02月21日 | 火山・ジオパーク
一昨日の夜、表題のシンポジウムが開催され、参加しました。
内容は以下の通り。

とてもとても中身の濃い2時間でした。
講義の内容の一部を紹介します。

陸前高田市の実吉氏。
ご自身も「会議があと30分延びていたら被害にあっていた」という状況の中で、妹さんを含め多くの友人知人を亡くされた実吉さんは、現在「語り部」として活動されています。

情景が目に浮かぶような語りからは、壮絶な被害の数々と、被災した方々の胸の痛みが感じられて茫然となりました。きっと会場にいたほとんどの人が、同じだったのではないかと思います。

以下、実吉さんの話しから…。
「複合的損失という言葉がある。家族や友人を失う、心身の健康を失う、財産や仕事を失う、住み慣れた環境を失う。時間薬は決して忘れさせてはくれない。」
「遺訓が残っている。『津波の2度逃げ』先人の遺訓は認識すべき。便利な社会にいると、どうしてもそれを忘れがちになる。『津波てんでんこ』の本当の意味は、自分の命は自分で守る、ということ」
「今、いちばん大きな問題は、自殺する人が増えていること。一歩も踏み出せないがまんの限界が3年目。前へ進める人、後ろにしか進めない人もいる。」
「全国から、世界から,暖かい励ましが届いている。辛いけれど前に向かって歩こう。それがご恩返し。」
「災害遺構について少し時がたってから『母が犠牲になった建物を残してほしい。建物が無くなったら,母があそこにいたことがわからない。辛いけれど、残して後世に伝えてほしい』という声があがった。災害遺構を残すかどうかは、あまり拙速に結論を出さない方が良い。」

大船渡博物館館長の佐藤氏。
被災当時は市の職員。今は博物館を通して災害を伝えようとされています。

「津波被害は壮絶。でも私は、明るい話しをします。」という言葉で始まったお話の中からは、私たちは『良かったこと」からも、たくさん学ぶことができるのだと感じました。

以下、佐藤さんの話しから…。

「大船渡では17回目の椿祭り開催中。ヤブツバキは北限。宮沢賢治でも大島とつながりあり。」
「明治以来ここに津波が来ることはわかっているので、動かなかった地域がある。『吉浜』と呼ばれる地域で、海側には畑のみ作り集落は下に下りなかった。」
「さかり、という町はキレイに避難した。避難先の市役所やリアスホール、天神山など全て高台。どこに逃げるかは想定していたのだろう。」
「災害に対してどうしたらいいのか、見極めはすごく難しい。一瞬で助かりもするし,犠牲にもなる。大船渡の400人の犠牲者は、ものすごい大きな数だがよそから比べると少ない。少ない理由は訓練したからだと思っている。」

三宅島観光協会の穴原氏
2000年噴火当時は中学生。島に帰ってからは、火山を生かした観光や地域づくりに取り組まれています。穴原さんの「伝えたいこと」を聞いて、とても頼もしく感じました。

「三宅も噴火、避難など、たくさんの苦労があった中で、ようやくここまでたどり着けた。ジオ、火山も島の恵みだと感じている。」
「20年に一度も噴火するような場所になぜ、戻ってきたのかと良く言われる。当初は旨く答えられなかった。東北でも津波の被害は過去にもあるのに、どうして戻ってくるのか。答えはそれぞれ違うだろうが、私は、自分らしくいられるからかなと、最近思うようになってきた。」
「三宅の噴火災害、大島の土砂災害、東北の津波や原発の災害。経験した人がどう伝えていくか、誰がどこに対して伝えていくかが重要。三宅では噴火で直接亡くなった人はいなかっが避難中になくなった人はいた。自ら命を絶った人もいた。悲しいこともあった。それを乗り越えて、自分たちが出来ることを進めていくことが大事だと思う。」

後半のパネルディスカッションでも、様々な話しが出ました。

佐藤さんからは…
「財産や家族のために避難先から戻ったり、逃げない人がいる。それをどうしたらいいか考えないと被害が出てしまう。」

実吉さんからは…
「体が不自由な人、耳が不自由な人を誰がどうしていくかを決めないと急にはできない」

三宅島の役場の方からは、災害遺構について
「災害にあった場所は基本的に残している。崩しもしないし新しくもしない。手をつけるとお金がかかるので、やらないというのが常識。ありのままを見せる」

三宅島の浅沼観光協会長から最後の挨拶の中で…
「大災害は地球が生きている証、私たち人間の多少の被害は致し方ない。大事なのは起こった後、どういう風に対処していくか。(制度面で)前例があるわけがないことを、前例として作っていくことが、災害を起こした私たちが壁をぶち破っていくことが大事。次の人たちにバトンタッチしていけるように、粘り強く、交渉していくのが、自分たちだけでなく災害に強い国になっていくことだと思う。経験したから言えること、それを生かしていくこと、両島間だけでなく、三陸、その他の方とも、協力して、安心して住める社会にしていくことが大事。」

シンポジウムに参加して、私の知らないところに、前を向いて生きている沢山の人の存在があることを、あらためて感じました。

(カナ)

(記事は例によって,中川氏のメモを参照させていただきました)
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磐梯山ジオパーク&洞爺湖有珠山ジオパーク

2014年02月20日 | 火山・ジオパーク
2月に入ってジオパーク関連の講習が目白押しで、報告がどんどん溜まっていますが…
今日は17日に行われた表題の講演の中から、私が印象に残ったことを中心に報告します。
(お話しの全てはとても書ききれないので…)

講演には30名以上の人が参加しました。(またまた正確な人数聞き忘れました)

最初の講演は、磐梯山ジオパークの伊藤さん。磐梯山が好きで脱サラして移住、以後山のガイドをしながらエコツアーのガイド養成などを続けられてきた方で、磐梯山エコツーリズム協会の会長でもあります。

「磐梯山は、明治時代に山体崩壊で477人の犠牲があった火山。山体崩壊は大きなエネルギーで800°の熱が時速60~80kmの速度で流れ下った。」(講演より)

以下、伊藤さんの話から…。
「ツアーでは防災を取り入れている。地震計を見てもらい地震と火山噴火の話をしたり、ハザードマップや地質図を使って噴火の対応の話しをする。小中学校には出前講座。観光の人に危険ばかり話すと楽しくないので流れ山、五色沼などの恩恵について話しをする。

どう変わったかを調べるために多い時は月1回、モニタリング。ひとつのテーマについて何項目かを定期的に見ていく。(外来生物、貴書植物、地形変化、資源変化、植物変化、沼の見え方、水質など)住民参加でモニタリングすることで地元の人の意識が変わる。関わることで皆の気持ちの中に湧いてくるものがある。また、自然の変化を定期的に見ることでわかるものもある。住んでいる人間が、まずきちんと知ることだと思う。

125年しか立たない自然はどんどん移り変わる、湿地が乾燥し、ヨシがススキに、柳がハンノキに、ミズナラに変わっていく。そういう変化をきちんと捕らえていくことで、自然を通して自分たちが成長する。

ジオ、大地は災いも起こす。大地が無ければなにも作れない、生態系のベースになるものがジオ、こういう大地なら米がいい、麦がいいなど、生活につながっている。

参加者からの質問
磐梯山を訪ねて、エコツーリズムがすごくまとまっていると感じた。。エコに対する地域の意欲はどこから?

磐梯山のエコツアーは、始まってから15年ぐらいになる。コンビニ(セブンイレブン)などの色は、えび茶と緑だったりしている。自分たちの宝がなんなのか、宝に気づいて共有して誇りに思う。住民総ガイド。大島でも、そういう気持ちは芽生えていると思う。これだけの人が集まってくるのだから。

裏磐梯がやっている核になる組織はなにか?
環境省のエコツーリズム推進地区のモデル地区として3年間活動、行政も意識高い人が増えている。今までコツコツやって来たことが実を結んでいるのかも。

ジオパークガイドとしてやるときはガイディングテクニックを身につけていくことが大事。ガイド料の一部をストックし、道路補修その他に使っている。ガイド活動を本格化するなら「有料ガイド。優良ガイド。」がキーワードになると思う。

防災意識を高めることは、ジオの人たちがやっているのか?行政がやっているのか?
ジオパーク協議会の中心になっている人間が、小中学校に出前講座をしている。公民館活動の中の成人セミナーで防災テーマの学習会。防災は、行政だけでも民間だけでもダメだと思う。」

続いての講演は、洞爺湖有珠山ジオパークの小川さん
小川さんは、アメリカの大学で生態学を学び、イエローストーン他国立公園などでガイドの手伝いなどの経験を持つ方で、11年前から洞爺湖ガイドセンターを運営しています。

「カルデラ湖である洞爺湖は今から約11万年前、巨大噴火で誕生。そして2万年くらい前から洞爺湖の南岸で噴火が繰り返され有珠山が誕生。有珠山は7~8千年前の山体崩壊のあと、江戸時代まで噴火を休んでいたが、1663年に噴火を再開し、その後2000年までに9回の噴火を繰り返してきた。」(洞爺湖有珠山ジオパークHPよりの要約)

以下、小川さんの話しから…。

「紹介したツアーに関して、特に防災をアピールはしていない。暮らしをアピールすることで防災が出てくると思っている。リスクマネージメントの話しはする。装備が無いと、せっかくお金払って北海道まで来ても楽しめない、冬の北海道にスニーカーで来る人多いが、不安、寒いぬれた、注意が集中できない。だから長靴などをレンタルしている。

『ジオツアーをやっている者として防災をどう表現するか?』というのは“生活”だと思う。
例えばビジターセンターに火山科学館があり、そこに避難所がある。「避難所って案外大変なんだよな」という話しをする。

最初にこういう聞き方をすることも。
「有珠山2000年に噴火1977年に噴火した。2回も噴火した。そんなとこある?雨降りますよね,雪降りますよね?避難するような災害は、日本中どこでもおこる可能性ある。『みんなにも洪水は起こるかもよ』『この町の人たちはどう生活していると思う?ここの高校生はどう生活していると思う?』など、防災という伝え方ではなく、生活という伝え方をしている。

洞爺湖温泉は開湯してから100年、1917年以降お湯がわいた。1910年、当時の警察局長が住民を1日で避難させた。1940年、警察署長と大学先生が避難、77年は1番・観光客、2番・地元の人、3に観光従事者。4番目に町役場。各ホテルが毎年個別に避難訓練実施。観光客をバスで外に出す。各ホテルの1階にはロビーしか無い。湖畔にはホテルしか無い、住民の住まいは山の中腹にしかないのは、火災流対策という話しもある。

2000年泥流が起き、40°以上の熱泥流で流れた。流路工、砂防ダムもいっぱい作ってあるが、あふれて民家被害もけっこうでた。防火としての避難訓練、年2回義務づけられている。

洞爺湖のホテルは200~300室あるところも。2000年噴火までは、団体旅行が中心。最近は団体バスツアーではなく、個人客をターゲットにしたホテルも出て来ている。

環境保存しようという動きも出て来た。中島に観光の人が持ち込んだエゾシカ5頭が逃げたのは1960年頃のこと。2002年の鹿の頭数は440頭。一周10kmの島に、それだけの鹿がいる。木も死に、棘のある植物が残るという状態に。「鹿がかわいそう」「森がかわいそう」「鹿がいなくなったら観光客来なくなる」など、見る方向により意見は様々。一昨年200頭を50頭までへらす計画を研究機関と一緒になって発表した。

会場からの質問
質問洞爺湖では災害遺構、どのように決められて残されたのか?
金比羅火山の遺構散策路は、砂防ダム内。ここは、ダムの容量が少なくなるから絶対ダメということで半年ぐらい押し問答。公営住宅一棟、学校?などの公共施設。かならず人を置いて人数管理。リースとしてかしている。
子ども達のために、最終決断は当時の町長。

西山華山の遺構散策路 
100人中100人がてっぺんから噴火すると思っていた。ところが2000年の噴火は山の中腹から噴火した『うちは遠いから避難遅くていい』と逃げなかった人たちが沢山いた。自分たちの子どもや孫に伝えたい、という思いがある。語り部、悲惨さを語り継ぐためのガイド養成をしている。

遺構を残すには、その地域住民の合意が必要だと思う。また有珠山洞爺湖は、首都からの修学旅行多い。事実を伝えるだけでなく、命の大切さを伝えるのが大切だと思う。

報告は以上です。

時間ギリギリまで様々な質問が出ていました。

場所によって様々な問題を抱えながら、共通のものもたくさん感じて、とても充実した時間でした。

(カナ)





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キジとホオジロ

2014年02月19日 | 
今日は朝のうちだけ少し鳥見をしました。
林道や漁港、海岸などに行ってみましたが目ぼしい鳥はいず、時間もなくなってきたので牧場で鳥待ちです。

すぐに綺麗なキジのオスが姿を現しました。

しかし警戒心が強いですね。
シャッター音を不審に思い足早に去っていきました。
撮れたのはこの1枚です(涙)


ホオジロは6~7羽の群れで食べ物を探していました。

これはメス2羽。





オスは顔のコントラストがはっきりしています。



別個体くん。



これはまたさっきの2羽とは違う子かなー?
鳥たちはちゃんと個々の見分けがついているんだろうけど、私にはサッパリわかりません。
ホオジロたちはお互いに「チッ、チチッ・・・」と鳴き交わしながら行動していました。
見ていると本当にほんわかします。

この場所では他にツグミが数羽目の前を通過したり久し振りにアカハラを見たりしましたがやはり鳥は少ないです。

                             がんま
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