今日は天皇皇后両陛下が大島にお見えになり、災害現場の視察や仮設住宅にお見舞いをされた日でした。「曇り」の天気予報がなぜか1日中青空で …

「歓迎!」の気持ちを感じました。
さて、昨日お伝えしたとおり、今日は三宅島ジオツアーの様子を報告します。
今から2週間ほど前の2月13日「有事は防災、平常時は観光で、異なる地域が協力しあえる関係を作る」ことを目的とした事業の一環で、三宅島を訪ねました。
勉強会の後の、フィールドワークは午後の2時間ほど。
三宅村のバスに乗ってツアーに出発です。

ガイドさんはバスの中でわかりやすく、島の様子を語ってくれました。
2000年噴火後、高濃度の火山ガスで木が次第に枯れていき、森の様子は激変したけれど、今はガス濃度が下がったことで新しい枝が伸びはじめているとのこと。

この景色も春には緑に変わるのだそうです。
噴火後雨で地面が削られてできた深い溝は、今では植林ツアーが行われているのだそう。

ハチジョウイヌツゲ、ヤブツバキ、ヒサカキなど、島に自生する木が植林されているそうです。
「二男山」と呼ばれる山の頂上が「七島展望台」。古い時代の溶岩が降り積もってできた山ですが、地表は1983年噴火の溶岩の粒で覆われているそう。

大島では重なって見える伊豆諸島が、ここでは水平線上に並んで見えるのが、なんとも贅沢な感じです。
ガイドさん達が遠景を眺めながら、釣り、鳥の繁殖、噴火前の山の様子など、親しみやすい話をしてくれるので,楽しさ倍増です。
三宅島は合計25個のジオ看板があり、さらに増やす予定とのこと。

写真、イラスト、赤色立体地図を使ったわかりやすい看板です。
そして、ここでガイドさんが「雄山の火口は、利島(目の前に見える)を逆さにすると、スッポリ入る大きさなんですよ」と説明。

なんてわかりやすい!
よく大きさを例えるのに使われる「東京ドーム」や「山手線」は、知らない人にとってはまったく実感のわかないものですが、目の前に見える景色なら一度で頭に入って来ます。(感心)
帰路、阿古集落をのみこんだ1983年溶岩流を見下ろしました。

阿古では溶岩流の上に遊歩道をつくり、埋まってしまった学校も災害遺構として残しています。
七島展望台の近くにあった牛舎も、そのままです。

この「そのままにしておく」のが三宅島での常識なのだそう。壊すのにもお金がかかるので「見せてしまおう」という方針なのだそうです。たくましい!
下山して新澪池跡と新鼻新山へ。
ここでガイドが交代しました。

講習を継続して行うことで、少しずつガイドが育っているとのこと。
三宅島の地道な努力、素晴らしいです。
噴火前後の写真を比べられるのも、頻繁に噴火がある三宅島ならではだと思います。

また三宅島は、ほぼ20年ごとに噴火している島なので、黒々とした溶岩が地表を覆う風景があちこちで見られます。

まるで大島の「裏砂漠」みたい…。
たった20時間でできたという「新鼻新山」。

明日目が覚めたら目の前に、数10mの丘ができているって信じられますか?
でも、これは現実。
1日で景色が変わる場所に、三宅島の人たちも私たちも生きているんですよね。

こちらは、海水と高温のマグマが接触することで起こった激しい爆発で、飛んで来たと言われる大きな石。

当時の様子を考えただけで、溜息がでます。
大島の火山が中央の火口から噴火する傾向があるのに比べ、三宅島はほとんどが側噴火なのだそうです。海岸に火口がいっぱいあり、民家のある場所が噴火にあいやすい火山でもあります。
大島と似ているけれども違う火山。
目に見える距離にある火山島同士でも、その個性は様々です。
共通するところを見つけて物語を広げ、違いを見つけて不思議を楽しみ、次の災害に備えて助け合う…この交流をきっかけに、一歩前に進みたいものです。
(カナ)

「歓迎!」の気持ちを感じました。
さて、昨日お伝えしたとおり、今日は三宅島ジオツアーの様子を報告します。
今から2週間ほど前の2月13日「有事は防災、平常時は観光で、異なる地域が協力しあえる関係を作る」ことを目的とした事業の一環で、三宅島を訪ねました。
勉強会の後の、フィールドワークは午後の2時間ほど。
三宅村のバスに乗ってツアーに出発です。

ガイドさんはバスの中でわかりやすく、島の様子を語ってくれました。
2000年噴火後、高濃度の火山ガスで木が次第に枯れていき、森の様子は激変したけれど、今はガス濃度が下がったことで新しい枝が伸びはじめているとのこと。

この景色も春には緑に変わるのだそうです。
噴火後雨で地面が削られてできた深い溝は、今では植林ツアーが行われているのだそう。

ハチジョウイヌツゲ、ヤブツバキ、ヒサカキなど、島に自生する木が植林されているそうです。
「二男山」と呼ばれる山の頂上が「七島展望台」。古い時代の溶岩が降り積もってできた山ですが、地表は1983年噴火の溶岩の粒で覆われているそう。

大島では重なって見える伊豆諸島が、ここでは水平線上に並んで見えるのが、なんとも贅沢な感じです。
ガイドさん達が遠景を眺めながら、釣り、鳥の繁殖、噴火前の山の様子など、親しみやすい話をしてくれるので,楽しさ倍増です。
三宅島は合計25個のジオ看板があり、さらに増やす予定とのこと。

写真、イラスト、赤色立体地図を使ったわかりやすい看板です。
そして、ここでガイドさんが「雄山の火口は、利島(目の前に見える)を逆さにすると、スッポリ入る大きさなんですよ」と説明。

なんてわかりやすい!
よく大きさを例えるのに使われる「東京ドーム」や「山手線」は、知らない人にとってはまったく実感のわかないものですが、目の前に見える景色なら一度で頭に入って来ます。(感心)
帰路、阿古集落をのみこんだ1983年溶岩流を見下ろしました。

阿古では溶岩流の上に遊歩道をつくり、埋まってしまった学校も災害遺構として残しています。
七島展望台の近くにあった牛舎も、そのままです。

この「そのままにしておく」のが三宅島での常識なのだそう。壊すのにもお金がかかるので「見せてしまおう」という方針なのだそうです。たくましい!
下山して新澪池跡と新鼻新山へ。
ここでガイドが交代しました。

講習を継続して行うことで、少しずつガイドが育っているとのこと。
三宅島の地道な努力、素晴らしいです。
噴火前後の写真を比べられるのも、頻繁に噴火がある三宅島ならではだと思います。

また三宅島は、ほぼ20年ごとに噴火している島なので、黒々とした溶岩が地表を覆う風景があちこちで見られます。

まるで大島の「裏砂漠」みたい…。
たった20時間でできたという「新鼻新山」。

明日目が覚めたら目の前に、数10mの丘ができているって信じられますか?
でも、これは現実。
1日で景色が変わる場所に、三宅島の人たちも私たちも生きているんですよね。

こちらは、海水と高温のマグマが接触することで起こった激しい爆発で、飛んで来たと言われる大きな石。

当時の様子を考えただけで、溜息がでます。
大島の火山が中央の火口から噴火する傾向があるのに比べ、三宅島はほとんどが側噴火なのだそうです。海岸に火口がいっぱいあり、民家のある場所が噴火にあいやすい火山でもあります。
大島と似ているけれども違う火山。
目に見える距離にある火山島同士でも、その個性は様々です。
共通するところを見つけて物語を広げ、違いを見つけて不思議を楽しみ、次の災害に備えて助け合う…この交流をきっかけに、一歩前に進みたいものです。
(カナ)