一昨日、ジオパーク研究会3班企画の“砂防ダム勉強会”が行われました。
大島支庁土木課に平日と週末の2回、フィールド学習会での講師をお願いし、一昨日が1回目。
ガイドを中心に11名が参加しました。

土木課からは3名の方が、説明に来てくれました。
最初の見学場所は
大金沢砂防ダムです。
説明は、以下のような感じで始まりました。(実際の内容の数%しか報告しきれませんが・・・)
まずは
土木課長の“思い”から・・・。
「台風26号の土砂災害を経てハードだけでは命は守れないと思うようになった。命を守るためにはハードとソフトの両方が必要。そのためにこのような機会をいただけるのはありがたい。今まで小中学生のジオパーク学習で砂防ダムの施設を説明たことはあるが、一般の人には今回が初めて。」
続いて
“砂防”とは何か?
「山は崩れて平らになって盛り上がってまた崩れる。ではどこに住みますかというと、人は便利なので急傾斜地ではなく、平らなところに住む。(大島でも、1338年頃に溶岩流が海まで流れ、比較的平らな土地ができ、そこに人が住むようになりました=元町)。人が増えれば上流にも住むようになる。そのために川の近くなどに安全のための施設をつくるのが砂防。」
説明は
砂防ダムの構造に移ります。
「大島は噴火すると火山灰が積もるので、噴火時の泥流を想定して作った。台風26号では“鋼製スリット”というコの字型の大きなパイプで、流木をかなり受け止めた。」

「6渓流で工事が始まっており、重要度に応じて予算付けして行っている。沢の深さや広さによって作り方が違う。流域の不安定と思われる土砂と、水と木を計算し作る。」
鋼製スリットの下には想定通り泥流も溜まったが、それを掻き出す作業は重機が埋まってしまって大変だったようです。

土木課課長からは「砂防ダムで砂を止めると砂浜が減る、漁業にも影響がある。ただ作るだけではなく、全体で考えていかねばいけないと思っている。」という説明もありました。
続いて一行は
“長沢砂防ダム”に移動しました。

1986年噴火の時、山腹の割れ目噴火で迫ってきた溶岩流から町を守るために海水をかけ続けた経験から、噴火後“水を溜めて溶岩を冷やすための貯水槽”としてこの施設を作ったそうです。
雨水を溜めるため、下はコンクリートで固められているとのこと(泥流対策の砂防ダムの下は地面)。水位のない時でも消防車が入れるよう、通路ができているそうです。

参加者は皆「それでこういう構造なんだ!」と納得していました。
溶岩が流れると周囲がどのようになるかがわかる場所を、ジオサイトとして工事をせずに残してあることも、皆に紹介してくれました。

いずれ説明看板がつく・・・はずですが・・・いつかな?
次に
“長沢P18”という砂防ダムに行きました。
台風26号の時は建設中でしたが、かなり流木などを受け止めた場所です。
町の主要な施設がここの下流にあり、大島支庁もあるとのこと。
ここでは壁面に少なくても3回分の溶岩流が挟まれているのを見ることができます。

これを見ると元町地区に何度も溶岩が流れ、その上に灰が降って人が住む場所を作って来たのが良くわかります。
溶岩流は冷えると固い岩になるから、地面を掘るのがとても大変なのだそう。

そう言われれば確かに、固そうな岩がゴロゴロ転がっていますね!
私達が立っている場所の下方にある“石をネットで固定して積み上げたもの”も説明してくれました。

「蛇かご」と呼ばれ、水はけを良くして斜面を崩れにくくするための物とのこと。
「やがて隙間につまった砂の粒子で道路が汚れるし見た目も悪いので、人目につくところは水抜きの穴をつけたコンクリートで固めるところが多い。」のだそうです。
最後は表土の流出を止めるため、
ヘリで空中散布をした現場へ。
11~12月に撒いた芽が、もうかなり大きくなっていました!
今後の予定の工法について、説明を受けます。

現場で聞くと、良くわかります。
参加した仲間の「何も知らないと『使わないのにこんなに大きな物作って、お金の無駄遣いだ』と思ってしまうけど、知ることで全然違ってくるよね。」という意見に、私も同感でした。
自然へのインパクトを最小限にしながら、人が地球で暮らし続けられるようにするには、どうバランスを取れば良いのか・・・正解はないでしょうが、砂防も気象も火山も植物も産業も、様々な角度から学び、みんなで考えていくことができたら良いなぁと思います。
帰り道、だれかが元町の上に虹が架かっているのを見つけました。

かなり薄いですが・・・
立派な虹でした!

とてもとても嬉しかったです。
第2回目の砂防ダム勉強会は同じ内容で、明日の午前中に行われます。
朝9時、役場横の駐車場集合です。
私は参加できませんが・・・お時間のある方はぜひ、ご参加ください!
(カナ)